わたしが両親に書いている手紙は、三日が過ぎてもなかなか完成しなかった。書き進めてはいるけど、のろのろと亀みたいなスピードだ。この三日、わたしは図書室で、凪都のとなりで文面を考えた。その間に凪都と話もしたけど、凪都はこれまでと変わらずに飄々としていた。悩んでいるのは、わたしだけみたいだ。
……と、最初のうちは、そう思っていた。でも、よくよく見てみればちがうと気づく。
凪都の瞳は――残念なことに、相変わらずの死にたがりの瞳だった。だけどその中に、もっといろいろな感情が混ざるようになっていた。それは苦悩で、痛みで、悲しみで、切なさで……、言葉にするにはとらえどころがないのに、たしかに暗い色が増えていることがわかってしまうようなもの。
凪都が抱えた悩みのひとつを、わたしはたしかに解決したはずだった。なのに、前よりも凪都は苦しんでいるように見える。その理由を思い描くと、わたしは呼吸が苦しくなった。
ありえないと思う、その予想。だけどそれしかないんじゃないかと思う、その絶望。
もうすこししたら、ちゃんと話してくれるって、凪都は言った。わたしも、一度は待つと決めた。だけど、不安がお腹の中にどんどんたまっていく。
「柚、どうー? 用意できた?」
「うん。もう行けるよ、七緒」
「よーし、じゃあ出発! ちょうど映画の時間につけそうだね」
七緒が楽しそうに言って、部屋を出ていく。わたしも追いかけた。今日は七緒と映画を観に行く予定だった。目的地は、電車で一時間くらい揺られた先にある繁華街。ふたりとも、いつもより気合いの入った私服姿で、駅まで歩いて電車に乗り込む。涼しい車内でとなり合って座った。
七緒が、車窓の奥にある海を見つめる。
「夏休みって過ぎるの早いよね。あと一か月くらい延長してほしいなあ」
「そうだね。ほんとに」
「柚とも、もっと遊んでおかなきゃ。今年の夏は、柚といちゃいちゃする年だからね! 後半戦も遊びつくすよ!」
ぐっと親指を立てる七緒は笑顔だ。だけど……、ちょっとだけ距離があるような気がするのは、気のせいかな。
凪都のことを相談してから、七緒との間にもほんのすこし、壁を感じるようになった。壁、というか、七緒がわたしを気づかって、腫れ物に触るみたいに慎重になっている、みたいな。その微妙な距離感を感じるたびに、わたしは自分の頬を叩きたくなる。心配をかけちゃだめだ。笑顔、笑顔。
駅につくと、本当にちょうどいい時間帯で、そのまま映画館に入った。七緒が好きな俳優が出ている恋愛映画は、なんというかベタな展開で、わたしにはちょっと退屈だった。
画面に俳優の顔が映る。七緒が好きな、若槻くん、通称わっくん。きれいな顔だけど、わたしはとくに興味がない。結局、気分が乗らないまま映画が終わってしまった。
でも七緒は楽しんだはずだ。いい感じの感想を言い合って、七緒が楽しい気分のままでいられるようにしてあげたい。映画の褒めポイントをあれこれと考えてみる。うーん、どうしようかな。
エンディングも流れ終わって、会場が明るくなった。七緒が腕を組んでうなる。
「なんかさ、わっくんの顔はよかったけど、展開は微妙だったよねー」
「え」
「ん? なに?」
……なんだ、せっかくいい感じの感想を考えたのに、必要なかったみたいだ。気が抜けて、笑えてきた。
「そうだね、ちょっとベタだったかな」
「だよねー。え、ていうか柚、あんま楽しくなかったんじゃない? ごめんね、わたしにつきあわせて!」
「いいよ、七緒がわっくんを堪能できたなら、なによりです」
「わあ、さすが柚、心の友、いい子! でも申し訳ないからポテトおごっちゃう!」
そのあとはファストフード店で七緒にポテトをおごられて、ゲームセンターに移動してプリクラを撮った。服屋もめぐって、小腹が空いたらクレープも食べて。
楽しかった。七緒の元気さが、わたしは好きだ。
「うーん、遊んだ遊んだ! 行きたいとこはほぼ回ったかなあ。柚は?」
「わたしも満足だよ。……あ」
CDショップの前を通りかかったとき、覚えのあるメロディが流れて、足を止めた。
「これ、凪都が好きな曲だ」
はじめて夜の散歩をしたときに、凪都が教えてくれた曲だった。ポップを見てみれば、歌っているのは新人アーティストみたいで、この歌で最近人気が出てきているらしい。へえ、知らなかった。
「ほほう、柚はやっぱり、凪都のことが好きなんだねえ」
となりで七緒が言った。
「え、いや、そういうわけじゃ……!」
言いかけて、七緒がからかうわけじゃなくて、やさしい笑顔を浮かべているのに気づいた。
「好きなんでしょ?」
七緒の言葉に、わたしは考える。
「……うん」
好きだ。凪都のことが。
「最近ぎくしゃくしてるみたいだけど、仲直りした?」
「まだ、かな」
「そっか。それはつらいね」
七緒の声はあったかくて、ぽわんとわたしを包み込んでくるみたいだった。さすが七緒、心の友だ。今度ポテトをおごり返そう。そんなことを考えながら、ちょっとだけ涙腺がゆるみそうになった。
「柚。わたしには、ふたりの関係がどうなってるのかは、よくわかんないけどさ。わたしは柚のこと応援してるからね。なにがあっても、絶対に」
「……うん、ありがとう」
「いえいえ。ふたりが幸せになることを、わたしは願っているぞ」
最後はちょっと冗談めかして、七緒が笑う。七緒はいい子だ。
そのあともふらふらと遊んでいたから、寮に帰ってきたのは夕方だった。わたしは校門から寮まで歩きながら、ちらりと図書室を見上げる。まだ凪都は、あそこにいるのかな。
「行ってきたら?」
七緒が、わたしの心を読んだみたいに言った。なんかもう本当に……。
「心の友だね、七緒。ポテトおごるから、また遊びに行こう」
「お、やった! 期待してるね」
わたしは部屋にもどると、私服から制服に着替えた。制服着用のルールはこういうときに面倒くさい。するっと胸もとでリボンを結んで、あわただしく寮を出る。
閉室時間まであとすこし。
……と、最初のうちは、そう思っていた。でも、よくよく見てみればちがうと気づく。
凪都の瞳は――残念なことに、相変わらずの死にたがりの瞳だった。だけどその中に、もっといろいろな感情が混ざるようになっていた。それは苦悩で、痛みで、悲しみで、切なさで……、言葉にするにはとらえどころがないのに、たしかに暗い色が増えていることがわかってしまうようなもの。
凪都が抱えた悩みのひとつを、わたしはたしかに解決したはずだった。なのに、前よりも凪都は苦しんでいるように見える。その理由を思い描くと、わたしは呼吸が苦しくなった。
ありえないと思う、その予想。だけどそれしかないんじゃないかと思う、その絶望。
もうすこししたら、ちゃんと話してくれるって、凪都は言った。わたしも、一度は待つと決めた。だけど、不安がお腹の中にどんどんたまっていく。
「柚、どうー? 用意できた?」
「うん。もう行けるよ、七緒」
「よーし、じゃあ出発! ちょうど映画の時間につけそうだね」
七緒が楽しそうに言って、部屋を出ていく。わたしも追いかけた。今日は七緒と映画を観に行く予定だった。目的地は、電車で一時間くらい揺られた先にある繁華街。ふたりとも、いつもより気合いの入った私服姿で、駅まで歩いて電車に乗り込む。涼しい車内でとなり合って座った。
七緒が、車窓の奥にある海を見つめる。
「夏休みって過ぎるの早いよね。あと一か月くらい延長してほしいなあ」
「そうだね。ほんとに」
「柚とも、もっと遊んでおかなきゃ。今年の夏は、柚といちゃいちゃする年だからね! 後半戦も遊びつくすよ!」
ぐっと親指を立てる七緒は笑顔だ。だけど……、ちょっとだけ距離があるような気がするのは、気のせいかな。
凪都のことを相談してから、七緒との間にもほんのすこし、壁を感じるようになった。壁、というか、七緒がわたしを気づかって、腫れ物に触るみたいに慎重になっている、みたいな。その微妙な距離感を感じるたびに、わたしは自分の頬を叩きたくなる。心配をかけちゃだめだ。笑顔、笑顔。
駅につくと、本当にちょうどいい時間帯で、そのまま映画館に入った。七緒が好きな俳優が出ている恋愛映画は、なんというかベタな展開で、わたしにはちょっと退屈だった。
画面に俳優の顔が映る。七緒が好きな、若槻くん、通称わっくん。きれいな顔だけど、わたしはとくに興味がない。結局、気分が乗らないまま映画が終わってしまった。
でも七緒は楽しんだはずだ。いい感じの感想を言い合って、七緒が楽しい気分のままでいられるようにしてあげたい。映画の褒めポイントをあれこれと考えてみる。うーん、どうしようかな。
エンディングも流れ終わって、会場が明るくなった。七緒が腕を組んでうなる。
「なんかさ、わっくんの顔はよかったけど、展開は微妙だったよねー」
「え」
「ん? なに?」
……なんだ、せっかくいい感じの感想を考えたのに、必要なかったみたいだ。気が抜けて、笑えてきた。
「そうだね、ちょっとベタだったかな」
「だよねー。え、ていうか柚、あんま楽しくなかったんじゃない? ごめんね、わたしにつきあわせて!」
「いいよ、七緒がわっくんを堪能できたなら、なによりです」
「わあ、さすが柚、心の友、いい子! でも申し訳ないからポテトおごっちゃう!」
そのあとはファストフード店で七緒にポテトをおごられて、ゲームセンターに移動してプリクラを撮った。服屋もめぐって、小腹が空いたらクレープも食べて。
楽しかった。七緒の元気さが、わたしは好きだ。
「うーん、遊んだ遊んだ! 行きたいとこはほぼ回ったかなあ。柚は?」
「わたしも満足だよ。……あ」
CDショップの前を通りかかったとき、覚えのあるメロディが流れて、足を止めた。
「これ、凪都が好きな曲だ」
はじめて夜の散歩をしたときに、凪都が教えてくれた曲だった。ポップを見てみれば、歌っているのは新人アーティストみたいで、この歌で最近人気が出てきているらしい。へえ、知らなかった。
「ほほう、柚はやっぱり、凪都のことが好きなんだねえ」
となりで七緒が言った。
「え、いや、そういうわけじゃ……!」
言いかけて、七緒がからかうわけじゃなくて、やさしい笑顔を浮かべているのに気づいた。
「好きなんでしょ?」
七緒の言葉に、わたしは考える。
「……うん」
好きだ。凪都のことが。
「最近ぎくしゃくしてるみたいだけど、仲直りした?」
「まだ、かな」
「そっか。それはつらいね」
七緒の声はあったかくて、ぽわんとわたしを包み込んでくるみたいだった。さすが七緒、心の友だ。今度ポテトをおごり返そう。そんなことを考えながら、ちょっとだけ涙腺がゆるみそうになった。
「柚。わたしには、ふたりの関係がどうなってるのかは、よくわかんないけどさ。わたしは柚のこと応援してるからね。なにがあっても、絶対に」
「……うん、ありがとう」
「いえいえ。ふたりが幸せになることを、わたしは願っているぞ」
最後はちょっと冗談めかして、七緒が笑う。七緒はいい子だ。
そのあともふらふらと遊んでいたから、寮に帰ってきたのは夕方だった。わたしは校門から寮まで歩きながら、ちらりと図書室を見上げる。まだ凪都は、あそこにいるのかな。
「行ってきたら?」
七緒が、わたしの心を読んだみたいに言った。なんかもう本当に……。
「心の友だね、七緒。ポテトおごるから、また遊びに行こう」
「お、やった! 期待してるね」
わたしは部屋にもどると、私服から制服に着替えた。制服着用のルールはこういうときに面倒くさい。するっと胸もとでリボンを結んで、あわただしく寮を出る。
閉室時間まであとすこし。