わたしたちは息が詰まりそうな空気の中、学校にもどった。だけど校門をくぐったときには、わたしはともかく凪都はいつもどおりの表情になっていて「じゃ」と手を上げた。

 わたしはひとり、女子寮にもどる。談話室で、宮先輩と七緒がなにかを話していた。

「ただいまです」

 声をかけるけど、ふたりは気づかない。……だめだ。凪都のことを気にして、暗くなっちゃってる。元気よく行かないと、ふたりに心配をかける。もっと明るく。頑張れ、わたし。

 もう一度、声をかけると、七緒がふり向いた。

「おかえり、柚。今日は早起きだったね。凪都となんかしてたの?」
「ただいま。まあ、そんなところかな。七緒はなにしてるの?」
「ふっふっふー、今日の夜ごはんの準備!」

 ……まだ、昼前なんだけど。

 ふたりのいる机には、女子寮では見たことがない機械が置かれていた。

「なに? たこ焼き器?」
「そう! 宮先輩が調達してきてくれたの。今日はみんなでタコバだよ!」
「後輩の夏休みを盛り上げるためなら、いくらでも協力するよー。やっぱ、みんなでご飯って言ったらタコバだよね」
「鍋もいいですよね。闇鍋とか! 今度やりましょ!」

 ふたりとも楽しそうで、なんだかまぶしい。着替えてきますね、と談話室を出た。今日は図書室に行くのはやめておこうかな。部屋にもどって、ジャージを脱ぐ。部屋着になったところで、七緒が入ってきた。

「柚、なんか暗いけど、どうしたの?」

 ぎくりとした。ばれてる。七緒は真剣な顔をしていた。きっちりと扉を閉めて、わたしと向き合う。

「悩みなら聞くよ」

 その声があまりにも真っ直ぐで、わたしはすこし泣きそうになった。

 ……本当なら、七緒は夏休みに寮にいる必要なんてなかった。家族との仲はいいし、帰省したくない理由もなかったはずだ。だけど、わたしが寮に残るのに合わせて、七緒も残ってくれた。

 七緒は、高校ではじめてできた友だちだった。入学式の日、七緒が声をかけてくれて、嬉しかったことをずっと覚えてる。

 お姉ちゃんの話を七緒にしたことはないけど、家族とうまくいっていないことは、すこしだけ話したことがあった。だからこの夏も、わたしを心配して一緒に寮に残ってくれたんだ。

 明るくて、やさしくて、大好きな友だち。

「……ちょっとだけ、凪都とうまくいかなくて、もやもやしててね」

 わたしは、ぽつぽつと話し出す。

「仲よくなれたと思ったんだけど、実はそんなんじゃなかったみたいなんだよね。凪都の悩みを解決したいって言ったら、突っぱねられちゃって」
「悩み? 凪都の?」

 こくりと、わたしはうなずく。

「凪都が悩みなんてなくなって、元気になってくれればいいなって思ったの。楽しそうに笑ってる凪都が好きだから、ずっと見ていたいなって」
「ずっと……、そっか、ずっとね……」

 七緒はつぶやいた。そのあとで、にやっと笑みを浮かべた。

「そっか、恋の悩みだね」
「……えっ?」
「青春だね、まぶしいね、いいと思うよ」

 ぐっと親指を立てる七緒に、思考が追いつかなかった。話すことに使っていたわたしの頭の領域と、恋について考える領域がちがいすぎて、理解するのに時間がかかった。だけどわかったとたんに、顔がかあっと熱くなる。

「あ、いや、七緒、これはそういうんじゃなくてね!」
「照れるなって。わたしは柚を応援するよ」
「ちが、ちがうんだってば! そうじゃなくて――」
「でもね、柚」

 七緒がふいに、笑顔を引っ込めた。

「わたしは凪都の悩みなんて知らないけどさ、柚が凪都を助けたいって思うなら、そうすればいいと思うよ。凪都がなんて言おうと、柚のしたいようにしな」
「え」
「詳しい状況がわからないから、もしかしたら的外れなアドバイスしてるかもだけど……、でも柚に後悔が残らないようにしたら、それでいいと思うよ」

 後悔が残らないように? わたしはその言葉を心の中で繰り返して、考えた。……このままの状況は嫌だ。だけど凪都がもういいって言ってるのに、わたしが勝手に世話を焼こうとするのも、自分勝手みたいで嫌だ。でも、どちらか後悔のすくないほうを選べと言われたら。

「……どうにかしたい。凪都には、笑っていてほしい」

 もともとわたしは、凪都を死なせたくない、夏休みを楽しんでほしいって、そう思って、この夏をはじめたはずだった。現状維持なんてしたくない。

「うん。それでいいと思うよ。わたしは、そういう柚のやさしいとこ、大好きだからさ。頑張れ、柚」

 七緒は笑って、わたしの背中をぱしんと叩いた。