ひとは死んだらもどってこない。取り返しのつかないものが、死だと思う。なのにいつだって「死にたい」と願うわたしの最悪の同級生は、今日も憂鬱そうに窓辺のテーブルに座っていた。学校の図書室、すみの席だ。

 ひとの目を集める整った容姿をしているくせに、こうしてひとりでいるとき、凪都(なぎと)はふらっと消えちゃいそうな雰囲気をまとう。それが、わたしを不安にさせた。

 ――相変わらずだなあ、もう……。よし。

「おはよう、凪都」

 本棚のすみで深呼吸して笑顔をつくり、一歩踏み出した。でも、彼はふり向かない。

 ……無視? いや、わたしの声が小さかった?

「凪都? おーい、おはよう」

 手をふって、声を大きくして言ってみる。凪都はゆっくりと夢から覚めたみたいな顔をして、わたしを見た。

「……柚?」
「うん、柚です……けど、え、そんなに驚く? どうしたの、眠い?」

 夏休みだから、だらけちゃうのもわかるけどさ。

 ちらりと、窓の外に目を向けてみる。坂の上にある校舎、しかもここは三階だから、海がよく見えた。サーファーや水着姿の観光客の姿がある。さすが、神奈川の観光地。賑やかだ。その景色に、夏休みだな、と実感させられる。

「……寝ぼけてるのかな、俺。んー……、そうかも?」

 凪都は寝起きみたいな、かすれた声で笑った。その瞬間、どきりとして、体温が五度くらいは下がった気がした。

 ……ちがった。眠そう、なんかじゃなかった。

 これは、この世界を見てなくて、ひたすら死を見つめてぼんやりしている瞳だ。いままで見た中で一番ひどい、死にたがりの顔。なんで。

「柚は? なんでここにいるの」
「え、あ……」

 訊かれて、我に返った。わたしは緊張でふるえはじめていた手をぎゅっと握る。

「凪都がここにいるかな、と思って」
「俺に会いに来たってこと?」
「まあ、そんなところ。まだ……、ちゃんと生きているかな、って。夏休み、楽しめてるかな、って――」
「……なにそれ。柚はほんとおせっかい」

 呆れたみたいに、凪都が笑って言う。わたしの心臓の音は、強く打って鳴りやまない。

「見てのとおり、死にきれずにここにいるよ」
「……まだ、死にたいって思ってる?」
「さあ、どうだろ」

 はぐらかすような言い方に、眉が寄った。

 生きてるか死んでるかなんて物騒な話題だけど、わたしたちの間ではよくある話だ。だって、三芝(みしば)凪都は死にたがりで、うそつきだから。きっとわたしだけが、そのことを知っていた。

 ――夏の終わりは、自殺するひとが増えるらしい。

 わたしは夏が怖い。この世界から、だれかがいなくなる。想像するだけで、いつだって腹の底が冷たくなるんだ。いまも、喉をきゅっと絞められているみたいに、息苦しくてたまらない。どうして死のうと思うんだろう。

 この夏の終わり、凪都が死ぬんじゃないか。そんな予感に襲われて、怖くなった。

「ねえ、凪都。夏休み、楽しんでよ。生きたいって思えるくらいに」
「……俺のことより、自分のこと考えたら? 柚は夏休みの予定ないの?」
「え?」

 わたしか……。すこし考えて、苦笑する。

「ない、ね」

 残念なことに、帰省の予定も、友だちと遊びに行く予定も、そんなにない。この夏は、寮にずっといることになっていた。

「だめじゃん。ひとの心配してる場合?」

 突っ込まれて、たしかにと苦笑を深める。ひとに言える立場じゃなかったかも。それから凪都はすこし考えて、わたしの予想していなかったことを言った。

「じゃあ、柚が夏休みを楽しめるように、俺が手伝ってあげようか」

 ……手伝う?

「どうせ俺はやることないし。遊びに行くでも、だらだらするでも、彼氏とひと夏過ごしたいでも、なんでも叶えるよ。あ、彼氏ほしいって言った場合は、俺とつきあうことになるけどね、手っ取り早いし」
「え」
「俺は恋愛興味ないけど、高校生の大半は恋人ほしいとか言うでしょ。柚は? そういう希望あるの?」
「な、ないけど……」
「ほんとに?」

 突然、凪都の手がのびてきた。わたしの白いセーラー服から伸びた手首をつかまえる。ひんやりとした凪都の指が手首から指先へ、すーっとなぞっていく感覚に、わたしの鼓動が速くなる。指先までたどり着くと、わたしの指を絡めとる。いわゆる、恋人つなぎ。

 ……な、なんで?

 まずい、絶対、顔真っ赤になってる。

「ちょっと、凪都……!」
「そんな赤くならなくてもいいのに」

 凪都はからかうように笑って、指を離す。もう……、なんなの。

 わたしはうつむいて髪で顔を隠すと、そっぽを向いた。ボブの髪は、赤面を隠すのにはすこし短すぎる。凪都の行動はときどき突拍子がなくて、困る。

「とにかく、俺はこの夏、柚のわがままに全部つきあう、ってゲームをすることに決めた。だから、よろしく、柚」

 ……うん、やっぱり凪都の考えることって、よくわからない。マイペースめ。

「そのゲーム、凪都は楽しいわけ?」
「さあ? でも、暇つぶしにはなるんじゃない? で、なにがしたい?」

 凪都と夏を過ごすことは決定事項みたいだった。でもまあ……、いっか。凪都と夏を過ごせる理由ができたなら、喜ぶべきだ。いまの凪都を放っておくのは怖いから。

 勝負は、この夏休みの期間、一か月とちょっと。

 夏の終わりに凪都を失わないよう、わたしは彼の提案を利用する。

「わかった。そのゲーム、乗った」

 すこしいびつな夏休みが、はじまった。