海沿いから、住宅街へ抜ける。知らない道を通るのは新鮮だった。でも、すこし行ったところで、見覚えがあるような気がしてきた。この道って、たしか。
「柚、休憩」
「……あ、ここ」
凪都が指で示したのは、お祭りの日に、わたしと凪都が来た公園だった。あの夜はわたしたちしかいなかったけど、いまは子どもたちが遊んでいて賑やかだった。ほんのちょっとだけ、苦い思いが胸に湧いた。やっぱり、お姉ちゃんのことはそう簡単に割り切れるものじゃない。だけどいまは、凪都のことを考えたい。
「あ、三芝くーん、ちょっと交ざっていかない?」
わたしたちが自販機で飲み物を買って休んでいると、ふいに声をかけられた。遊具があるスペースの横。バスケのコートにいるひとたちが、凪都を見て手をふっていた。
「だれ……?」
「大学生。たまにここでバスケしてて、交ぜてもらってるんだ」
凪都の言葉に、わたしは目をまたたいた。
「凪都が、バスケするの?」
「するよ。たまにはね。柚はここで見てて」
戸惑うわたしを置いて、凪都はコートに入っていった。大学生の男のひとたち三人全員と顔見知りらしくて、気さくな雰囲気だ。てっきり凪都は、バスケがトラウマになっているんだと思ったのに。
大学生に交じってボールを追いかける凪都は、ためらいも臆病さも、なにも感じさせなかった。ドリブルして、相手を避けて、シュートして。がこん、とボールがリングをくぐる。
「おお、さすが三芝くん!」
――なんだ、結構、楽しそうじゃんか。
図書室にいる凪都とも、夜に散歩をする凪都とも、ちがった顔だった。コート上で器用に立ち回る姿に、つい見とれる。ひとつひとつの動作が流れるみたいに進んでいくから、目で追いたくなるんだ。
「ただいま」
「おかえり。上手だね、凪都」
十分くらいゲームに参加してからもどってきた凪都は、肩をすくめた。
「ちょっと練習すればエースになれる感じ、するだろ」
あ……、と返す言葉に戸惑う。
まだバスケをしている大学生たちを見ながら、凪都はつぶやいた。
「こういう遊びでするなら、バスケもいいと思うんだ。でも真面目に部活なんて、俺には無理。部の雰囲気を壊すことしかできないから」
自分を馬鹿にしていて、もう全部諦めたみたいな口調だった。……でも、なんか、それって。
「凪都は、やさしいんだね」
「え……?」
「ひとに迷惑をかけたくない、って思ってるんでしょ?」
凪都はぽかんとする。最近、凪都のそういう顔を見ることが増えた。油断しているというか、自然体というか。打ち解けてきているみたいで、ちょっと嬉しい。
きっと凪都は悪く捉え過ぎていんだよ。
「部員に迷惑かけたくないから、部活は嫌だって思ってるんだよね?」
「いや……、俺は面倒ことに関わりたくないってだけなんだけど」
「そうかな? 凪都が中学のことで一番気にしてるのって、幼なじみのあのひと……、諒さんに迷惑をかけたってことだと思ったんだけど、ちがう?」
自分のせいで、大切なひとを困らせた。その罪悪感。そういう気持ちなら、わたしにもわかる。だって、わたしだって自分のせいでお姉ちゃんが死んだ、って思ってるから。
胸がつきんと痛んだ。凪都がそんな苦しさを抱えて生きていくのは、見たくない。
「友だちが部活やめて、部内の空気が最悪になって。……そういうことを気にするのは、やさしいひとだからだと思う」
それに、いままでわたしは、何度も凪都に助けてもらっている。凪都のやさしさを、わたしは知っているから。だから、そんな凪都が誤解されて陰口を言われるなんて、嫌だった。
「諒さんのこと、どうにかしてみない?」
わたしは、凪都を見つめた。凪都は呆気に取られたみたいにわたしを見ていた。だけど沈黙のあと、首をふる。
「前にも言ったけど、もう終わったことだから、柚が気にする必要はないよ」
「でも、諒さんと仲直りすることなら、いまからでも遅くないでしょ」
「遅いんだよ。あんなの、しょうもないことなんだから、もういいんだって」
わたしの眉が寄った。なんで……?
「しょうもないことなら、解決するのだって簡単でしょ。だったら、どうにかすればいいんだよ」
まだ遅くなんてない。だって、諒さんも凪都も生きてるじゃん。ふたりなら、いくらでもやり直しができる。生きてるうちなら、何度でも。
「こんなところで諦めないでよ。悩みなんて、早く解決しちゃおう」
「だからいいんだって」
「でも、凪都だってずっと悩んでるんだよね。どうにかしたいでしょ?」
「したくない」
「じゃあ……、じゃあ、そんな暗い顔しないでよ……!」
平行線の会話がもどかしくて、わたしの声が大きくなった。
凪都がそんな顔しなかったら、わたしだって鬱陶しく凪都に絡んだりしない。でも、ちがうじゃん。凪都がずっと死にたそうな、苦しいですって訴えてくるような、そんな瞳をしているから。わたしは。
「わたしは、笑ってる凪都が好きだから。ずっと見ていたいんだよ! だから、どうにかしようよ! どうにかさせてよ!」
精一杯、そう言った。とたんに、凪都はぴたりと口を閉ざす。
……あれ、いま、わたしなんて言った?
好き、って言った?
勢いのままに飛び出した自分の言葉に気づいて、はっとした。一気に顔に熱が集まる。ちがう、わたしが言いたいのは、そういうことじゃなくて……!
「――無理だって」
凪都が、ぽつりと言葉をこぼした。それでわたしも、我に返る。
「もういまさら、遅い」
その言葉は、意外なくらいに重たくて、わたしたちの間に沈みこんだ。凪都は自分の髪をぐしゃりとまぜる。泣きそうな、痛そうな、苦しそうな、わたしの胸を刺すような表情で。今度固まったのは、わたしのほうだった。
「凪都? 遅いって、どういうこと?」
「柚がどれだけ頑張ったって、もう遅いんだよ」
「え……?」
「なのに、なんで柚はそんなに頑張るかな。虚しくなるから、やめてほしいんだけど」
意味がわからなかった。
「どういうこと? ごめん、よくわからないんだけど……」
凪都はまた諦めた顔で、ふっと笑った。
「ごめん、柚が悪いわけじゃない。どっちかといえば、俺が全部悪いんだ」
帰ろう、と公園を出ていく凪都を、わたしは見つめた。空気に溶けてしまいそうな、弱弱しい姿を、じっと見る。
――意味、わかんないよ。
わたしは、凪都の悩みを聞いたから、彼のことをわかった気になっていた。だけど、全然ちがったみたいだ。近づいたと思った凪都との距離は、まだまだ遠い。凪都は、まだわたしに言っていないことがある。それも、なにかとても大切なことを、凪都は隠しているのかもしれない。
「柚、休憩」
「……あ、ここ」
凪都が指で示したのは、お祭りの日に、わたしと凪都が来た公園だった。あの夜はわたしたちしかいなかったけど、いまは子どもたちが遊んでいて賑やかだった。ほんのちょっとだけ、苦い思いが胸に湧いた。やっぱり、お姉ちゃんのことはそう簡単に割り切れるものじゃない。だけどいまは、凪都のことを考えたい。
「あ、三芝くーん、ちょっと交ざっていかない?」
わたしたちが自販機で飲み物を買って休んでいると、ふいに声をかけられた。遊具があるスペースの横。バスケのコートにいるひとたちが、凪都を見て手をふっていた。
「だれ……?」
「大学生。たまにここでバスケしてて、交ぜてもらってるんだ」
凪都の言葉に、わたしは目をまたたいた。
「凪都が、バスケするの?」
「するよ。たまにはね。柚はここで見てて」
戸惑うわたしを置いて、凪都はコートに入っていった。大学生の男のひとたち三人全員と顔見知りらしくて、気さくな雰囲気だ。てっきり凪都は、バスケがトラウマになっているんだと思ったのに。
大学生に交じってボールを追いかける凪都は、ためらいも臆病さも、なにも感じさせなかった。ドリブルして、相手を避けて、シュートして。がこん、とボールがリングをくぐる。
「おお、さすが三芝くん!」
――なんだ、結構、楽しそうじゃんか。
図書室にいる凪都とも、夜に散歩をする凪都とも、ちがった顔だった。コート上で器用に立ち回る姿に、つい見とれる。ひとつひとつの動作が流れるみたいに進んでいくから、目で追いたくなるんだ。
「ただいま」
「おかえり。上手だね、凪都」
十分くらいゲームに参加してからもどってきた凪都は、肩をすくめた。
「ちょっと練習すればエースになれる感じ、するだろ」
あ……、と返す言葉に戸惑う。
まだバスケをしている大学生たちを見ながら、凪都はつぶやいた。
「こういう遊びでするなら、バスケもいいと思うんだ。でも真面目に部活なんて、俺には無理。部の雰囲気を壊すことしかできないから」
自分を馬鹿にしていて、もう全部諦めたみたいな口調だった。……でも、なんか、それって。
「凪都は、やさしいんだね」
「え……?」
「ひとに迷惑をかけたくない、って思ってるんでしょ?」
凪都はぽかんとする。最近、凪都のそういう顔を見ることが増えた。油断しているというか、自然体というか。打ち解けてきているみたいで、ちょっと嬉しい。
きっと凪都は悪く捉え過ぎていんだよ。
「部員に迷惑かけたくないから、部活は嫌だって思ってるんだよね?」
「いや……、俺は面倒ことに関わりたくないってだけなんだけど」
「そうかな? 凪都が中学のことで一番気にしてるのって、幼なじみのあのひと……、諒さんに迷惑をかけたってことだと思ったんだけど、ちがう?」
自分のせいで、大切なひとを困らせた。その罪悪感。そういう気持ちなら、わたしにもわかる。だって、わたしだって自分のせいでお姉ちゃんが死んだ、って思ってるから。
胸がつきんと痛んだ。凪都がそんな苦しさを抱えて生きていくのは、見たくない。
「友だちが部活やめて、部内の空気が最悪になって。……そういうことを気にするのは、やさしいひとだからだと思う」
それに、いままでわたしは、何度も凪都に助けてもらっている。凪都のやさしさを、わたしは知っているから。だから、そんな凪都が誤解されて陰口を言われるなんて、嫌だった。
「諒さんのこと、どうにかしてみない?」
わたしは、凪都を見つめた。凪都は呆気に取られたみたいにわたしを見ていた。だけど沈黙のあと、首をふる。
「前にも言ったけど、もう終わったことだから、柚が気にする必要はないよ」
「でも、諒さんと仲直りすることなら、いまからでも遅くないでしょ」
「遅いんだよ。あんなの、しょうもないことなんだから、もういいんだって」
わたしの眉が寄った。なんで……?
「しょうもないことなら、解決するのだって簡単でしょ。だったら、どうにかすればいいんだよ」
まだ遅くなんてない。だって、諒さんも凪都も生きてるじゃん。ふたりなら、いくらでもやり直しができる。生きてるうちなら、何度でも。
「こんなところで諦めないでよ。悩みなんて、早く解決しちゃおう」
「だからいいんだって」
「でも、凪都だってずっと悩んでるんだよね。どうにかしたいでしょ?」
「したくない」
「じゃあ……、じゃあ、そんな暗い顔しないでよ……!」
平行線の会話がもどかしくて、わたしの声が大きくなった。
凪都がそんな顔しなかったら、わたしだって鬱陶しく凪都に絡んだりしない。でも、ちがうじゃん。凪都がずっと死にたそうな、苦しいですって訴えてくるような、そんな瞳をしているから。わたしは。
「わたしは、笑ってる凪都が好きだから。ずっと見ていたいんだよ! だから、どうにかしようよ! どうにかさせてよ!」
精一杯、そう言った。とたんに、凪都はぴたりと口を閉ざす。
……あれ、いま、わたしなんて言った?
好き、って言った?
勢いのままに飛び出した自分の言葉に気づいて、はっとした。一気に顔に熱が集まる。ちがう、わたしが言いたいのは、そういうことじゃなくて……!
「――無理だって」
凪都が、ぽつりと言葉をこぼした。それでわたしも、我に返る。
「もういまさら、遅い」
その言葉は、意外なくらいに重たくて、わたしたちの間に沈みこんだ。凪都は自分の髪をぐしゃりとまぜる。泣きそうな、痛そうな、苦しそうな、わたしの胸を刺すような表情で。今度固まったのは、わたしのほうだった。
「凪都? 遅いって、どういうこと?」
「柚がどれだけ頑張ったって、もう遅いんだよ」
「え……?」
「なのに、なんで柚はそんなに頑張るかな。虚しくなるから、やめてほしいんだけど」
意味がわからなかった。
「どういうこと? ごめん、よくわからないんだけど……」
凪都はまた諦めた顔で、ふっと笑った。
「ごめん、柚が悪いわけじゃない。どっちかといえば、俺が全部悪いんだ」
帰ろう、と公園を出ていく凪都を、わたしは見つめた。空気に溶けてしまいそうな、弱弱しい姿を、じっと見る。
――意味、わかんないよ。
わたしは、凪都の悩みを聞いたから、彼のことをわかった気になっていた。だけど、全然ちがったみたいだ。近づいたと思った凪都との距離は、まだまだ遠い。凪都は、まだわたしに言っていないことがある。それも、なにかとても大切なことを、凪都は隠しているのかもしれない。