夏祭りに行って、お姉ちゃんの話をして、それから凪都の話を聞いて。そんな怒涛の二日間のあとの数日は、退屈なくらい穏やかだった。
昼過ぎに図書室に行けば、じめじめしていそうな小説をそばに置いて、凪都は眠っていた。机に突っ伏している肩が、かすかに上下している。
――今日は、狸寝入りじゃなさそう?
わたしは、となりにそっと座った。
夏休みも三分の一が過ぎようとしている。早いな、と思った。終わってほしくない。この夏がずっとつづけばいいのに。こっそりとため息をついた。夏の終わりを思うと、胸が苦しくなる。お姉ちゃんが死んだ時期で、凪都が死んでしまわないか心配で、胸の中をぐちゃぐちゃにかき回したみたいに不安になる。
凪都が身じろぎをして、ゆっくりと身体を起こした。
「おはよう、凪都」
声をかけたけど、凪都はぼんやりとしていて、わたしを見なかった。寝ぼけてる?
「凪都」
こっちを見ない。なんだか、わたしと凪都の間に見えない壁があるみたいだ。凪都の黒い瞳は空ろで、死にたがりのそれだった。というより、なんだか……。もうここに存在していないみたいな、まるで幽霊みたいな、そんな雰囲気だった。
ぞくりと寒気に襲われた。
「凪都、……ねえ!」
「……あ、柚。いたんだ」
やっと、こっちを見た。
「いたよ、ずっと」
「そう。悪い。眠くて」
悩みを知ったせいで、凪都の「死にたい」って思いが、たしかな感触を持ってわかるようになっていた。だから怖くなる。お姉ちゃんと、凪都が重なった。凪都は自分の悩みを、小さなことだって言った。だけど、凪都と同じようにまわりのひとと喧嘩して、お姉ちゃんは死んだ。死ぬ理由は、小さいも大きいも関係ない。
「夜ふかししてるからじゃない? 不良少年」
わたしは自分の不安をまぎらわせるために、つっけんどんに言った。凪都は苦笑を浮かべる。
「柚も不良少女のくせに」
「わたしはたまにしか夜歩きしてないよ。凪都は毎日でしょ?」
「そうだけど。でも、俺は早起きもしてるから、健康少年でもあるし」
「え?」
早起き? 凪都が?
凪都が図書室に来るのはいつも十時や十一時だったから、遅くまで寝ているんだと思っていた。わたしの顔を見て、凪都は苦笑を深める。
「その顔、疑ってる? なら明日、七時に校門に来なよ。待ってるから」
「校門?」
「そう、できればジャージで。あと自転車乗ってきな」
ジャージに自転車って、どこか行くのかな。どうせ予定はないし、いいんだけど。七時……、ってことは、六時起きだ。ちょっと、げっそりする。でもせっかく凪都が誘ってくれているんだから、行きたい。
「わかった。じゃあ明日ね」
その日は早めに眠って、つぎの日、予定どおり六時に起きた。七緒はまだ眠っているから、静かに支度して寮を出る。春野さんのキャップをかぶって、寮の自転車を借りた。朝とはいえ、暑い。ため息をつきながら校門に向かえば、凪都がもう待っていた。
「おはよ。ちゃんと早起きだろ、俺」
ジャージにキャップをかぶっているから、わたしと同じような服装だ。
「そうみたい。夜ふかしの上に早起きなんて、睡眠時間足りてる?」
「足りてない。だから昼間眠いんだよ」
「だめじゃん」
「だめだな」
わたしが笑うと、凪都も笑った。
過去を打ち明けあったところで、凪都の様子はこれまでと変わらなかった。それがいいことなのか、悪いことなのか、わたしにはわからない。
「それで、どこ行くの?」
「海辺をランニング。柚は自転車でついてきて」
「ランニングって……、凪都が?」
「意外?」
「うん。ずっと図書室にいるイメージだったし。あ、でも元バスケ部だもんね。結構アウトドア派なのかな」
「運動がめちゃくちゃ好きってわけじゃないけど、朝走るのは気持ちいいよ」
ほら出発、と凪都は慣れた様子で走り出した。わたしもあわてて自転車にまたがって、あとを追う。高校の外にある坂をくだって、海沿いの道に出た。いつも走っているコースなのか、凪都は迷う様子もなく走っていく。
自転車で進んでいると、潮風を全身に感じて気持ちがよかった。海面が朝日を浴びている景色も、心のもやもやを吹き飛ばしてくれるくらいに、きれいだ。
「たしかに、早朝ランニング、楽しいね」
「ん」
自分の足で走っている凪都は、短く答えるだけだ。すこしだけ、からかいたくなる気持ちが首をもたげた。
「頑張れ、凪都ーっ!」
ぐん、とペダルをこぐ。それまでは凪都の横につき従うみたいに走っていたけど、わたしが前を行く形になった。
「ちょっと、柚、速いんだけど……!」
凪都の焦った声。わたしは笑って、ペダルをこぐ足に力を入れる。
「大丈夫、凪都ならついてこられるよー」
「自転車で、楽だから、って、調子乗るなっ」
そう言いつつ、凪都はスピードを上げて、しっかり自転車のわたしについてくる。
「すごいね、凪都。頑張れー」
「柚、けっこう、鬼だな!」
「ふふ、ごめん」
だって、朝陽はまぶしいし、海はきれいだし、風は涼しいし。笑い声も出ちゃうってものだ。いつも飄々としている凪都より優位に立てるのも、面白い。
まあ、よく考えれば凪都がわたしの速さに合わせる必要なんてどこにもないんだけど。でも凪都はわたしのからかいに乗ってくれた。凪都も、楽しんでくれているのかな、なんて、わたしはまた嬉しくなる。
――こんな時間が、ずっとつづけばいい。
最近よく考えることを、また心の中でつぶやく。
わたしは凪都に笑っていてほしい。嫌なこと全部忘れて、楽しいって思ってほしいんだ。だって凪都の本当の笑顔はきらきらしていて、きれいだから。
昼過ぎに図書室に行けば、じめじめしていそうな小説をそばに置いて、凪都は眠っていた。机に突っ伏している肩が、かすかに上下している。
――今日は、狸寝入りじゃなさそう?
わたしは、となりにそっと座った。
夏休みも三分の一が過ぎようとしている。早いな、と思った。終わってほしくない。この夏がずっとつづけばいいのに。こっそりとため息をついた。夏の終わりを思うと、胸が苦しくなる。お姉ちゃんが死んだ時期で、凪都が死んでしまわないか心配で、胸の中をぐちゃぐちゃにかき回したみたいに不安になる。
凪都が身じろぎをして、ゆっくりと身体を起こした。
「おはよう、凪都」
声をかけたけど、凪都はぼんやりとしていて、わたしを見なかった。寝ぼけてる?
「凪都」
こっちを見ない。なんだか、わたしと凪都の間に見えない壁があるみたいだ。凪都の黒い瞳は空ろで、死にたがりのそれだった。というより、なんだか……。もうここに存在していないみたいな、まるで幽霊みたいな、そんな雰囲気だった。
ぞくりと寒気に襲われた。
「凪都、……ねえ!」
「……あ、柚。いたんだ」
やっと、こっちを見た。
「いたよ、ずっと」
「そう。悪い。眠くて」
悩みを知ったせいで、凪都の「死にたい」って思いが、たしかな感触を持ってわかるようになっていた。だから怖くなる。お姉ちゃんと、凪都が重なった。凪都は自分の悩みを、小さなことだって言った。だけど、凪都と同じようにまわりのひとと喧嘩して、お姉ちゃんは死んだ。死ぬ理由は、小さいも大きいも関係ない。
「夜ふかししてるからじゃない? 不良少年」
わたしは自分の不安をまぎらわせるために、つっけんどんに言った。凪都は苦笑を浮かべる。
「柚も不良少女のくせに」
「わたしはたまにしか夜歩きしてないよ。凪都は毎日でしょ?」
「そうだけど。でも、俺は早起きもしてるから、健康少年でもあるし」
「え?」
早起き? 凪都が?
凪都が図書室に来るのはいつも十時や十一時だったから、遅くまで寝ているんだと思っていた。わたしの顔を見て、凪都は苦笑を深める。
「その顔、疑ってる? なら明日、七時に校門に来なよ。待ってるから」
「校門?」
「そう、できればジャージで。あと自転車乗ってきな」
ジャージに自転車って、どこか行くのかな。どうせ予定はないし、いいんだけど。七時……、ってことは、六時起きだ。ちょっと、げっそりする。でもせっかく凪都が誘ってくれているんだから、行きたい。
「わかった。じゃあ明日ね」
その日は早めに眠って、つぎの日、予定どおり六時に起きた。七緒はまだ眠っているから、静かに支度して寮を出る。春野さんのキャップをかぶって、寮の自転車を借りた。朝とはいえ、暑い。ため息をつきながら校門に向かえば、凪都がもう待っていた。
「おはよ。ちゃんと早起きだろ、俺」
ジャージにキャップをかぶっているから、わたしと同じような服装だ。
「そうみたい。夜ふかしの上に早起きなんて、睡眠時間足りてる?」
「足りてない。だから昼間眠いんだよ」
「だめじゃん」
「だめだな」
わたしが笑うと、凪都も笑った。
過去を打ち明けあったところで、凪都の様子はこれまでと変わらなかった。それがいいことなのか、悪いことなのか、わたしにはわからない。
「それで、どこ行くの?」
「海辺をランニング。柚は自転車でついてきて」
「ランニングって……、凪都が?」
「意外?」
「うん。ずっと図書室にいるイメージだったし。あ、でも元バスケ部だもんね。結構アウトドア派なのかな」
「運動がめちゃくちゃ好きってわけじゃないけど、朝走るのは気持ちいいよ」
ほら出発、と凪都は慣れた様子で走り出した。わたしもあわてて自転車にまたがって、あとを追う。高校の外にある坂をくだって、海沿いの道に出た。いつも走っているコースなのか、凪都は迷う様子もなく走っていく。
自転車で進んでいると、潮風を全身に感じて気持ちがよかった。海面が朝日を浴びている景色も、心のもやもやを吹き飛ばしてくれるくらいに、きれいだ。
「たしかに、早朝ランニング、楽しいね」
「ん」
自分の足で走っている凪都は、短く答えるだけだ。すこしだけ、からかいたくなる気持ちが首をもたげた。
「頑張れ、凪都ーっ!」
ぐん、とペダルをこぐ。それまでは凪都の横につき従うみたいに走っていたけど、わたしが前を行く形になった。
「ちょっと、柚、速いんだけど……!」
凪都の焦った声。わたしは笑って、ペダルをこぐ足に力を入れる。
「大丈夫、凪都ならついてこられるよー」
「自転車で、楽だから、って、調子乗るなっ」
そう言いつつ、凪都はスピードを上げて、しっかり自転車のわたしについてくる。
「すごいね、凪都。頑張れー」
「柚、けっこう、鬼だな!」
「ふふ、ごめん」
だって、朝陽はまぶしいし、海はきれいだし、風は涼しいし。笑い声も出ちゃうってものだ。いつも飄々としている凪都より優位に立てるのも、面白い。
まあ、よく考えれば凪都がわたしの速さに合わせる必要なんてどこにもないんだけど。でも凪都はわたしのからかいに乗ってくれた。凪都も、楽しんでくれているのかな、なんて、わたしはまた嬉しくなる。
――こんな時間が、ずっとつづけばいい。
最近よく考えることを、また心の中でつぶやく。
わたしは凪都に笑っていてほしい。嫌なこと全部忘れて、楽しいって思ってほしいんだ。だって凪都の本当の笑顔はきらきらしていて、きれいだから。