寮にもどると、七緒たちがわたしを待っていた。不安そうな視線が、わたしに集まる。
「柚……、あの、ごめんね、わたしたち」
「ううん。大丈夫だよ」
わたしは心配をかけないように、笑ってみせた。もう一度お姉ちゃんの話をするには、勇気と気力が足りなかった。だから「大丈夫」のひと言しか伝えられない。でも事実、いまは息ができていたし、笑えていた。
すこし気まずい雰囲気の中、それぞれの部屋にもどった。ベッドに寝転びながら天井を見つめると、頭に浮かんだのは両親のことだった。お姉ちゃんが死んだあと、家にはぎこちない雰囲気がずっと漂っていた。お母さんたちは、わたしになにも言わなくなった。ふたりとも、わたしにやさしくすると、お姉ちゃんへの罪悪感でつぶれそうになるからだと思う。
わたしも、どうすればいいのかわからなかった。だからわたしは高校で寮に入ったし、夏休みも帰らないと伝えた。
――お母さんたちとも、話したほうがいいのかな。
そろそろ、みんなでお姉ちゃんの死と向き合うべきかもしれない。
寝返りを打つ。
公園で、凪都は自分の悩みを「明日教える」って言った。明日になれば、凪都の死にたがりの理由がわかる――そう思うと落ち着かなくて、なかなか眠れなかった。でも、「もうどうでもいいことだから」って、なんなんだろう。前も、同じようなことを聞いた気がする。自分の悩みはどうでもいいことだった、って。凪都の中では、もう終わったことなのかな。
浅い眠りのあと、目が覚めた。気持ちはまだ重いままだったけど、まずは七緒に心配をかけたくなくて、笑顔をつくった。
「おはよう、七緒」
元気に、明るく。不安は隠して。その思いが伝わったのか、七緒も安心したみたいに笑ってくれた。
十一時になって、寮を出た。凪都は、図書室でわたしを待っていた。
「おはよ、柚。いこ」
いつもと同じ表情。悩みを打ち明ける気配なんて全然感じさせずに、外に向かう。
「ここで話すんじゃないの?」
「見てもらったほうが早いから。……俺も、あいつのこと、気になってたし」
あいつ?
「あ、そうだ」
急いで追いかけていたわたしを、凪都がふり返る。キャップのつばを、ぐいと下げられた。
「わ、なに?」
昼間、外に出るときは、いつも春野さんから借りたキャップをかぶっている。最初のうちは返していたけど、「ずっと持ってていいから、出歩くときはかぶってね」と言われて、いまでは借りっぱなしになっていた。
「帽子、深くかぶっておきな」
「なんで?」
「見られると面倒だから。運動部って暑苦しいし。絡まれるの嫌だろ」
よくわからないまま、体育館に向かう。ボールの跳ねる音と、シューズが床をキュッキュと鳴らす音が聞こえてきた。今日の体育館は、バスケ部が使っているみたいだ。
「中学のとき、バスケ部だったって話したけど、そのときの相方があそこにいるんだ」
――凪都の死にたい理由も、そこにあるってことだよね。
わたしはすこし緊張しながら、凪都のあとを追った。体育館の扉は、すこしだけ開かれていた。そのすき間から、中で活動している部員の姿が見える。みんな汗だくで、運動部って大変そう……。そんなことを考えている間に、凪都が扉のすき間を広げた。
熱気の中にいたひとたちの視線が、わたしたちに向く。ほとんどのひとは、きょとんとしていた。だけどその中に、険しい顔をする男子が数人と、すこし気まずそうな顔をする男子がひとりいた。
「相変わらず熱心だな、諒」
凪都が声をかけたのは、気まずそうにしている部員だ。すこし明るい髪色をしていて、人懐っこそうなひとみを持っている男子。
「凪都……、どうしたんだよ、めずらしいな」
諒と呼ばれた男子は、眉を八の字にしてぎこちない笑みを浮かべた。その瞬間、わたしは、あ、と気づく。この声、聞いたことがある。前に、凪都とはじめて夜の散歩をした日、男子寮で。
『大体、あいつ調子乗ってるし』
『わかるー。先輩の彼女を取ったんだろ? まじ、えぐいよな。なあ?』
『あー……、うん、そうだな』
陰口を言っている男子の中で、最後にためらいがちに答えたのが、この声だった。ひとりだけ乗り気じゃなさそうなのが気になって、ずっと耳に残っていたんだ。
「で、なにしに来たんだよ、おまえ」
険しい顔をしたべつの男子が言った。
「凪都、いまさら部活に入る、なんて言わないよな?」
「言わない。ただ様子を見に来ただけだ。諒がちゃんとバスケしてるかどうか」
「は? ……おまえがそれ言うわけ? 諒がバスケやめたのは、おまえのせいだろ!」
淡々と話す凪都を、相手の男子は鋭くにらみつける。
――どういうことなの?
彼らと凪都の関係が、よくわからない。だけど、空気が最悪なことだけはわかって、見ているだけのわたしの手に汗が浮かぶ。
凪都は諒さんを見て、静かに言った。
「諒が楽しそうでよかった。もうおまえの邪魔はしないから、安心しろよ」
彼らに背を向けて、わたしに言う。
「行くよ、柚」
「あ……」
どうしよう。凪都と、バスケ部のメンバーの間で視線を行き来させる。このまま出ていっていいのかな。だけど、わたしにできることが思いつかない。結局、お辞儀だけして、凪都を追いかけた。
「女連れで遊びに来るとか、なめてるよな」
後ろでそんな声がして、心臓がどきりと鳴った。
「先輩の彼女奪ったくせに」
「雰囲気悪くするだけなのに、なんで来るんだよ。腹立つ」
刺さるような言葉が、背中に飛んでくる。だけど凪都はなにも言わずに、体育館から離れた。向かう先は、図書室だ。
「嫌われてるだろ、俺」
凪都はいつもの席に座って、なんてことないような口調で言った。でもどこか空虚な響きがあって、居心地が悪い。そうだね、とも、そんなことないよ、とも言えなくて「ん……」と曖昧に濁すしかない。
「はっきり言っていいよ」
「……まあ、仲よしには、見えなかったかな」
「柚はやさしいな。ちゃんと気をつかってくれる」
よしよし、とからかうみたいに頭に手が乗せられた。瞬間、小さく心臓が跳ねたけど、顔が熱くなることはなかった。この空気じゃ、凪都のそんな態度までわたしを不安にさせる。空元気じゃないの、って。
「……さっきのひとたちのことで、悩んでるの? 中学の部活でなにかあった?」
そっと訊いてみた。昨日はわたしの過去を話した。今度はわたしが聞く番だ。それで、できることなら……凪都の心を軽くしてあげたい。死にたいなんて言わないくらいに。
凪都は口もとに浮かべた笑みを崩さずに、話し出した。
「俺はさ、基本的に器用でなんでもできるし、もてるんだよね」
「……うん、そうだね」
「あ、否定しないんだ?」
「事実だし」
お褒めの言葉ありがとう、と凪都は言った。
「さっきいた、おひとよしそうな男子、諒っていうんだけど、俺の幼なじみなんだ。あいつ、いいやつなんだよ。ちょっと柚に似てるかも」
「わたしに?」
目をまたたくと、凪都はもう一度わたしの頭をぽんぽんなでる。
「ド真面目だし、面倒なくらい俺に構ってくる」
「……褒めてる?」
「褒めてるよ」
凪都は喉を鳴らして、手をおろす。
「バスケ部は、諒に誘われて入ったんだ。あいつ、本当にバスケが好きで、実力もあって、部活が楽しそうだった。だけど」
一瞬、本当にわずかな間を開けて。
「俺が全部壊した」
凪都は頬杖をついて、窓の外を見た。海と空の青さに、まぶしそうな顔をする。
「諒は、一年のときにはもうスタメン入りしてた。でも俺が練習したら、諒よりうまくなる自信があったんだ」
「え?」
「実際、練習したらどんどん諒の実力に追いついた。だから、手を抜くことにした」
手を抜く……。先の展開を予想させる不穏さがあって、わたしは眉をひそめた。
「バスケのことが好きで真面目にやってる諒より、適当な気持ちでやってる俺がうまくなるのは変だと思ったんだよ。でも一年の終わりに、それが諒にばれて」
凪都が口もとをわずかに歪ませる。
「こっちは全力でやってるのに、中途半端なことするな、って怒られたんだ。凪都が手を抜いたおかげでエースになれたって嬉しくない、って」
「……そうなんだ」
「手抜きの噂は広がって、部の空気は悪くなった。もともと俺は、男子に煙たがられることが多かったから、慣れてたけどさ。でも、俺目当ての女子が見学に来ることがたまにあって、『おまえのせいで集中できない』って部員ににらまれたり。『先輩の彼女を奪っただろう』とか責められたりもして」
「……凪都はそんなことしないでしょ」
すこし前――男子寮で陰口を聞いたときは疑ったこともあったけど、いまはわかる。凪都はひとを傷つけるようなことはしない。だって凪都は、やさしいじゃんか。
凪都は一瞬ぽかんとしてから、肩の力を抜くみたいに笑った。
「そうそう、しないよ。俺、恋愛興味ないから」
「女の子たちが見学に来るのだって、凪都が呼んだわけじゃないんだから。そんなことで責められるなんて、おかしいよ」
胸の内がむかむかしていた。手を抜いていたのは凪都も悪いと思うけど、後半の話は全部濡れ衣だ。そんなことで凪都が責められるのは、嫌だった。
「ありがと。かばってくれて」
凪都はわたしを見て笑った。でもどこか冷めた目をしていた。
「柚みたいなやつばっかりだったら、よかったんだけどさ。でもそうじゃない。部員も女子も、馬鹿しかいない。……まあ俺含めて、だけど」
その言葉には、諦めの色がにじんでいた。もう一度、凪都は窓の外に視線を向ける。
「諒は二年の途中で、部活をやめたんだ。俺のせい」
そういえば、体育館でそんなことを聞いたっけ。
「多分、俺がいないほうがよかったんだ。きっとこれからも、そういうことばっかり起きる。……そう思うと、面倒くさくて、全部どうでもよくなるんだ」
どうでもいい。生きることも……?
さて、と凪都は伸びをする。
「俺の話は以上。つまんない話だろ。柚の悩みに比べたら、小さいことだし」
自嘲気味な笑みに、わたしはゆっくり首をふる。
「……つまんなくない。凪都が悩んでるんだから、大切なことだよ」
友だちと喧嘩して。まわりのひとには変な噂を立てられて。だれも信じられなくなって。そんな生活、嫌気だって差すかもしれない。だからって、死んでほしくはないけど。
状況はちがうけど、凪都の姿にすこしだけ、お姉ちゃんが重なった。だから余計に、凪都のことを放っておきたくない。
凪都はすこしの時間、無言でわたしを見て、つぶやいた。
「もういいんだよ。終わったことだから」
また、過去形だ。この問題にも、これからの未来にも、見切りをつけているから? それは、寂しいよ。
胸がずきんと痛んだ。
「柚……、あの、ごめんね、わたしたち」
「ううん。大丈夫だよ」
わたしは心配をかけないように、笑ってみせた。もう一度お姉ちゃんの話をするには、勇気と気力が足りなかった。だから「大丈夫」のひと言しか伝えられない。でも事実、いまは息ができていたし、笑えていた。
すこし気まずい雰囲気の中、それぞれの部屋にもどった。ベッドに寝転びながら天井を見つめると、頭に浮かんだのは両親のことだった。お姉ちゃんが死んだあと、家にはぎこちない雰囲気がずっと漂っていた。お母さんたちは、わたしになにも言わなくなった。ふたりとも、わたしにやさしくすると、お姉ちゃんへの罪悪感でつぶれそうになるからだと思う。
わたしも、どうすればいいのかわからなかった。だからわたしは高校で寮に入ったし、夏休みも帰らないと伝えた。
――お母さんたちとも、話したほうがいいのかな。
そろそろ、みんなでお姉ちゃんの死と向き合うべきかもしれない。
寝返りを打つ。
公園で、凪都は自分の悩みを「明日教える」って言った。明日になれば、凪都の死にたがりの理由がわかる――そう思うと落ち着かなくて、なかなか眠れなかった。でも、「もうどうでもいいことだから」って、なんなんだろう。前も、同じようなことを聞いた気がする。自分の悩みはどうでもいいことだった、って。凪都の中では、もう終わったことなのかな。
浅い眠りのあと、目が覚めた。気持ちはまだ重いままだったけど、まずは七緒に心配をかけたくなくて、笑顔をつくった。
「おはよう、七緒」
元気に、明るく。不安は隠して。その思いが伝わったのか、七緒も安心したみたいに笑ってくれた。
十一時になって、寮を出た。凪都は、図書室でわたしを待っていた。
「おはよ、柚。いこ」
いつもと同じ表情。悩みを打ち明ける気配なんて全然感じさせずに、外に向かう。
「ここで話すんじゃないの?」
「見てもらったほうが早いから。……俺も、あいつのこと、気になってたし」
あいつ?
「あ、そうだ」
急いで追いかけていたわたしを、凪都がふり返る。キャップのつばを、ぐいと下げられた。
「わ、なに?」
昼間、外に出るときは、いつも春野さんから借りたキャップをかぶっている。最初のうちは返していたけど、「ずっと持ってていいから、出歩くときはかぶってね」と言われて、いまでは借りっぱなしになっていた。
「帽子、深くかぶっておきな」
「なんで?」
「見られると面倒だから。運動部って暑苦しいし。絡まれるの嫌だろ」
よくわからないまま、体育館に向かう。ボールの跳ねる音と、シューズが床をキュッキュと鳴らす音が聞こえてきた。今日の体育館は、バスケ部が使っているみたいだ。
「中学のとき、バスケ部だったって話したけど、そのときの相方があそこにいるんだ」
――凪都の死にたい理由も、そこにあるってことだよね。
わたしはすこし緊張しながら、凪都のあとを追った。体育館の扉は、すこしだけ開かれていた。そのすき間から、中で活動している部員の姿が見える。みんな汗だくで、運動部って大変そう……。そんなことを考えている間に、凪都が扉のすき間を広げた。
熱気の中にいたひとたちの視線が、わたしたちに向く。ほとんどのひとは、きょとんとしていた。だけどその中に、険しい顔をする男子が数人と、すこし気まずそうな顔をする男子がひとりいた。
「相変わらず熱心だな、諒」
凪都が声をかけたのは、気まずそうにしている部員だ。すこし明るい髪色をしていて、人懐っこそうなひとみを持っている男子。
「凪都……、どうしたんだよ、めずらしいな」
諒と呼ばれた男子は、眉を八の字にしてぎこちない笑みを浮かべた。その瞬間、わたしは、あ、と気づく。この声、聞いたことがある。前に、凪都とはじめて夜の散歩をした日、男子寮で。
『大体、あいつ調子乗ってるし』
『わかるー。先輩の彼女を取ったんだろ? まじ、えぐいよな。なあ?』
『あー……、うん、そうだな』
陰口を言っている男子の中で、最後にためらいがちに答えたのが、この声だった。ひとりだけ乗り気じゃなさそうなのが気になって、ずっと耳に残っていたんだ。
「で、なにしに来たんだよ、おまえ」
険しい顔をしたべつの男子が言った。
「凪都、いまさら部活に入る、なんて言わないよな?」
「言わない。ただ様子を見に来ただけだ。諒がちゃんとバスケしてるかどうか」
「は? ……おまえがそれ言うわけ? 諒がバスケやめたのは、おまえのせいだろ!」
淡々と話す凪都を、相手の男子は鋭くにらみつける。
――どういうことなの?
彼らと凪都の関係が、よくわからない。だけど、空気が最悪なことだけはわかって、見ているだけのわたしの手に汗が浮かぶ。
凪都は諒さんを見て、静かに言った。
「諒が楽しそうでよかった。もうおまえの邪魔はしないから、安心しろよ」
彼らに背を向けて、わたしに言う。
「行くよ、柚」
「あ……」
どうしよう。凪都と、バスケ部のメンバーの間で視線を行き来させる。このまま出ていっていいのかな。だけど、わたしにできることが思いつかない。結局、お辞儀だけして、凪都を追いかけた。
「女連れで遊びに来るとか、なめてるよな」
後ろでそんな声がして、心臓がどきりと鳴った。
「先輩の彼女奪ったくせに」
「雰囲気悪くするだけなのに、なんで来るんだよ。腹立つ」
刺さるような言葉が、背中に飛んでくる。だけど凪都はなにも言わずに、体育館から離れた。向かう先は、図書室だ。
「嫌われてるだろ、俺」
凪都はいつもの席に座って、なんてことないような口調で言った。でもどこか空虚な響きがあって、居心地が悪い。そうだね、とも、そんなことないよ、とも言えなくて「ん……」と曖昧に濁すしかない。
「はっきり言っていいよ」
「……まあ、仲よしには、見えなかったかな」
「柚はやさしいな。ちゃんと気をつかってくれる」
よしよし、とからかうみたいに頭に手が乗せられた。瞬間、小さく心臓が跳ねたけど、顔が熱くなることはなかった。この空気じゃ、凪都のそんな態度までわたしを不安にさせる。空元気じゃないの、って。
「……さっきのひとたちのことで、悩んでるの? 中学の部活でなにかあった?」
そっと訊いてみた。昨日はわたしの過去を話した。今度はわたしが聞く番だ。それで、できることなら……凪都の心を軽くしてあげたい。死にたいなんて言わないくらいに。
凪都は口もとに浮かべた笑みを崩さずに、話し出した。
「俺はさ、基本的に器用でなんでもできるし、もてるんだよね」
「……うん、そうだね」
「あ、否定しないんだ?」
「事実だし」
お褒めの言葉ありがとう、と凪都は言った。
「さっきいた、おひとよしそうな男子、諒っていうんだけど、俺の幼なじみなんだ。あいつ、いいやつなんだよ。ちょっと柚に似てるかも」
「わたしに?」
目をまたたくと、凪都はもう一度わたしの頭をぽんぽんなでる。
「ド真面目だし、面倒なくらい俺に構ってくる」
「……褒めてる?」
「褒めてるよ」
凪都は喉を鳴らして、手をおろす。
「バスケ部は、諒に誘われて入ったんだ。あいつ、本当にバスケが好きで、実力もあって、部活が楽しそうだった。だけど」
一瞬、本当にわずかな間を開けて。
「俺が全部壊した」
凪都は頬杖をついて、窓の外を見た。海と空の青さに、まぶしそうな顔をする。
「諒は、一年のときにはもうスタメン入りしてた。でも俺が練習したら、諒よりうまくなる自信があったんだ」
「え?」
「実際、練習したらどんどん諒の実力に追いついた。だから、手を抜くことにした」
手を抜く……。先の展開を予想させる不穏さがあって、わたしは眉をひそめた。
「バスケのことが好きで真面目にやってる諒より、適当な気持ちでやってる俺がうまくなるのは変だと思ったんだよ。でも一年の終わりに、それが諒にばれて」
凪都が口もとをわずかに歪ませる。
「こっちは全力でやってるのに、中途半端なことするな、って怒られたんだ。凪都が手を抜いたおかげでエースになれたって嬉しくない、って」
「……そうなんだ」
「手抜きの噂は広がって、部の空気は悪くなった。もともと俺は、男子に煙たがられることが多かったから、慣れてたけどさ。でも、俺目当ての女子が見学に来ることがたまにあって、『おまえのせいで集中できない』って部員ににらまれたり。『先輩の彼女を奪っただろう』とか責められたりもして」
「……凪都はそんなことしないでしょ」
すこし前――男子寮で陰口を聞いたときは疑ったこともあったけど、いまはわかる。凪都はひとを傷つけるようなことはしない。だって凪都は、やさしいじゃんか。
凪都は一瞬ぽかんとしてから、肩の力を抜くみたいに笑った。
「そうそう、しないよ。俺、恋愛興味ないから」
「女の子たちが見学に来るのだって、凪都が呼んだわけじゃないんだから。そんなことで責められるなんて、おかしいよ」
胸の内がむかむかしていた。手を抜いていたのは凪都も悪いと思うけど、後半の話は全部濡れ衣だ。そんなことで凪都が責められるのは、嫌だった。
「ありがと。かばってくれて」
凪都はわたしを見て笑った。でもどこか冷めた目をしていた。
「柚みたいなやつばっかりだったら、よかったんだけどさ。でもそうじゃない。部員も女子も、馬鹿しかいない。……まあ俺含めて、だけど」
その言葉には、諦めの色がにじんでいた。もう一度、凪都は窓の外に視線を向ける。
「諒は二年の途中で、部活をやめたんだ。俺のせい」
そういえば、体育館でそんなことを聞いたっけ。
「多分、俺がいないほうがよかったんだ。きっとこれからも、そういうことばっかり起きる。……そう思うと、面倒くさくて、全部どうでもよくなるんだ」
どうでもいい。生きることも……?
さて、と凪都は伸びをする。
「俺の話は以上。つまんない話だろ。柚の悩みに比べたら、小さいことだし」
自嘲気味な笑みに、わたしはゆっくり首をふる。
「……つまんなくない。凪都が悩んでるんだから、大切なことだよ」
友だちと喧嘩して。まわりのひとには変な噂を立てられて。だれも信じられなくなって。そんな生活、嫌気だって差すかもしれない。だからって、死んでほしくはないけど。
状況はちがうけど、凪都の姿にすこしだけ、お姉ちゃんが重なった。だから余計に、凪都のことを放っておきたくない。
凪都はすこしの時間、無言でわたしを見て、つぶやいた。
「もういいんだよ。終わったことだから」
また、過去形だ。この問題にも、これからの未来にも、見切りをつけているから? それは、寂しいよ。
胸がずきんと痛んだ。