となりで、凪都が訊いた。
「泣かないんだ?」
「……泣かない。わたしに泣く権利なんてない」
「権利」
「泣いたら、みんなわたしの心配をする。一番の被害者はお姉ちゃんなのに、わたしが被害者みたいな顔をして、みんなに心配されるなんて、ありえない」
生きたがっていたお姉ちゃんを、あんな場所で死なせたのは、わたしだ。罰を受けるべきだ。ひとに甘やかしてもらう権利なんてどこにもない。だから、泣くのはだめだ。
なのに、また呼吸が乱れはじめる。自由になる手で、口もとをおおった。これだと凪都に迷惑をかけるから、ここから消えたかった。だけど立ち上がることができない。
どうしよう。
「柚」
答えられなくて、うつむいたまま、やりすごす。
凪都が動く気配がした。髪に触れられるような感覚のあと、凪都の手が、わたしの手を口もとから離した。その代わりに、頬に凪都の手が添えられる。
「な、に」
ふり払いたいのに、できなかった。凪都はわたしを見つめる。その静かな瞳に、わたしは一瞬息が止まった。深い静けさが、そこにあった。
「泣くのは、悪いこと?」
「……え?」
「俺は、ここで柚が泣いても心配なんてしないから、気にする必要ないと思うけど」
その手がとてもあたたかくて、ふっと涙腺がゆるんだ。いや、だめだ。それはだめ。
「……心配してるから、そういうこと言ってるくせに」
ひとに、迷惑をかけたくない気持ちが。
「俺はただ、となりで我慢されると反応しづらいから、泣くならさっさと泣いてほしいだけ」
凪都に泣いてすがりたい気持ちが。ぐるぐるとかき回されて、混乱した。
「心配、しないの……?」
「うん、全然。俺、薄情だし」
うそつき。こんなにあたたかい手をして、どこが薄情なんだ。凪都って、ずるい。飄々として、他人に関心なんてないって顔をして、でも本当は、こんなにやさしい。そんなのずるい。ずるすぎる。
……泣くのは、悪いことなんじゃないの?
よくわからない。その代わりに、突然、ふっと思った。
「凪都の手って、変だよね」
「ん?」
「助けてほしいなって思うときは、あったかいのに、とくになにも思ってないときにさわったら、冷たい」
「なにそれ、変温動物? 気持ちわる」
「だって、本当に、そうなんだよ」
凪都の平淡な声。心配しているようには聞こえなくて、だけど無関心でいるにしては、あたたかさがあって。変なの。それに、なに、変温動物って。すこしだけ、笑ってしまった。笑った瞬間に、涙が落ちた。
「あ」
一度こぼれたら、あとからあとから、流れ出てくる。たったすこしのきっかけで、何年も我慢していたものが、あふれてしまった。そのきっかけが「変温動物」って、どうなの? なにもかも、めちゃくちゃだ。泣きながら、笑っちゃうじゃんか。
「ほんとに……、変だよね、凪都は」
「そうかもね」
わたしが泣いていても、凪都は眉ひとつ動かさなかった。だけど、手だけはにぎっていてくれた。
わたしはこれまで、ずっと泣かなかった。お姉ちゃんが死んで悲しいはずなのに。本当は、泣いて叫びたかったのに。
しゃくりあげるような嗚咽がこぼれた。
喧嘩別れなんて、したくなかった。家を出ていく前のお姉ちゃんに、もっとべつの言葉をかけていればよかったかもしれない。普段から、もっとお姉ちゃんと話しておけば、なにかが変わったかもしれない。ごめんね、お姉ちゃん。
お姉ちゃんを失う前の時間にもどりたい。死なないで、ってお姉ちゃんの腕をつかんで、引き留めたい。でも、そんなことできない。死んだら、どうにもできない。
涙はどんどん流れていく。もっともっと、涸れるまで泣きたい。
泣いたってお姉ちゃんは救われないし、わたしの中にある罪悪感とか寂しさとかが、なくなるわけでもない。泣いたって仕方ない。そう思いながら、涙は止まらない。頭の中も感情も、全部全部ぐちゃぐちゃだ。
それなのに……、胸の内を占めていた黒くて硬くて大きなものが、ほんのすこしずつ、でもたしかに、涙に混ざって消えていくような気がした。
やっと、素直に悲しいと思えた。すこしだけ前を見据えることができたような。小学生のとき立ち止まったままだった場所から、ほんのすこし動き出せたような――、そんな、感じ。
いまさら、お姉ちゃんの死をなかったことにはできないけど、いま、となりにいる凪都の未来をつなぐことなら、わたしにもできるかな。
「……凪都は、死なないでね」
泣きながら言うわたしに、凪都は無言で視線を送ってきた。
「だれかが死ぬのは、怖い、から」
もうだれにも消えてほしくない。それに。
「わたし、凪都といるの、楽しいよ」
「……え?」
凪都にしてはめずらしく、純粋にぽかんとしていた。
「凪都に、生きてほしい」
ぐいと目もとをこすって、凪都を見上げる。あれ、と思った。
「……なに、その顔」
凪都は目をまたたき、すこし考えて、苦笑した。
「――そんなふうに言われたの、はじめてだったから」
今度はわたしが目をまたたく。そんなふう、って?
「俺も、ずっと自分のこと、生きてても仕方ないやつだって思ってたし。まあ、柚に比べたらくだらない理由だけど」
それは、はじめて聞くかもしれない、凪都の話だった。いまなら凪都との距離を、縮められるかな。心臓が耳もとで鳴ってるみたいな緊張の中で、ゆっくり問いかける。
「どういう、理由なの……?」
凪都は目を閉じて、それからわたしを見ると微笑んだ。
「知りたい?」
だけど、と凪都はわたしに言う。
「知っても、どうにかしようとか思わなくていいから。もうどうでもいいことだし」
「泣かないんだ?」
「……泣かない。わたしに泣く権利なんてない」
「権利」
「泣いたら、みんなわたしの心配をする。一番の被害者はお姉ちゃんなのに、わたしが被害者みたいな顔をして、みんなに心配されるなんて、ありえない」
生きたがっていたお姉ちゃんを、あんな場所で死なせたのは、わたしだ。罰を受けるべきだ。ひとに甘やかしてもらう権利なんてどこにもない。だから、泣くのはだめだ。
なのに、また呼吸が乱れはじめる。自由になる手で、口もとをおおった。これだと凪都に迷惑をかけるから、ここから消えたかった。だけど立ち上がることができない。
どうしよう。
「柚」
答えられなくて、うつむいたまま、やりすごす。
凪都が動く気配がした。髪に触れられるような感覚のあと、凪都の手が、わたしの手を口もとから離した。その代わりに、頬に凪都の手が添えられる。
「な、に」
ふり払いたいのに、できなかった。凪都はわたしを見つめる。その静かな瞳に、わたしは一瞬息が止まった。深い静けさが、そこにあった。
「泣くのは、悪いこと?」
「……え?」
「俺は、ここで柚が泣いても心配なんてしないから、気にする必要ないと思うけど」
その手がとてもあたたかくて、ふっと涙腺がゆるんだ。いや、だめだ。それはだめ。
「……心配してるから、そういうこと言ってるくせに」
ひとに、迷惑をかけたくない気持ちが。
「俺はただ、となりで我慢されると反応しづらいから、泣くならさっさと泣いてほしいだけ」
凪都に泣いてすがりたい気持ちが。ぐるぐるとかき回されて、混乱した。
「心配、しないの……?」
「うん、全然。俺、薄情だし」
うそつき。こんなにあたたかい手をして、どこが薄情なんだ。凪都って、ずるい。飄々として、他人に関心なんてないって顔をして、でも本当は、こんなにやさしい。そんなのずるい。ずるすぎる。
……泣くのは、悪いことなんじゃないの?
よくわからない。その代わりに、突然、ふっと思った。
「凪都の手って、変だよね」
「ん?」
「助けてほしいなって思うときは、あったかいのに、とくになにも思ってないときにさわったら、冷たい」
「なにそれ、変温動物? 気持ちわる」
「だって、本当に、そうなんだよ」
凪都の平淡な声。心配しているようには聞こえなくて、だけど無関心でいるにしては、あたたかさがあって。変なの。それに、なに、変温動物って。すこしだけ、笑ってしまった。笑った瞬間に、涙が落ちた。
「あ」
一度こぼれたら、あとからあとから、流れ出てくる。たったすこしのきっかけで、何年も我慢していたものが、あふれてしまった。そのきっかけが「変温動物」って、どうなの? なにもかも、めちゃくちゃだ。泣きながら、笑っちゃうじゃんか。
「ほんとに……、変だよね、凪都は」
「そうかもね」
わたしが泣いていても、凪都は眉ひとつ動かさなかった。だけど、手だけはにぎっていてくれた。
わたしはこれまで、ずっと泣かなかった。お姉ちゃんが死んで悲しいはずなのに。本当は、泣いて叫びたかったのに。
しゃくりあげるような嗚咽がこぼれた。
喧嘩別れなんて、したくなかった。家を出ていく前のお姉ちゃんに、もっとべつの言葉をかけていればよかったかもしれない。普段から、もっとお姉ちゃんと話しておけば、なにかが変わったかもしれない。ごめんね、お姉ちゃん。
お姉ちゃんを失う前の時間にもどりたい。死なないで、ってお姉ちゃんの腕をつかんで、引き留めたい。でも、そんなことできない。死んだら、どうにもできない。
涙はどんどん流れていく。もっともっと、涸れるまで泣きたい。
泣いたってお姉ちゃんは救われないし、わたしの中にある罪悪感とか寂しさとかが、なくなるわけでもない。泣いたって仕方ない。そう思いながら、涙は止まらない。頭の中も感情も、全部全部ぐちゃぐちゃだ。
それなのに……、胸の内を占めていた黒くて硬くて大きなものが、ほんのすこしずつ、でもたしかに、涙に混ざって消えていくような気がした。
やっと、素直に悲しいと思えた。すこしだけ前を見据えることができたような。小学生のとき立ち止まったままだった場所から、ほんのすこし動き出せたような――、そんな、感じ。
いまさら、お姉ちゃんの死をなかったことにはできないけど、いま、となりにいる凪都の未来をつなぐことなら、わたしにもできるかな。
「……凪都は、死なないでね」
泣きながら言うわたしに、凪都は無言で視線を送ってきた。
「だれかが死ぬのは、怖い、から」
もうだれにも消えてほしくない。それに。
「わたし、凪都といるの、楽しいよ」
「……え?」
凪都にしてはめずらしく、純粋にぽかんとしていた。
「凪都に、生きてほしい」
ぐいと目もとをこすって、凪都を見上げる。あれ、と思った。
「……なに、その顔」
凪都は目をまたたき、すこし考えて、苦笑した。
「――そんなふうに言われたの、はじめてだったから」
今度はわたしが目をまたたく。そんなふう、って?
「俺も、ずっと自分のこと、生きてても仕方ないやつだって思ってたし。まあ、柚に比べたらくだらない理由だけど」
それは、はじめて聞くかもしれない、凪都の話だった。いまなら凪都との距離を、縮められるかな。心臓が耳もとで鳴ってるみたいな緊張の中で、ゆっくり問いかける。
「どういう、理由なの……?」
凪都は目を閉じて、それからわたしを見ると微笑んだ。
「知りたい?」
だけど、と凪都はわたしに言う。
「知っても、どうにかしようとか思わなくていいから。もうどうでもいいことだし」