出店を端から端まで歩いたころ、夜空に花火が上がった。みんなで空を見上げて、ときどき写真を撮って笑い合っていると、どんどん時間が過ぎていく。楽しい時間が過ぎるのは、あっという間なんだ。まだまだ遊んでいたいけど、寮に帰る頃合いになっていた。
楽しかったなあ、と最後にベビーカステラを買って人並みから離れたところで、
「ねえ、もうすこしだけ寄り道しない?」
宮先輩が、にっと笑った。
「もちろん、いいですよー!」
「ほら、柚先輩たちも行きましょー!」
わたしが首をかしげている間に、七緒たちはにやりとしてから宮先輩を追いかける。……妙な結束感があるのは、なんでだろう。最初から寄り道するのは決めていましたよ、みたいな。わたしだけが知らないってことは……、凪都関連のことで、なにか計画を立てていたのかもしれない。わたしと凪都をいい雰囲気にさせようとか、そういう種類のおせっかいを。
「宮先輩、どこに行くんですか?」
ちょっと呆れて聞くと、宮先輩は目を細めて言った。
「肝試しをしに、心霊スポットへ」
わたしは、一瞬足を止めた。
――肝試し?
「柚?」
凪都が声をかけてくる。
「あ……、ううん。なんでもない」
なんでもなくはない。動揺していた。
肝試しでどきどき大作戦とか、そんなことをみんなで考えていたんだと思う。夏といえば肝試しだよね、とかそういうことを。みんな、善意しかないんだ。やさしいひとたちだから。
大丈夫。今日は楽しい夏祭り。きっとこの先も、楽しいことが待っている。
だけど――、わたしは知っていた。
宮先輩が進む道を。宮先輩が行こうとしている場所を、わたしは知っていたんだ。大通りから外れた道。木々に囲まれた、小さな丘。細くて長い階段。街灯もなく、その階段はずっと上のほうまで伸びている。果ては見えない。
わたしは、ここを知っている。
「むかし、ここから落ちて自殺した女の子がいたんだって」
宮先輩が、階段を見上げて言った。
「それから、その子の幽霊が出るようになった、って」
暗い階段の先を見つめて。
「ここをのぼりきると、小さい神社があるんだよ」
知ってる。その神社のとなりには、小さな甘味処があることも、知っている。
「のぼって、お賽銭をして、帰ってくるってことでどう? ふたり一組で順番に」
宮先輩はそう締めくくって、わたしたちを見回した。了解です、と七緒たちが元気よくうなずく。暗いから怪我はしないように、と先輩が念押しをした。そうだ、危ないから、気をつけないと。落ちたら、無事ではいられないから――。
全身から体温が引いていくのがわかった。ふるえる手を見られたくなくて、背中の後ろに隠す。こくん、と喉を鳴らした。
――大丈夫、落ち着いて。
みんな、ただ遊びに来ただけだ。ただ階段をのぼっておりるだけでいい。楽しそうなみんなを邪魔できない。今日は楽しい夏祭り。楽しい日。だけど――。だけど、帰りたい。
「柚? ……あ、もしかして怖いの嫌いだった?」
七緒が不安そうに、わたしを見た。どう答えたらいいのかわからない。答える余裕もない。ただ息をすることだけ考える。呼吸をしないと。また息ができなくなりそうだった。まずい。頭に響く、声がある。
『なんで、あんたばっかり』
『あんたのせいで、わたしは』
『柚がいるから、わたしは、いつもいつも――!』
お姉ちゃんの、声。
全身の血が流れ出ていくみたいに、寒くなった。目の前が真っ暗になろうとしていて、すべての音が遠のいていく。突然、海の底に沈められたみたいだった。
――これは、だめだ。
息、できない。
苦しい。
だれか、助けて……。
「柚、いくよ」
ふいに、手を引かれた。凪都がわたしの手をにぎって、歩き出した。音も体温も感覚も全部を失いそうだったのに、凪都の手の感覚だけが、わたしをぎりぎりでつなぎとめた。来た道をもどっていく。ほとんど引きずられるみたいに、わたしは歩く。後ろでなにか言ってる七緒たちに、凪都が「寮までちゃんと送るから」と言っている声が、ぼんやりと聞こえた。
凪都、と呼ぼうとした。だけど声にならない。ただ、口から息がこぼれた。
無理だ。足がもつれる。歩けない。
「――なぎ、と。ごめ、もう、むり」
しばらく歩いたところで、わたしは歩くことも立っていることもできなくなって、地面にしゃがみ込んだ。気づいた凪都がふり返る。苦しい。溺れているみたいだ。
「ゆっくり。大丈夫だから、息しな、柚」
凪都もしゃがんで、わたしの背に手を当てた。いつかと同じ、あたたかい手が背中を行き来する。それでもわたしは苦しくて、倒れそうだった。ふらっと意識が遠のく。
頭が、凪都の胸に当たった。凪都は片手でわたしの背をなでて、もう片方の手でわたしの頭を支えた。抱きかかえられて、凪都の息づかいをすぐそばに感じる。あたたかさに泣きそうだった。だけどぐっとこらえる。こらえた嗚咽がしゃっくりみたいな息づかいになって消えていった。
「大丈夫だから。落ち着きな」
大丈夫、大丈夫。おまじないみたいに、凪都が言う。しがみついて、わたしは呼吸を繰り返す。
そこから、いつのまに立ち上がっていたのか、どの道をどう通ってきたのか、わたしは覚えていない。気づいたら公園のベンチに座っていた。遊具のある広場のとなりに、バスケのコートが一面あるのが見えた。かろうじて、息の仕方は思い出していたけど、身体はぐったりと重い。
「水、買ってくる」
凪都がベンチから立ち上がる。ずっとつないでいた手が離れた。
――嫌だ。
とたんに怖くなった。寒い。いかないで。自販機に向かおうとする凪都に、手を伸ばす。だけど。
……あれ。
手が。いま、感覚が……。
たしかに触れられる距離にいたのに、凪都に触れた感じがしなかった。まるで通り抜けたみたいな。まるで、そこに、だれも存在していないみたいな。
「……凪都!」
勘違いかもしれない。お姉ちゃんのことを思い出したから。幽霊が出るなんて聞いたから。きっと勘違いしたんだ。でも、怖い。
「凪都! 待って! いなくならないよね、凪都は……!」
凪都はふり返って不思議そうな顔をすると、わたしの手をもう一度にぎった。
「俺はちゃんと、ここにいるよ。……なんで、そんなに怖がってるの?」
なんでって、それは――。わたしは、ぐっとくちびるを噛んだ。うつむいて、迷って、小さくこぼす。
「お姉ちゃん、なの」
ふるえた声しか出ない。
「さっきの……、あの場所で死んだ女の子。わたしの、お姉ちゃんなの」
ふたつちがいのお姉ちゃん。
「わたしのせいで、死んじゃった」
楽しかったなあ、と最後にベビーカステラを買って人並みから離れたところで、
「ねえ、もうすこしだけ寄り道しない?」
宮先輩が、にっと笑った。
「もちろん、いいですよー!」
「ほら、柚先輩たちも行きましょー!」
わたしが首をかしげている間に、七緒たちはにやりとしてから宮先輩を追いかける。……妙な結束感があるのは、なんでだろう。最初から寄り道するのは決めていましたよ、みたいな。わたしだけが知らないってことは……、凪都関連のことで、なにか計画を立てていたのかもしれない。わたしと凪都をいい雰囲気にさせようとか、そういう種類のおせっかいを。
「宮先輩、どこに行くんですか?」
ちょっと呆れて聞くと、宮先輩は目を細めて言った。
「肝試しをしに、心霊スポットへ」
わたしは、一瞬足を止めた。
――肝試し?
「柚?」
凪都が声をかけてくる。
「あ……、ううん。なんでもない」
なんでもなくはない。動揺していた。
肝試しでどきどき大作戦とか、そんなことをみんなで考えていたんだと思う。夏といえば肝試しだよね、とかそういうことを。みんな、善意しかないんだ。やさしいひとたちだから。
大丈夫。今日は楽しい夏祭り。きっとこの先も、楽しいことが待っている。
だけど――、わたしは知っていた。
宮先輩が進む道を。宮先輩が行こうとしている場所を、わたしは知っていたんだ。大通りから外れた道。木々に囲まれた、小さな丘。細くて長い階段。街灯もなく、その階段はずっと上のほうまで伸びている。果ては見えない。
わたしは、ここを知っている。
「むかし、ここから落ちて自殺した女の子がいたんだって」
宮先輩が、階段を見上げて言った。
「それから、その子の幽霊が出るようになった、って」
暗い階段の先を見つめて。
「ここをのぼりきると、小さい神社があるんだよ」
知ってる。その神社のとなりには、小さな甘味処があることも、知っている。
「のぼって、お賽銭をして、帰ってくるってことでどう? ふたり一組で順番に」
宮先輩はそう締めくくって、わたしたちを見回した。了解です、と七緒たちが元気よくうなずく。暗いから怪我はしないように、と先輩が念押しをした。そうだ、危ないから、気をつけないと。落ちたら、無事ではいられないから――。
全身から体温が引いていくのがわかった。ふるえる手を見られたくなくて、背中の後ろに隠す。こくん、と喉を鳴らした。
――大丈夫、落ち着いて。
みんな、ただ遊びに来ただけだ。ただ階段をのぼっておりるだけでいい。楽しそうなみんなを邪魔できない。今日は楽しい夏祭り。楽しい日。だけど――。だけど、帰りたい。
「柚? ……あ、もしかして怖いの嫌いだった?」
七緒が不安そうに、わたしを見た。どう答えたらいいのかわからない。答える余裕もない。ただ息をすることだけ考える。呼吸をしないと。また息ができなくなりそうだった。まずい。頭に響く、声がある。
『なんで、あんたばっかり』
『あんたのせいで、わたしは』
『柚がいるから、わたしは、いつもいつも――!』
お姉ちゃんの、声。
全身の血が流れ出ていくみたいに、寒くなった。目の前が真っ暗になろうとしていて、すべての音が遠のいていく。突然、海の底に沈められたみたいだった。
――これは、だめだ。
息、できない。
苦しい。
だれか、助けて……。
「柚、いくよ」
ふいに、手を引かれた。凪都がわたしの手をにぎって、歩き出した。音も体温も感覚も全部を失いそうだったのに、凪都の手の感覚だけが、わたしをぎりぎりでつなぎとめた。来た道をもどっていく。ほとんど引きずられるみたいに、わたしは歩く。後ろでなにか言ってる七緒たちに、凪都が「寮までちゃんと送るから」と言っている声が、ぼんやりと聞こえた。
凪都、と呼ぼうとした。だけど声にならない。ただ、口から息がこぼれた。
無理だ。足がもつれる。歩けない。
「――なぎ、と。ごめ、もう、むり」
しばらく歩いたところで、わたしは歩くことも立っていることもできなくなって、地面にしゃがみ込んだ。気づいた凪都がふり返る。苦しい。溺れているみたいだ。
「ゆっくり。大丈夫だから、息しな、柚」
凪都もしゃがんで、わたしの背に手を当てた。いつかと同じ、あたたかい手が背中を行き来する。それでもわたしは苦しくて、倒れそうだった。ふらっと意識が遠のく。
頭が、凪都の胸に当たった。凪都は片手でわたしの背をなでて、もう片方の手でわたしの頭を支えた。抱きかかえられて、凪都の息づかいをすぐそばに感じる。あたたかさに泣きそうだった。だけどぐっとこらえる。こらえた嗚咽がしゃっくりみたいな息づかいになって消えていった。
「大丈夫だから。落ち着きな」
大丈夫、大丈夫。おまじないみたいに、凪都が言う。しがみついて、わたしは呼吸を繰り返す。
そこから、いつのまに立ち上がっていたのか、どの道をどう通ってきたのか、わたしは覚えていない。気づいたら公園のベンチに座っていた。遊具のある広場のとなりに、バスケのコートが一面あるのが見えた。かろうじて、息の仕方は思い出していたけど、身体はぐったりと重い。
「水、買ってくる」
凪都がベンチから立ち上がる。ずっとつないでいた手が離れた。
――嫌だ。
とたんに怖くなった。寒い。いかないで。自販機に向かおうとする凪都に、手を伸ばす。だけど。
……あれ。
手が。いま、感覚が……。
たしかに触れられる距離にいたのに、凪都に触れた感じがしなかった。まるで通り抜けたみたいな。まるで、そこに、だれも存在していないみたいな。
「……凪都!」
勘違いかもしれない。お姉ちゃんのことを思い出したから。幽霊が出るなんて聞いたから。きっと勘違いしたんだ。でも、怖い。
「凪都! 待って! いなくならないよね、凪都は……!」
凪都はふり返って不思議そうな顔をすると、わたしの手をもう一度にぎった。
「俺はちゃんと、ここにいるよ。……なんで、そんなに怖がってるの?」
なんでって、それは――。わたしは、ぐっとくちびるを噛んだ。うつむいて、迷って、小さくこぼす。
「お姉ちゃん、なの」
ふるえた声しか出ない。
「さっきの……、あの場所で死んだ女の子。わたしの、お姉ちゃんなの」
ふたつちがいのお姉ちゃん。
「わたしのせいで、死んじゃった」