夏祭りまでの一週間はあっという間に過ぎた。寮の部屋で宿題をしたり、七緒とだらだらする日があったり、凪都と一緒に繫華街まで買い物に行ったり、図書室でしゃべるだけの日もあった。
夜は夜で、女子寮居残り組で集まってトランプやゲームをした。帰省していた未央ちゃんが寮に帰ってきてからはもっと賑やかで、春野さんに頼んで、夜遅くのまくら投げ大会なんてものも開催されたし。
それから、二日に一回ぐらい寮を抜け出して、凪都と夜の学校を散歩した。
これまでの夏と比べて忙しかったけど、その分、楽しかったのは間違いない。
「さあみんな、好きな浴衣を選びなさい!」
夏祭り当日の夕方。畳敷きの談話室で、宮先輩が五着の浴衣を前にして腰に手を当てた。
「おお、すごい! 先輩、本当に調達してきたんですね!」
「さっすが先輩!」
わたしたちが拍手をすれば、先輩はにんまりと笑みを浮かべる。
「これくらい楽勝だよ。……まあ、みっつはわたしが知り合いのお古を借りて、残りふたつは春野さんが用意してくれたんだけどね」
「わたしと姉のお古、有効活用してね」
春野さんはにこにこと笑っている。今年の夏は、春野さんにも助けられてばかりだ。
色とりどりの浴衣を見ていると、自然と楽しくなってきた。やっぱりこういうイベントには心が踊るし、特別な格好だって楽しみたい。
「ほら、柚。好きなの選んで!」
ぐいと七緒に腕を引かれた。
「え、わたし?」
「もちろん! 浴衣で凪都をどきどきさせよう大作戦なんだから、柚が最初に選ばなきゃだめに決まってるでしょ」
なに、その大作戦。
「い、いやでも、みんな着たい浴衣あるんじゃない?」
「わたしたちは、あとでいいですよ。柚先輩優先で!」
「今日は柚ちゃんメインのお祭りだからね」
勝手にメインにしないでほしい。これ絶対、凪都と合流してからもからかわれる感じだ……。顔がひきつるのを感じながら、浴衣を眺める。悩んで、白地に青の紫陽花が描かれた浴衣を選んだ。涼しげだし華やかだ。
「じゃあ着つけね。東坂さんこっちに来て。手伝うから」
春野さんに手招かれて、わたしは浴衣を持って春野さんの前に立った。
「浴衣でお祭りって、青春って感じでいいよね。女子高生のお手伝いをしていると、わたしまで若返った気分になって楽しいし。ありがとうね、東坂さん」
「そんなそんな。わたしこそ、なにからなにまで、ありがとうございます」
春野さんは手際よくわたしに浴衣を着せた。そうしたら、今度は七緒に呼ばれる。
「柚さん、つぎはこちらにどうぞー。髪いじりますよー」
夏休みの間、毎日七緒はわたしのヘアセットをしていたから、もう慣れたものだった。器用に髪を巻いてくれる。待っているだけの時間に、わたしは、ずっと言えずにいたことを訊いてみた。
「七緒、彼氏さんとお祭りに行かなくてよかったの?」
「あー……、いいよ。言ったでしょ。今年は柚といちゃいちゃするって。あ、でも別れるとかじゃないからね。ちゃんと連絡は取ってるし、仲直りも、まあ、そろそろするんじゃないかなー?」
「そっか。よかった」
本当に安心した。七緒たちは喧嘩もよくするけど、仲がいいのは知っていたから。別れてなんてほしくなかった。
わたしのボブの髪は、きれいに巻かれて、ハーフアップにされた。仕上がりを見たみんなが満足そうにうなずく。だいぶ恥ずかしかった。それからみんなの着つけやヘアセットも終えて、約束の時間に校門に向かう。凪都はゆるっとしたTシャツとズボン姿で待っていた。わたしたちに気づくと、すこしだけ驚いた様子になる。
「あー、えっと……、宮先輩たちが浴衣を用意してくれて」
七緒に背中を押されて前に進みながら、言い訳みたいに言う。だって恥ずかしいし。気合い入れすぎとか思われたらどうしよう。みんなが頑張って用意してくれたのに、凪都に「変」とか言われたら、居たたまれなさがすごい。
だけど、凪都はふっと微笑んだ。
「そ。似合ってる」
「あ、ありがとう……」
後ろでみんなが盛り上がる気配がする。もう、恥ずかしいからやめてほしい。うつむいていると、宮先輩が「じゃあ行こっかー」と笑いまじりに声をかけた。
高校から海へつながる坂をおりはじめるみんなを、わたしと凪都は最後尾でついていった。ここからでも、海沿いの道に屋台が出ているのが見える。
「みんな浴衣だと、俺だけ浮いてる気がする」
「あ、ごめん、先に言っておけばよかったね」
わたしはとなりを歩く凪都を見た。浴衣姿、ちょっと見たかったかも。リクエストすれば、着てくれたのかな。わたしのお願いはなんでも叶えるとか言ってたし、着てくれたかもしれない。
「来年は、凪都も浴衣にする? わたしも見たいし」
「ん……、まあ、覚えてたらね」
小さく笑う凪都を見てから、わたしは視線を前にもどす。
「だけどやっぱり、今年見たかったなあ。凪都の浴衣」
夕陽が落ちていこうとする海の前で、屋台の提灯は賑やかに灯っていた。近づくと、ソースや海鮮の香りが混ざり合って鼻をくすぐる。その香りにつられて、みんなの気分が上がっていくのがわかった。
「端から端まで、食べつくすぞー!」
「おー!」
七緒たちが意気揚々と屋台の雑踏に飛び込んでいく。わたしと凪都も、遅れてつづく。ひとがたくさんいて身動きは取りづらいけど、そんな状況にも笑えてきた。
それぞれ好きなものを買っていく中で、わたしはかき氷を買った。やっぱり夏は冷たいものが食べたくなるってものだ。屋台のおじさんにいちごのシロップをかけてもらって受け取ると、みんなの輪にもどる。
「かき氷のシロップって全部同じ味なんでしょ」
イカ焼きを食べながら凪都が言った。
「あー、そうらしいね」
ざくざく、と上のほうの氷を崩して、紙スプーンですくう。きん、と口の中が冷たくなって、いちごの風味が鼻に抜けた。だけどメロンやレモンのシロップと、味は同じらしい。色と香料がちがうだけ、とネットで見たことがあった。
「騙されたって感じしない?」
「うーん、ちょっとだけ?」
からかうような凪都の口調に、わたしも笑う。
「だけど同じ味でも、たくさん種類があったほうが楽しいし、いいんじゃないかな」
ざくざく、氷を崩しながら言うと、凪都はおかしそうに噴き出した。
「え、なに?」
「柚はポジティブだなあ、と思って」
「……なんかちょっと、馬鹿にしてない?」
「してない。いいなって思っただけ。たまには馬鹿になったほうが、人生楽しめそう。俺は『同じ味のくせに』って冷めるタイプだから、見習わないと」
……それはやっぱり、わたしを馬鹿にしてるんじゃないの?
ふいっと目をそらすと、凪都はわたしの目の前にイカ焼きを差し出してきた。
「悪い、怒った? イカ焼きあげるから許して」
食べかけのイカ焼き……、わたしはぴたりと固まった。
「イカ、嫌い?」
「ううん、好きだけど」
そういうことじゃなくて。いやでもこれは、凪都の善意だ。変な意図はないだろうし、断るのも悪い。わたしは自分の顔が赤くなる前に、凪都が口をつけていない辺りをひと口かじった。がつんとイカの味がする。
「……かき氷とイカ焼きって、相性よくない」
食べてから気づいて言えば、凪都は笑った。
「それはそうだ」
おかしくて、ふたりで笑う。これは、自然に笑ってるって感じがする。楽しいって、きっと凪都も思ってくれている。そんなことが嬉しくて、わたしは胸がぽっとあたたかくなる。こういう時間を、わたしは凪都とたくさん過ごしたい。
すこし先にいた七緒たちが、ニヤニヤとわたしたちを見ていることに気づいたのは、その五秒後のことだった。……もう本当に、やだ。
夜は夜で、女子寮居残り組で集まってトランプやゲームをした。帰省していた未央ちゃんが寮に帰ってきてからはもっと賑やかで、春野さんに頼んで、夜遅くのまくら投げ大会なんてものも開催されたし。
それから、二日に一回ぐらい寮を抜け出して、凪都と夜の学校を散歩した。
これまでの夏と比べて忙しかったけど、その分、楽しかったのは間違いない。
「さあみんな、好きな浴衣を選びなさい!」
夏祭り当日の夕方。畳敷きの談話室で、宮先輩が五着の浴衣を前にして腰に手を当てた。
「おお、すごい! 先輩、本当に調達してきたんですね!」
「さっすが先輩!」
わたしたちが拍手をすれば、先輩はにんまりと笑みを浮かべる。
「これくらい楽勝だよ。……まあ、みっつはわたしが知り合いのお古を借りて、残りふたつは春野さんが用意してくれたんだけどね」
「わたしと姉のお古、有効活用してね」
春野さんはにこにこと笑っている。今年の夏は、春野さんにも助けられてばかりだ。
色とりどりの浴衣を見ていると、自然と楽しくなってきた。やっぱりこういうイベントには心が踊るし、特別な格好だって楽しみたい。
「ほら、柚。好きなの選んで!」
ぐいと七緒に腕を引かれた。
「え、わたし?」
「もちろん! 浴衣で凪都をどきどきさせよう大作戦なんだから、柚が最初に選ばなきゃだめに決まってるでしょ」
なに、その大作戦。
「い、いやでも、みんな着たい浴衣あるんじゃない?」
「わたしたちは、あとでいいですよ。柚先輩優先で!」
「今日は柚ちゃんメインのお祭りだからね」
勝手にメインにしないでほしい。これ絶対、凪都と合流してからもからかわれる感じだ……。顔がひきつるのを感じながら、浴衣を眺める。悩んで、白地に青の紫陽花が描かれた浴衣を選んだ。涼しげだし華やかだ。
「じゃあ着つけね。東坂さんこっちに来て。手伝うから」
春野さんに手招かれて、わたしは浴衣を持って春野さんの前に立った。
「浴衣でお祭りって、青春って感じでいいよね。女子高生のお手伝いをしていると、わたしまで若返った気分になって楽しいし。ありがとうね、東坂さん」
「そんなそんな。わたしこそ、なにからなにまで、ありがとうございます」
春野さんは手際よくわたしに浴衣を着せた。そうしたら、今度は七緒に呼ばれる。
「柚さん、つぎはこちらにどうぞー。髪いじりますよー」
夏休みの間、毎日七緒はわたしのヘアセットをしていたから、もう慣れたものだった。器用に髪を巻いてくれる。待っているだけの時間に、わたしは、ずっと言えずにいたことを訊いてみた。
「七緒、彼氏さんとお祭りに行かなくてよかったの?」
「あー……、いいよ。言ったでしょ。今年は柚といちゃいちゃするって。あ、でも別れるとかじゃないからね。ちゃんと連絡は取ってるし、仲直りも、まあ、そろそろするんじゃないかなー?」
「そっか。よかった」
本当に安心した。七緒たちは喧嘩もよくするけど、仲がいいのは知っていたから。別れてなんてほしくなかった。
わたしのボブの髪は、きれいに巻かれて、ハーフアップにされた。仕上がりを見たみんなが満足そうにうなずく。だいぶ恥ずかしかった。それからみんなの着つけやヘアセットも終えて、約束の時間に校門に向かう。凪都はゆるっとしたTシャツとズボン姿で待っていた。わたしたちに気づくと、すこしだけ驚いた様子になる。
「あー、えっと……、宮先輩たちが浴衣を用意してくれて」
七緒に背中を押されて前に進みながら、言い訳みたいに言う。だって恥ずかしいし。気合い入れすぎとか思われたらどうしよう。みんなが頑張って用意してくれたのに、凪都に「変」とか言われたら、居たたまれなさがすごい。
だけど、凪都はふっと微笑んだ。
「そ。似合ってる」
「あ、ありがとう……」
後ろでみんなが盛り上がる気配がする。もう、恥ずかしいからやめてほしい。うつむいていると、宮先輩が「じゃあ行こっかー」と笑いまじりに声をかけた。
高校から海へつながる坂をおりはじめるみんなを、わたしと凪都は最後尾でついていった。ここからでも、海沿いの道に屋台が出ているのが見える。
「みんな浴衣だと、俺だけ浮いてる気がする」
「あ、ごめん、先に言っておけばよかったね」
わたしはとなりを歩く凪都を見た。浴衣姿、ちょっと見たかったかも。リクエストすれば、着てくれたのかな。わたしのお願いはなんでも叶えるとか言ってたし、着てくれたかもしれない。
「来年は、凪都も浴衣にする? わたしも見たいし」
「ん……、まあ、覚えてたらね」
小さく笑う凪都を見てから、わたしは視線を前にもどす。
「だけどやっぱり、今年見たかったなあ。凪都の浴衣」
夕陽が落ちていこうとする海の前で、屋台の提灯は賑やかに灯っていた。近づくと、ソースや海鮮の香りが混ざり合って鼻をくすぐる。その香りにつられて、みんなの気分が上がっていくのがわかった。
「端から端まで、食べつくすぞー!」
「おー!」
七緒たちが意気揚々と屋台の雑踏に飛び込んでいく。わたしと凪都も、遅れてつづく。ひとがたくさんいて身動きは取りづらいけど、そんな状況にも笑えてきた。
それぞれ好きなものを買っていく中で、わたしはかき氷を買った。やっぱり夏は冷たいものが食べたくなるってものだ。屋台のおじさんにいちごのシロップをかけてもらって受け取ると、みんなの輪にもどる。
「かき氷のシロップって全部同じ味なんでしょ」
イカ焼きを食べながら凪都が言った。
「あー、そうらしいね」
ざくざく、と上のほうの氷を崩して、紙スプーンですくう。きん、と口の中が冷たくなって、いちごの風味が鼻に抜けた。だけどメロンやレモンのシロップと、味は同じらしい。色と香料がちがうだけ、とネットで見たことがあった。
「騙されたって感じしない?」
「うーん、ちょっとだけ?」
からかうような凪都の口調に、わたしも笑う。
「だけど同じ味でも、たくさん種類があったほうが楽しいし、いいんじゃないかな」
ざくざく、氷を崩しながら言うと、凪都はおかしそうに噴き出した。
「え、なに?」
「柚はポジティブだなあ、と思って」
「……なんかちょっと、馬鹿にしてない?」
「してない。いいなって思っただけ。たまには馬鹿になったほうが、人生楽しめそう。俺は『同じ味のくせに』って冷めるタイプだから、見習わないと」
……それはやっぱり、わたしを馬鹿にしてるんじゃないの?
ふいっと目をそらすと、凪都はわたしの目の前にイカ焼きを差し出してきた。
「悪い、怒った? イカ焼きあげるから許して」
食べかけのイカ焼き……、わたしはぴたりと固まった。
「イカ、嫌い?」
「ううん、好きだけど」
そういうことじゃなくて。いやでもこれは、凪都の善意だ。変な意図はないだろうし、断るのも悪い。わたしは自分の顔が赤くなる前に、凪都が口をつけていない辺りをひと口かじった。がつんとイカの味がする。
「……かき氷とイカ焼きって、相性よくない」
食べてから気づいて言えば、凪都は笑った。
「それはそうだ」
おかしくて、ふたりで笑う。これは、自然に笑ってるって感じがする。楽しいって、きっと凪都も思ってくれている。そんなことが嬉しくて、わたしは胸がぽっとあたたかくなる。こういう時間を、わたしは凪都とたくさん過ごしたい。
すこし先にいた七緒たちが、ニヤニヤとわたしたちを見ていることに気づいたのは、その五秒後のことだった。……もう本当に、やだ。