その日、ベッドに入ってぼんやりと考えた。夏祭り、どうやって凪都を誘おう。なんだかんだ、わたしも、凪都と夏祭りに行きたい気持ちはある。

 今日も、夜ふかししてるのかな。

 会いに行けば、話せる? まあ、昼間も散々話したんだけど。でも夜の暗闇の中にひとりでぽつんと立っている凪都を想像すると、会いに行きたくなった。こんな夜にひとりきりなんて、寂しいし。

 そっとベッドを抜け出す。上着を羽織って、こっそりと足音を忍ばせ、玄関に向かった。すこし行ってもどってくるだけ。音を立てなければばれないはず……。

「東坂さん」

 ……ばれました。

 ぎこぎこと壊れたロボットみたいにふり返る。春野さんがいた。春野さんもパジャマ姿で、困ったようにわたしを見ている。まさか、こんなに早くばれるなんて。冷や汗がたらりと伝う。

「今日は、調子が悪いわけじゃなさそうだね?」
「……はい」
「外に用事?」

 なんて答えたらいいのかがわからなくて、わたしは言葉に詰まった。やさしい春野さんでも、さすがに怒るかもしれない。だけど春野さんは、本当に困っているみたいな顔をして見つめてくる。

「……校門からは出ないでね。危ない行為はしないこと」
「え?」

 春野さんはこっちまで歩いてくると、玄関の鍵を開けた。

「でも、あんまり遅くならないようにね」
「……いいんですか?」

 絶対に止められると思ったのに。驚いて聞けば、春野さんはうなずいた。

「東坂さんくらいの年齢のとき、わたしもひとりになりたい夜があったから。大人として寮母として、止めなきゃとは思うんだけど。でも、いいよ。いってらっしゃい」

 あ、だけど、と春野さんがつけ足す。

「もし困っていることがあるなら、わたしか、寮のみんなに言ってね。わたしたちは、東坂さんの話ならいつでも聞くよ。わたしが言うのもなんだけど、女子寮のみんなの結束は強いから」

 胸がじんとした。その声はあたたかくて、本心だってわかった。

「まあ、本当にわたしが言うのもなんだけどね。高校生の中におばさんが交じってるのはどうなのって、わたしも思うけど」
「春野さんは若いですよ。お姉さんです」
「そう? ならよかった。とにかく、なにかあったら言って。絶対だよ」
「はい。ありがとうございます」

 春野さんに頭を下げて、寮を出た。わたしはいつも、やさしいひとたちに囲まれている。だからかな。凪都の気持ちは、よくわからないんだ。死にたい、なんて思えない。みんなに迷惑や心配をかけたくないから。凪都はそういうことを思わないのかな……。

 中庭に行くと、凪都はベンチに座って空を見ていた。やっぱり、いた。

「凪都」

 声をかけると、凪都は目をまたたいてから、わたしに焦点を合わせた。ふっと微笑む。

「柚がまた不良してる」
「凪都もでしょ」
「それはそう」
「となり、いい?」
「ん。おいで」

 ぽんぽん、と凪都がとなりを叩くから、わたしはそこに腰かけた。

「また眠れなかった?」
「ううん。ちょっと歩きたかっただけ」

 うそ。本当は凪都と話したかっただけだ。

「今日は朝昼夜、全部柚と一緒にいる気がする」
「……ほんとだね」

 言われてみれば、そのとおりだ。ちょっと笑えた。その辺にいる恋人より、一緒にいたかも? でも飽きることはない。むしろ、もっと話したかった。凪都のことを知りはじめているようで、まだ知らない。そんなもどかしさを、どうにかしたい。

 波みたいなひとだな、と思う。捉えどころがなくて、近づいたと思ったら遠ざかる。

 すこしして凪都が立ち上がって、わたしに手を差し出した。

「散歩しよ」
「え?」
「歩きたくて外に出てきたんだろ? ほら、早く」

 急かされて、わたしはそっと手を伸ばした。ひやりとした凪都の指につかまえられて、わたしたちは歩き出す。じわじわと頬が熱くなるけど、夜だからきっと気づかれないはずだ。グラウンドを抜けて、体育館のほうに回り込む。どこもかしこも静かだ。

「夜の学校って、お化けとか出そうだよね」

 わたしが言うと、凪都はふっと笑った。

「出るかもね」

 そういえば、とわたしは思い出して、心細くなる。

「凪都は知ってる? うちの生徒が救急車で運ばれたって。そのひと、死んじゃったかもって噂があって」
「へえ……、俺は知らないな。どんな噂?」
「わたしも詳しく聞いたわけじゃないから、いま言ったので全部だよ。ただの噂だといいんだけど」

 でももし、その噂が本当なら、そのひとも幽霊になって化けて出るのかな。……そのほうがいいかもしれない。突然消えて、みんなとなにも話せないまま終わるより、幽霊になって怨み言とかを言ってくれたほうがいい。突然死んで消えちゃうなんて、残酷すぎる。

 体育館の横を通って、部室棟に歩く。二階建てでひたすら部室が連なっている建物も、ひっそりとしていた。運動部の活動の痕なのか、足もとにはじゃりじゃりとしたグラウンドの土が散らばっている。

「凪都は帰宅部だっけ」
「ん」
「中学のときは?」
「バスケ部だった。でももうやらない。飽きたし」

 バスケをしている凪都を想像してみた。多分、もてただろうな。

 二階の外通路へつづく階段を上がった。手すりの向こうに、海が見えた。昼間はきらきらと輝く水面も、いまは静かに月明かりを映している。

「……そういえば、来週、お祭りだよね。凪都は行くの?」

 心臓が、そこそこ速く打ちはじめた。切り出し方、変じゃなかったかな。男女で夏祭りって言うと、恋愛チックな響きになるのはなんでだろう。そういうのは恥ずかしくて、あくまで「友だち」としての話題になるように心がけたけど、ちゃんとできてた?

「行く予定はない」

 凪都はあっさり答えた。よかった、作戦成功したかも。調子づいて、わたしはつぎの言葉を伝えた。

「わたしはね、女子寮の居残り組みんなで行くことになって。あのさ、女子ばっかりなんだけど、よかったら凪都も来る?」
「……来てほしい?」

 凪都の瞳に、わたしが映る。わたしの心臓がどん、と跳ねた。あなたに来てほしい、なんて言ったら、ちょっと直球というか、恋愛要素強くならないかな? そんな空気にするつもりはないんだけど……。

 だけど、凪都は待っている。わたしは目をそらして、小さくうなずいた。

「……うん、来てほしい、かな」
「わかった、柚がそう言うなら」

 わたしの心配とは逆に、凪都は暇つぶしにつき合うよ、くらいにしか思っていなさそうな返事をした。

 やっぱり誘えば来るんだな、と予想が当たったことに苦笑する。でも、すこしだけがっかりする気持ちもあった。夏祭りって一大イベントなら、暇をつぶすためなんて消極的な理由じゃなくて、純粋に楽しんでもらえるかもしれないと思っていたから。

 海に行ったときみたいに、凪都の笑っている顔が見たい。見れるといいな。というか、見れるように、頑張るか。

「よし、じゃあ夏祭り、一緒に行こうね!」