海から学校にもどって凪都と別れると、わたしは女子寮に帰った。お昼を食べて、七緒と部屋でだらだら過ごす。海に行ったことを話せば、七緒は目を輝かせて根掘り葉掘り聞いてきたから、ちょっと面倒くさかった。

 夕方になると、中庭の自販機でわたしと凪都のふたりぶんのジュースを買って図書室を目指す。海でのことを凪都は気にしていないと言ったけど、おわびをしておかないと落ち着かない。凪都は六時の閉室時間まで図書室にいることが多いらしい。案の定、図書室に行けば、凪都はいつもの席で机に突っ伏していた。

 ――寝てるのか。どうしようかな。

 ジュースだけ置いて、メモでも残しておこうか。近づいて、机の上にジュースを置く。グレープの炭酸だ。

 ふわり、と開いていた窓から風が吹き込んだ。

「あ……」

 海の香りがした。でも窓からじゃない。

 眠っている凪都の髪に、わたしはそっと顔を寄せてみた。海から帰って、シャワーを浴びたんだと思う。シャンプーの香りがした。その中に、かすかに海の匂いがある。死んだプランクトンの匂い、だっけ……。

 一瞬ひやりとしたけど、でも海に行ったのは楽しかった。また、行きたいな。

「柚のえっち」

 ……ん?

 わたしは一瞬ぽかんとしてから、「うわあっ!」と飛びのいた。

「な、凪都! 起きてたの……?」

 眠っていたはずの凪都が喉を鳴らして、わたしを見た。

「いま起きた。図書室では静かにしなよ、柚」
「あ、ごめん……」
「それより、いま、キスしようとしてた?」

 いたずらっぽく目を細める凪都に、わたしの顔は一気に熱くなる。口をぱくぱくさせるけど、なかなか言葉が出てこない。

「し、てないっ!」
「だから静かにしないと」

 しーっと指先をくちびるに当てて笑っている凪都。だめだ、完全におもちゃにされてる。両手で顔を覆った。恥ずかしすぎて死ぬ。話を変えなきゃ。

「これ、ジュース! 海で迷惑かけたから、あげる」
「あー、そんなのいいのに。律儀だな。ありがと」

 素直に受け取ってくれて、ほっとした。ひとまず、これで目的は果たした。本当はもうすこし話そうと思って来たんだけど、もうこれ以上ここにいるのはまずい。わたしが羞恥でゆで上がる。さっさと逃げよう。

「じゃあ、わたしはこれで!」
「あ、柚」
「ん?」

 もうすでに扉の方へ向けていた身体を、凪都に向ける。

「明日は、なにしたい?」

 明日……?

「あー、えっと、まだ考えてない」
「そ。じゃあまた明日、教えて。俺は十時か十一時くらいに、図書室に来るから」
「うん。……ねえ凪都」

 今度は凪都が「ん?」と返事をする。

「わたしのことばっかりでいいの? 凪都の個人的な用事とか、ない?」

 わたしに夏を満喫させる、と言ってからまだ二日だ。だけど、なんとなくわかった。凪都は本当に、この夏休みの全部をわたしのために使うつもりだ。それは、申し訳ないと思った。

 凪都はすこし考えてから、机に頬杖をつく。

「やることなくて暇すぎたから、柚につきあってるんだよ。気をつかわなくていいから、俺のことは便利に利用しな」
「でも、凪都の時間をわたしが独占しちゃうのは、悪いよ」
「んー、……じゃあ、言い方変える」

 凪都はわたしを見て、口もとを笑みの形にする。

「俺の時間を、柚のために使わせてほしい。暇を持て余してるから困っててさ。助けてよ、柚」

 ふと疑問に思った。

 ――どうして、そこまで?

 改めて考えると、「他人の望みを叶える」なんて面倒くさいことを、凪都がしようと思ったのはなんでなんだろう。暇つぶしなら、もっとほかにいい方法はあるんじゃないの? わたしにこだわる必要だって、ないはずなのに。

 凪都はやっぱり、ときどき不思議だ。