そんな中で、事件が起きた。
「しっかりしろ、仲森」
「……」
 靴も脱がず上がり框に座り込む仲森の肩を、神田は叩く。
 かつて所属していたグループのデビューによる放心状態の仲森を、神田は家まで送った。いつも健康そうな肌は青ざめ、目には光がない。
 靴を脱がせ、手を引いて廊下を進む。表では王道アイドルをやっている仲森も、家に帰るとただの人間である。彼の部屋は最低限の家具しかなく、何日分かの服が抜け殻になって散らばっていた。連日仕事と練習が重なった影響だろう。
 仲森をソファーに座らせ、散らばった彼の服を1箇所に纏める。この後渋るであろう風呂にどうやって連れて行くべきか思案していると、仲森が重い溜息を吐いた。
「酒、飲みてえな」
 放たれた言葉に神田はギョッと仲森を見つめた。責任感があって人一倍真面目な彼が、ライブ前日に酒を飲もうとしている。しかも、これはやけ酒。
「いや……お前」
「飲まなきゃ、やってらんなくね?20歳なりたてのお前には分かんねえか」
 引き攣った笑みを零し、ソロソロと立ち上がってキッチンへと向かう仲森を神田は制止した。
——そんなお前、見たくねえ
「じゃあ、俺にしろよ」
 本当は自分を選んでほしかった。
 けれどそんなことは口が裂けても言えない。なら、代わりでも良かった。元々、俺たちは仕事の満たされなさを別の方法で発散していただけの関係なのだから。
「……は?」
「酒は、明日に響くだろ」
「いや、でもそうしたらお前は……」
——俺の心配はするんだな
 揺れる仲森の瞳を捉え、神田は仲森の手を取って自身の顔に触れさせた。久し振りに撫でられたいな、と思った。
「優しくしろよ?」
「…………ごめん」
 仲森の目の色が変わる。神田の手を掴み直し、風呂へと連れて行った。
 神田はこの日初めて、仲森に「好き」と言った。思ったよりすんなりと出てきたその言葉に、仲森は優しく笑ってキスを返してくれた。
「俺、神田といると胸が苦しくなる。お前だけなんだ……」
 微睡みの中で、神田の頬を撫でながら仲森は確かにそう言った。愛おしいものを見るかのような瞳で言うから、神田のココロはじくりと痛み、涙が頬を伝った。
——俺だって……!
「…………それは告白か?」
 弱腰になった神田の問いに、返事はなかった。恐る恐る窺うと幸せな犬のような寝顔の仲森が、静かに寝息をたてていた。
 優しく撫でる手も、強く抱きしめる腕も、以前と1つも変わっていなかった。神田はそれに安堵した。どこかで女の子を覚えていないと思えたので。
 もう一度、以前のような2人に戻りたい。いや、なれるなら恋人になりたい。そう思いながら眠りについた。