レストランを出ると時刻は22時近くになっていた。郁斗は、歩が明日の夕方から仕事が入っているのを知っていた。この時間では、東京に帰れそうにない。
「あれ、歩どっか泊るの?」
「帰るつもりだったんだけどね。もう終電ないや」
 本当はもっと前から気にしていたけれど、あえてこの時間になるまで切り出さなかった。2人とも相手が気づいたなら、それはそれで良かったのだが、自分から言うつもりはなかった。
 郁斗はあざといし、歩もまた頭は良かった。
「じゃあ俺と同じホテル泊まる……?普通のビジホだし、平日だし、多分空いているよ」
「……うん」
 何か明瞭な目的があった訳ではない。ただ、20日の間物理的にもココロの距離も離れていた2人は、もう少しだけ一緒にいたかった。
 何せ、観覧車の中では「外から見えたらいけない」と、キスもできていなかった。
 歩のチェックインを済ませると、2人並んで客室行きのエレベーターに乗り込んだ。本日3度目の2人きりの時間である。
 話すことも特別なく、ただ推移していく階数表示を追う。それと共に焦燥が搔き立てられた。歩は郁斗の服の裾をちょい、と引っ張った。
「後で郁斗くんの部屋行って良い?」
 郁斗は一瞬どうするか迷って、そっと歩の手を上から包み込んだ。
「うん。おいで」
 エレベーターの扉が開くその寸前まで、2人はずっと手を繋いでいた。本当はそのまま自分の部屋に入れて2人きりになりたかったけれど、頭を整理する時間を作ってあげたかった。自分のためにも。
 風呂に入って、着替えて、適当につけたテレビドラマを流し見していると、部屋のチャイムが鳴った。軽く深呼吸してドアを開けると、ホテルのバスローブを着た歩が、ぎこちない表情で立っていた。
「そこ、座って良いよ」
 郁斗もまたぎこちなくドアを全開にして歩を促す。
 脇を通り抜けた歩からは嗅ぎなれないシャンプーの香りがした。ドアを閉めるのと同時にオートロックの鍵のかかる音が一段と耳に残る。
「これ、俺のやつじゃん」
 歩は流れているドラマを見ると、楽しげにベッドに腰掛けながらそう言った。
 流れていたドラマは、歩が準主役をしているものだ。主演は大物俳優で、歩は金髪に染め、反抗期の息子役をしている。憑依型なだけあって、「天然かわいい」の欠片も見せずに壁に大穴を空け怒鳴り散らしている。
『ああっ!?てめえ、ナメた口きいてんじゃねえぞ?おら、金出せや金』
「こわ……」
 郁斗はベッドに乗り上げ、枕を避けてベッドボードに背中を預ける。
 それに気づいた歩と目が合って、逸らされた。郁斗は両手を広げて歩を促した。
「おいで、歩」
「……恥ずかしい」
「俺しかいないよ」
 しばし逡巡した後、歩は郁斗の足の間に割って入り、郁斗を背もたれにした。郁斗が腕を前にやり、ぴったりと密着すると歩の体温が伝わってくる。
 しばらくしてドラマが終わり、エンディングへと入る。殺伐とした本編とは打って変わって、キャストのオフシーンで構成されたエンディングだ。歩も当然いつもの柔らかな笑みを見せている。
「ほんと、かわいいなあ」
 そんな歩が今、自分の腕の中にいる。郁斗は高揚感で、どうにかなりそうだった。
「ちょっと、力強すぎ……」
「あ、ごめ……」
 郁斗が慌てて抱きしめる力を弱めると、歩は身体を郁斗の方へ向け上目遣いで彼と視線を交わした。歩の耳が真っ赤になっていることに気づくのと同時に、彼は郁斗の胸に埋めた。
「——これからさ、壊したくなったら……好きって言って。抱きしめて。キスして……?」
 段々と消え入りそうな声に、郁斗は傍に置いていたリモコンでテレビを消した。ついでに、天井に付いた灯りも。
 大好きな恋人のかわいいかわいいおねだりを聞かない理由なんてなかった。郁斗もずっと歩に触れたかった。
 ぼんやりと浮かび上がってきた郁斗の顎に、頬に、唇に指を滑らせた。そのまま、首や頬、目尻に口づけを落としていった。
「ねえ、口は?」
 物欲しそうな歩の瞳が、揺らめく。
「したいの?」
「……いじわる」
——かわいい……
 消えりそうな声で言った歩の顎に手を滑らせる。郁斗は、歩の薄い唇にあの時よりも長く、口づけた。
 待ち望んだ感触に、互いの身体が震えるのが分かった。唇を離して息をつくと、目を開けた歩と視線が絡む。
「歩、だあいすき……」
 自分から出てきた甘い声に郁斗は驚く。
——キャラとか考えなくてもこんな声……
 もっともっと欲しくなって、角度を変えて何度も啄む。歩の下唇を甘噛みすると、郁斗の上唇に歩の舌が触れた。段々と酸素が薄くなって、相手の感覚以外何も入ってこない。
 それが幸せなのだと、郁斗は思った。
 触れ合っていると、いつの間にか互いのバスローブはずり落ちていた。月と街の明かりが歩の肌を青白く照らす。互いの素肌に触れた所だけが熱い。
「背中寒い……」
 そう呟いた歩を抱きしめたまま仰向けになり、隣に歩を寝かせる。その上から掛布団を掛けると、歩はもぞもぞと動いて頭を郁斗の首元にすり寄る。
「俺の好きな人、かわいすぎる……」
 そう言って歩の頭を撫でると、彼は少し動いて郁斗と視線を絡めた。
「俺の好きな人も可愛い……」
 小さな2人だけの世界で、2人は眠りに落ちた。