2人とも肝心なことは何も言葉にできずに1時間が経ち、2人は観覧車のりばへ向かった。
 スタッフに促されるまま、乗り込んだゴンドラの中に向かい合って座る。中は照明が一つだけで薄暗く、足先が触れて妙に緊張する。それとは対照的に歩は柔らかく笑い、その落ち着きように郁斗は戸惑った。
「で、お話きくよ。……なあに?」
 これだけ時間を稼いでおいて、郁斗は歩に何を言うべきか考えていなかった。考えようとしても、好きという気持ちだけが先行して考えられなかった。
 観覧車は上がり、梅田に密集するビル群から抜け出ていく。人々が生きる灯を夜景に代えながら。
「あの、ね…………」
 郁斗の背中に一滴の汗が流れた。言葉を発しようとしても、声が出ない。喉にモノが詰まったかのように口を開いては閉じ、を繰り返す。
 自分の気持ちを口に出すのが、ここまで怖いなんて思っていなかった。そんな郁斗の足先に歩の足が触れた。
「俺、郁斗くんが好きでどうしようもないの。だから……」
 二の句が継げぬ郁斗に、歩は両手を握りしめて言葉を紡ぐ。歩もまた震えていた。
「好きじゃないならさ、そう言って?郁斗くんは俺に優しいから……でも、もう期待したくないの」
 そう言って涙を零す歩を見て、郁斗は背筋が冷たくなっていくのを感じた。
 郁斗は涙を拭う歩の手首に触れ、掴んで引き寄せた。
「違う!俺、歩が好きだよ……!」
「じゃあ、なんでそんな悲しそうな顔するの」
 郁斗は我に返り、掴んでいた手首を離す。歩の手首にはくっきりと跡が残っていて、郁斗の心に罪悪感が募っていく。
 ふと、「葛藤や遠慮は伝えた方が良い」という神田の言葉を郁斗は思い出した。拳を強く握り込み、心と喉をつなげた。
「そうじゃなくてっ、歩を傷つけたくないの。俺、歩見ると壊したくなる……大好きなのに」
 郁斗の目から涙がボロボロと零れる。傷つけたくないのに、痛い思いをさせたくないのに。自分の中にある矛盾した衝動が怖い。
「それに俺、止まれなくなっちゃうよ。純粋無垢な歩のこと穢したくないの」
 恐る恐る歩の反応を窺うと、彼は傍にある窓から景色の遥か遠くを見つめていた。
「郁斗くんが思うほど純粋無垢じゃないよ。計算だってしてるし」
——計算?
「この観覧車選んだのも『付き合ってない2人が乗ると付き合える』ってジンクス聞いたからだし、郁斗くんって意外とビビりだから、あわよくば吊り橋効果で好きになってくれないかなあとか、さあ……」
 言いながら、歩は気まずそうに郁斗の方を見た。
——計算の方向もかわいいの何なの?
 本人は狡いことをしたつもりのようだが、郁斗にとってはかわいいものだった。
 天然のかわいさに若干の腹立たしさを覚えながらも、郁斗は歩が愛しくて、好きで堪らなかった。
「だからね、俺はだいじょーぶ。郁斗くんはどうしたい?」
「……好き。大好き、歩」
 なんの躊躇いも、後ろめたいこともない、心からの気落ちが溢れる。
「うん、俺も」
「付き合って。俺の恋人になって」
「……うん」
 郁斗は歩の隣に移動し、歩の手に触れ指を絡めた。
 ゴンドラは観覧車の頂上に差し掛かる。2人を邪魔するものは何もなかった。