「そんな訳で、この辺りは色々と思い出が多すぎてキャパオーバーになる、みたいな?あはは」
 あまりにも悲しそうな顔をするメンバーを見ていると、申し訳ない気持ちになった。明日はライブなんだから、気落ちしないでほしい、と。原因は自分だというのに。
 アイドルスマイルを作って周りを見渡すと、歩と目が合った。歩は潤む瞳で郁斗のことを抱き寄せた。
「俺の前でそんな顔しなくていいよ、郁斗くん」
「え?」
「そうだぞ、俺らメンバーなんだからさ!」
 仲森も俺の背中を摩り始めた。まるでライオンでも撫でるかのような強い力で。癒しも慰めの効果もないが、頼もしさがダイレクトに伝わってくる。
「癖になってんのかもしんねえけど、素を出した方が楽じゃねえか?」
「郁斗は外でも可愛い感じ出そうとしすぎ。割とドライな所ももうバレてんだから、大丈夫だよ」
 神田と西園寺も同調する。妙に冷静なのに冷たさを感じさせない所が、2人は似ていた。
「ドライな感じねえ……。別にそんなつもりはないんだけどね。そう見えるのはキャラ作りが上手くいってるからかな」
 それが染みつきすぎだから心配を掛けるのだろう、という視線を感じる。それは郁斗もよく知っている。
「他にも本音、話してくれ。な?」
「そうだぞ。酒飲めるようになったら飲まないと本音言えなくなるからな!」
 「おい」と仲森と西園寺に小突かれる神田を見ながら、郁斗は考えた。
「んー……」
——本音と言われても
 事務所内に限らず、人気のあった人が発言1つで地位を失う姿を見てきた。ネガティブ思考と慎重な性格も相まって、郁斗は喋る前にまず考え、結局喋らないことが多い。
 ずっと引っ付いていた歩がもぞもぞと動き、離れて郁斗の顔を心配そうに見た。それに合わせて甘い匂いが郁斗の鼻をくすぐる。
「良い匂いするね、バニラ?」
 歩の首筋に顔を近づけると、より鮮明に甘い匂いが香った。
「ちょっ、郁斗くん!?」
「え、逃げないでよ」
 距離をとる歩を捕まえて、もう一度首筋に近づく。今度は抵抗しなかった。
——ん?香り強くなった……?
「バニラって、まんま解釈一致じゃん」
「解釈?」
 つい、アイドルオタクみたいなことを言ってしまった。けれど、本音を話せとメンバーは言っているから、言ってもいいだろう。
「メンカラの白で、甘くて、かわいい感じ」
「か、可愛いって……。郁斗くん俺のことそんな風に思ってたの!?」
 俺はずっとこの子のことをかわいいと、思っていた。ちゃんと思ったのは最近だけど、多分最初から。と、郁斗はその時気づいた。
「なんか……」
「……。可愛いものが好きなのはそのままなんだな……」
 年上3人は視線を交錯させながらも安堵したように言い、部屋は緊張が解かれる。
「じゃあ俺はもう寝るわ。肌に悪いし」
 西園寺はさっさと部屋を出て行ってしまい、仲森と神田も二、三言掛けて出て行った。2人は未だ引っ付いたまま。
 静かになった部屋。歩の香水の匂いが段々と甘くなっていくような気がした。
「……俺たちも寝ないとね。明日も早いし」
 歩から離れ、自分のベッドに移るよう促すと俺の服の裾が引っ張られた。
「歩?」
「一緒に寝ない?」
——はっ?
 声も出なかった。なんなの、この子……。
「一緒に寝たら、安眠できるんじゃない?」
 つまり歩なりの気遣い、なのだろうか。この土地にいるから寝れない、ということはないのだけど。歩は郁斗に「ダメ?」とかわいらしくお願いする。
 俺はどうも彼に弱いらしい。
「わ、かった。じゃ」
 ベッドに潜り込み、隣を空ける。自分で言い出したくせに、歩はおずおずと中に入り込み、少し距離を空けた。
——それで添い寝のつもりなのか?
 郁斗は歩の肩に手を回す。ビクリと跳ねた歩を引き寄せ、彼の頭を郁斗の心臓の辺りに近づけた。
「なんで……?」
「俺の方が背、高いじゃん」
「そ、そだね……ねえ郁斗くん」
 しばしの沈黙の後、歩は口を開いた。何故か、突拍子もないことを言われる予感がした。
「俺ね、郁斗くんともっと仲良くなりたいんだあ」
——は?
「仲良くって、何。俺と何したいの」
 つい、神田のようなぶっきらぼうな声が出てしまった。決して嫌だったとかそういうのじゃない。自分に近づく彼を、いや、彼を穢すかもしれない自分を恐れていた。
 歩は純粋無垢な人間だ。キャラとして確立されている天然っぽさに加えて、天性のオーラ。対し、俺のあざとさは作り物で、嘘も欺瞞も策略に塗れている。努力の跡だと言えば聞こえはいいが、それにしては荒み過ぎだ。郁斗は何度そう思ったか知れない。
「んとね、近づきたいって思う。言ったでしょ、俺もね、郁斗くんのこと可愛いって思ってるからさ」
 答えになっていないが、これも歩なりの答えなのだろう。存外、郁斗の方もそんな歩をかわいらしく思っているのは嘘でも欺瞞でもない。と思う。
——近づきたい、か……
 自分と歩の間に距離があることは、分かっていた。先輩である自分から距離を詰めていかねばならないことも承知していた。それでも、怖かった。
 悪い奴なんかじゃない。むしろその逆で。己の才にかまけずレッスンに通い、弱音も数える程しか吐かなかった。郁斗が欲しい言葉もくれた。
 それでも郁斗はこの子のことがさっぱり分からない。天然で、何も考えていないように見えて最短デビューを狙う野心を秘めている、この子が。
 恐怖は時に攻撃性に変わるという。
 恐ろしいのは歩そのものだけじゃない。
 俺も俺が怖いと思う。
 歩を無垢だと思えば思うほど、自分が穢してしまうのではないかと不安になる。だから双子アピールの傍ら、無意識に距離をとっていた。
 無垢だと思っているのは自分だけで、そうじゃないと知ってしまったとき、俺はどうなってしまうのだろう。
 それが恐ろしい。だから踏み込みたくない。知りたくない。17年生きてきて、こんなに複雑な感情は初めてだ。明確な理由さえはっきりしていないのに。いや、しようとすらしていないのか。
「もう寝るよ。明日」
 早いし……と言いかけた時。
 歩の顔が近づいてきて、彼の唇が俺の頬を掠めた。
 少し熱くて、柔らかい唇が。
「……え?」
「おやすみのキス。郁斗くんが、よく眠れますようにって」
「か、」
——わいい……
 言葉を間一髪で飲み込む。いくら怖いと思っても、何を考えているか分からなくても、本当にこの子はかわいい。満足げに離れていく歩の後頭部に手を回し、顔を近づける。
 歩がしたように、郁斗も彼の頬にキスを落とした。
「い、郁斗くん……」
 これも自分から仕掛けたくせに、歩は顔を真っ赤にして郁斗の胸に顔を埋めてしまった。
 ふわふわと香るシャンプーの匂いに、郁斗は密かに唇をギリッと噛み締めた。
 キュートアグレッションという言葉がある。かわいいと感じるものに対する攻撃的な衝動。これは、恐怖から起こる攻撃性よりも厄介かもしれない。
 ふと、そんなことを思った。