「お疲れ様でーす……」
事務所に到着し、他の研修生たちがいるレッスン室に入る。蒸し暑い外とは違って、空調の効いた中は涼しく息がしやすい。流石、大手事務所だ。
アルタイル・エンタープライズ。人気アイドルが多数所属していて、デビューを目指す研修生も多数抱える大手アイドル事務所。コンサートだけでなくバラエティーやドラマ、映画に舞台、人によれば声優などマルチに活躍する人も多い。
郁斗たち研修生は、放課後と土日に行われているダンスや歌のレッスンに参加する。一応自主参加となっているが、積極的に参加する人ほどチャンスが入ってくるのは言うまでもない。
外部のレッスンを受ける場合はその費用を事務所が出してくれるなど、かなり手厚い。郁斗は事務所のレッスンはもちろん、気になった外部のレッスンにも積極的に受けていた。
レッスン室の中には講師はおらず、レッスンはまだ始まっていないようだった。同じ高校生だけでなく中学生や大学生もいる中は賑わっていた。荷物を置いて談笑する歳の近い面々の間に入る。
「さっき、仲森さんと神田さんがいたんだけど」
「え?マジで?」
研修生の1人が発した言葉にレッスン室にいる皆が注目する。
「珍しいな、事務所にいるの」
仲森賢矢と神田侑真。
同じ研修生の身でありながらデビューした先輩と同じくらいの仕事をこなしていて、研修生の中では一番ファンの多い2人だ。仲森はドラマ、神田はバラエティーを中心に活躍している。
「コンビでデビューするんじゃね?」
「ついにかー」
2人はグループにこそ所属していないが、雑誌や事務所公式動画配信では仲森と神田2人コンビで登場することが多い。2人がコンビでデビューするだろうという予想はファンだけでなく内部でも有力視されていた。
仲森は郁斗より2年先輩で研修生の最年長でもある。一方、神田は郁斗よりも後輩だ。
「西園寺さんもいたぞ」
たった今レッスン室に入って来た研修生の1人が輪に入ってそう言った。
西園寺翔太。
彼もまた同じ研修生だが、その圧倒的ビジュアルと上品さでCMや観光大使などを務めている。研修生の中では一般人からの知名度が一番高い。彼もグループに所属していないが、歌やダンスの実力もありソロデビューすると言われている。
年齢は1つ上で、7年前から郁斗と一緒に切磋琢磨していた同期だ。
「ええ?」
「まさか、あの3人が組むとか?」
「なんでだよ。それはねーだろ」
仲森と神田は2人で1つ。誰の目から見ても完璧だった。西園寺も、それ単体で華がある。彼らを思うと、郁斗の心に影が落ちた。
ずっと、周りとの差が開いていくのを感じていた。神田に至っては郁斗より2年あとに入って来たというのに、完全に追い抜かれてしまった。
歌もダンスもビジュアルも、その他アイドルになるために必要なことは何一つとして手を抜いたことはないのに。
郁斗は来年受験生になる。普通の高校生として進路を選ばなければならない。アイドル1つでやっていきたい気持ちは当然ある。
——でも、現実的なことを考えると……。
「……くん、郁斗くん」
「え?」
深い思考の中から肩を叩かれて我に返る。顔を上げると歩がいた。困ったような顔をして。
「専務さんが呼んでるって……」
「え?俺ら2人?」
コクコクと頷く歩。レッスン室の入口を見るとスタッフが待っていた。
「……行こうか」
「はい」
背筋がぞくりと震えた。歩は何も分かっていない様子だが、専務に呼ばれるということは研修生にとって死を意味していた。専務から直々の伝達事項は社外秘レベルのものか、何かをやらかしたか流出したかで謹慎を言い渡される時、もしくは社長からのクビ宣告か。
「お前らなんかやらかしたか~?彼女?」
「そんな訳ないでしょ。クラスの打ち上げにすら行ってない」
揶揄う声をあしらいながらレッスン室を出て、スタッフについて事務所内を歩く。
——クビか?
いや、事務所に入れたばかりの歩をクビにするとは考えにくい。飛び抜けた実績をいつまでも出せない自分を見限るという話ならともかく。
では、何かやらかしたか?いや、言った通りクラスの打ち上げにすら出ていないし、放課後も休日もレッスンに行く日々だ。歩はどうか知らないが。
1年生の途中で事務所に入り、2年で転科するまでの間、歩は普通科にいながら事務所のレッスンに通っていた。彼が事務所に入ったことは普通科で瞬く間に広まり、手を出そうとする生徒は数え切れないほどいた。
どういう訳かそれを止めに入るのも郁斗の役目だった。光瑛高校の1学年上には西園寺がいるが、その頃すでに売れに売れまくっていたので学校には殆どいなかった。
俺の知らない所で歩がやらかして、俺は見限られてクビ。
そんな最悪のコースを思い浮かべていると、歩が郁斗の顔を覗き込んできた。
「郁斗くん、顔真っ青ですけど……」
「ん、いやあ大丈夫」
慌ててアイドルスマイルを作って誤魔化し、辺りを見渡す。
歩は決して悪い奴ではない。手はかかるが憎めないのはこういう所があるからだ。
ところで、スタッフに連れられて事務所を移動しているが、先ほどからどうもおかしい。てっきり専務室に行くものかと思っていたが、この道筋は社長室行きだ。
——終わった。もう、終わりだ。
この事務所の社長はとても厳しい人だ。手を抜いた人はすぐにバレるし、社長に叱責を受けた人はなんだかんだ辞めていく。一発クビの判決をするのもこの人だ。
重厚な扉を前に身体が竦む。予想は大当たりし、辿りついたのは事務所最上階の最奥、社長室だ。
「失礼します。桜木さんと結城さんをお連れしました」
スタッフがそう言って社長室のドアを開けた。
「失礼します」
「失礼します」
頭を上げると、郁斗は思わず半歩後ずさりする。
やはり何かおかしい。
社長室にいたのは社長、専務、そして仲森、神田、西園寺だった。厚い眼鏡をかけた社長は、部屋の真ん中にある机に腕を乗せ、高級そうな黒革の椅子にドンと座っている。そのすぐ傍には腹に脂肪を蓄えた、体格のいい中年男がバインダーを持って立っていた。どうして売れっ子の先輩たちと俺らが、と郁斗は声も出なかった。
「来たか」
発するだけで圧力のある社長の声に背筋が伸びる。それは他の面々も同じらしく、神妙な面持ちで社長に注目する。
「この5人で研修生グループを組み、2年以内のデビューを目指してもらう。もしデビューできなければ解散だ」
——は?
郁斗は固まったまま動けなかった。脳ミソが情報処理をストップしてしまったようで、思考が回らない。
気づいた時には神田が社長に突っかかっていた。止めに入る専務など素知らぬ顔をして。
「流石にそれはないんじゃないスか」
神田は事務所に入って5年になる20歳だが、3年目くらいまではぶっきらぼうで反抗的な態度をとることも多かった。今でこそ良いコンビになっている仲森とも衝突が多かった。
年上の後輩との接し方が分からず、彼と話したことは片手で数えるほどで、本来はどんな人なのか郁斗は知らない。神田だけでなく仲森も厳しい顔をしており、西園寺と歩は困惑した表情を見せている。
そんな俺たちの動揺など意に介していないようで、神田を制止した専務が説明を始める。
「とにかく、これは決定事項。明日正午に発表される。グループ名は『SN―SKY(サンスカイ)』」
桜木、仲森、西園寺、神田、結城の頭文字だろうか。安直なものだ。
「これからレッスンなどはグループ単位になる。オリジナル楽曲の制作やコンサートなどは状況を見て決める。桜木と仲森の決まっているドラマは『SN―SKY』名義になる。リーダーを誰にするか諸々は話し合って決めてくれ。以上。今日は帰っていい」
専務はそれだけ言うと社長室を出て行った。社長はこれ以上用はないという顔で窓の外を見ている。どうしたものかと黙りこくっていると、仲森が口を開いた。
「……みんな行くぞ。失礼しました」
仲森は颯爽と社長室を出ていき、郁斗たちもそれに続いた。
廊下に全員が出ると、仲森は振り返って郁斗たちを見渡す。最年長らしく、頼もしい表情だった。
「とりあえず、会議室を借りようか」
「それなら、そこの角の所なら終日誰も使わないって」
神田が指さした先の会議室は、確かに誰も使っていなかった。『終日空室』とわざわざ書かれている辺り、このために用意されているようだった。
事務所に到着し、他の研修生たちがいるレッスン室に入る。蒸し暑い外とは違って、空調の効いた中は涼しく息がしやすい。流石、大手事務所だ。
アルタイル・エンタープライズ。人気アイドルが多数所属していて、デビューを目指す研修生も多数抱える大手アイドル事務所。コンサートだけでなくバラエティーやドラマ、映画に舞台、人によれば声優などマルチに活躍する人も多い。
郁斗たち研修生は、放課後と土日に行われているダンスや歌のレッスンに参加する。一応自主参加となっているが、積極的に参加する人ほどチャンスが入ってくるのは言うまでもない。
外部のレッスンを受ける場合はその費用を事務所が出してくれるなど、かなり手厚い。郁斗は事務所のレッスンはもちろん、気になった外部のレッスンにも積極的に受けていた。
レッスン室の中には講師はおらず、レッスンはまだ始まっていないようだった。同じ高校生だけでなく中学生や大学生もいる中は賑わっていた。荷物を置いて談笑する歳の近い面々の間に入る。
「さっき、仲森さんと神田さんがいたんだけど」
「え?マジで?」
研修生の1人が発した言葉にレッスン室にいる皆が注目する。
「珍しいな、事務所にいるの」
仲森賢矢と神田侑真。
同じ研修生の身でありながらデビューした先輩と同じくらいの仕事をこなしていて、研修生の中では一番ファンの多い2人だ。仲森はドラマ、神田はバラエティーを中心に活躍している。
「コンビでデビューするんじゃね?」
「ついにかー」
2人はグループにこそ所属していないが、雑誌や事務所公式動画配信では仲森と神田2人コンビで登場することが多い。2人がコンビでデビューするだろうという予想はファンだけでなく内部でも有力視されていた。
仲森は郁斗より2年先輩で研修生の最年長でもある。一方、神田は郁斗よりも後輩だ。
「西園寺さんもいたぞ」
たった今レッスン室に入って来た研修生の1人が輪に入ってそう言った。
西園寺翔太。
彼もまた同じ研修生だが、その圧倒的ビジュアルと上品さでCMや観光大使などを務めている。研修生の中では一般人からの知名度が一番高い。彼もグループに所属していないが、歌やダンスの実力もありソロデビューすると言われている。
年齢は1つ上で、7年前から郁斗と一緒に切磋琢磨していた同期だ。
「ええ?」
「まさか、あの3人が組むとか?」
「なんでだよ。それはねーだろ」
仲森と神田は2人で1つ。誰の目から見ても完璧だった。西園寺も、それ単体で華がある。彼らを思うと、郁斗の心に影が落ちた。
ずっと、周りとの差が開いていくのを感じていた。神田に至っては郁斗より2年あとに入って来たというのに、完全に追い抜かれてしまった。
歌もダンスもビジュアルも、その他アイドルになるために必要なことは何一つとして手を抜いたことはないのに。
郁斗は来年受験生になる。普通の高校生として進路を選ばなければならない。アイドル1つでやっていきたい気持ちは当然ある。
——でも、現実的なことを考えると……。
「……くん、郁斗くん」
「え?」
深い思考の中から肩を叩かれて我に返る。顔を上げると歩がいた。困ったような顔をして。
「専務さんが呼んでるって……」
「え?俺ら2人?」
コクコクと頷く歩。レッスン室の入口を見るとスタッフが待っていた。
「……行こうか」
「はい」
背筋がぞくりと震えた。歩は何も分かっていない様子だが、専務に呼ばれるということは研修生にとって死を意味していた。専務から直々の伝達事項は社外秘レベルのものか、何かをやらかしたか流出したかで謹慎を言い渡される時、もしくは社長からのクビ宣告か。
「お前らなんかやらかしたか~?彼女?」
「そんな訳ないでしょ。クラスの打ち上げにすら行ってない」
揶揄う声をあしらいながらレッスン室を出て、スタッフについて事務所内を歩く。
——クビか?
いや、事務所に入れたばかりの歩をクビにするとは考えにくい。飛び抜けた実績をいつまでも出せない自分を見限るという話ならともかく。
では、何かやらかしたか?いや、言った通りクラスの打ち上げにすら出ていないし、放課後も休日もレッスンに行く日々だ。歩はどうか知らないが。
1年生の途中で事務所に入り、2年で転科するまでの間、歩は普通科にいながら事務所のレッスンに通っていた。彼が事務所に入ったことは普通科で瞬く間に広まり、手を出そうとする生徒は数え切れないほどいた。
どういう訳かそれを止めに入るのも郁斗の役目だった。光瑛高校の1学年上には西園寺がいるが、その頃すでに売れに売れまくっていたので学校には殆どいなかった。
俺の知らない所で歩がやらかして、俺は見限られてクビ。
そんな最悪のコースを思い浮かべていると、歩が郁斗の顔を覗き込んできた。
「郁斗くん、顔真っ青ですけど……」
「ん、いやあ大丈夫」
慌ててアイドルスマイルを作って誤魔化し、辺りを見渡す。
歩は決して悪い奴ではない。手はかかるが憎めないのはこういう所があるからだ。
ところで、スタッフに連れられて事務所を移動しているが、先ほどからどうもおかしい。てっきり専務室に行くものかと思っていたが、この道筋は社長室行きだ。
——終わった。もう、終わりだ。
この事務所の社長はとても厳しい人だ。手を抜いた人はすぐにバレるし、社長に叱責を受けた人はなんだかんだ辞めていく。一発クビの判決をするのもこの人だ。
重厚な扉を前に身体が竦む。予想は大当たりし、辿りついたのは事務所最上階の最奥、社長室だ。
「失礼します。桜木さんと結城さんをお連れしました」
スタッフがそう言って社長室のドアを開けた。
「失礼します」
「失礼します」
頭を上げると、郁斗は思わず半歩後ずさりする。
やはり何かおかしい。
社長室にいたのは社長、専務、そして仲森、神田、西園寺だった。厚い眼鏡をかけた社長は、部屋の真ん中にある机に腕を乗せ、高級そうな黒革の椅子にドンと座っている。そのすぐ傍には腹に脂肪を蓄えた、体格のいい中年男がバインダーを持って立っていた。どうして売れっ子の先輩たちと俺らが、と郁斗は声も出なかった。
「来たか」
発するだけで圧力のある社長の声に背筋が伸びる。それは他の面々も同じらしく、神妙な面持ちで社長に注目する。
「この5人で研修生グループを組み、2年以内のデビューを目指してもらう。もしデビューできなければ解散だ」
——は?
郁斗は固まったまま動けなかった。脳ミソが情報処理をストップしてしまったようで、思考が回らない。
気づいた時には神田が社長に突っかかっていた。止めに入る専務など素知らぬ顔をして。
「流石にそれはないんじゃないスか」
神田は事務所に入って5年になる20歳だが、3年目くらいまではぶっきらぼうで反抗的な態度をとることも多かった。今でこそ良いコンビになっている仲森とも衝突が多かった。
年上の後輩との接し方が分からず、彼と話したことは片手で数えるほどで、本来はどんな人なのか郁斗は知らない。神田だけでなく仲森も厳しい顔をしており、西園寺と歩は困惑した表情を見せている。
そんな俺たちの動揺など意に介していないようで、神田を制止した専務が説明を始める。
「とにかく、これは決定事項。明日正午に発表される。グループ名は『SN―SKY(サンスカイ)』」
桜木、仲森、西園寺、神田、結城の頭文字だろうか。安直なものだ。
「これからレッスンなどはグループ単位になる。オリジナル楽曲の制作やコンサートなどは状況を見て決める。桜木と仲森の決まっているドラマは『SN―SKY』名義になる。リーダーを誰にするか諸々は話し合って決めてくれ。以上。今日は帰っていい」
専務はそれだけ言うと社長室を出て行った。社長はこれ以上用はないという顔で窓の外を見ている。どうしたものかと黙りこくっていると、仲森が口を開いた。
「……みんな行くぞ。失礼しました」
仲森は颯爽と社長室を出ていき、郁斗たちもそれに続いた。
廊下に全員が出ると、仲森は振り返って郁斗たちを見渡す。最年長らしく、頼もしい表情だった。
「とりあえず、会議室を借りようか」
「それなら、そこの角の所なら終日誰も使わないって」
神田が指さした先の会議室は、確かに誰も使っていなかった。『終日空室』とわざわざ書かれている辺り、このために用意されているようだった。