家に帰り、鞄からアクリルスタンドを取り出す。この2体のアクリルスタンドをどうすべきか。
 視線はぬいぐるみたちの並ぶ棚の上に移る。ここなら、飾っても変じゃないかもしれない。そっと、2人並べて置いてみる。周りにいるぬいぐるみの影響か、2人ともかわいさが5割増しで見える。
 歩をかわいいと思う気持ちは正直よく分かる。天然で、喋り方もふわふわしていて、まっすぐな純粋無垢さ。
 方向音痴も危なっかしいのも愛おしく思えるのがかわいいと言うならば、俺はそこそこ歩のことを可愛がっているのだと思う。
 「かわゆし」は平安時代、不憫という意味だった。今の意味で使う言葉は「らうたし」という。らうたし、は、世話したくなるとか愛おしいだとか。まさに歩を体現する言葉のように思える。
 対して「あざとい」は近年まで褒め言葉ですらなかった。
 歩に「人と比べるな」と言っておいて、俺はできていない。
 いや、普段ならそんなことはしないのに、歩の圧倒的な純真無垢さを見ていると、まるで自分が汚れた存在のように思えてしまう。
 その光は圧倒的すぎて嫉妬の感情すら湧かない。
 郁斗はただ、その光をずっと見ていられたらいいと思った。