未だ他のメンバーが来ないリハーサル室で大学の課題をし始めた神田が、ふと思い出したように口を開いた。
「そうだ。1人暮らししようかと思ってるんだけどさ、どうなん実際」
 ダンス練習をしていた郁斗は神田の方に視線を向けると、彼は頬杖をついて首を傾げていた。
 コミュニケーションの取り方が難しいな、と郁斗は思った。郁斗はあまり積極的に話すタイプじゃない。バラエティーに呼ばれた時や、共演者と仲良くなる程度の世間話なら出来た。が、神田は違う。
 これから長く関わるであろうメンバーの、しかも年上の後輩という不思議な関係性の彼との距離の詰め方を測りかねていた。
「どうって……まあ自炊は大変なんじゃないの。あと掃除」
 郁斗は高校入学と共に上京していた。直前まで住んでいた所は田舎で、デビューに向けて自己研鑽に励むには適していないと判断してのことだった。幸い、金は沢山あった。
「やっぱそうだよなあ」
「1人暮らしなら、仲森くんに聞いたら?1人暮らし長いでしょ」
 「2人よく話すでしょ」と郁斗が付け加えて言うと、「まあ……」と神田は珍しく顔を曇らせた。郁斗の脳内に、かつて舞台裏で喧嘩を繰り広げた仲森と神田の姿が過った。
「え、何?喧嘩中?」
「ちげーよ。ガキが気ぃ使うな」
——ガキって……
「これでも俺先輩なんだけど?」
「人生規模なら俺のが先輩だ」
 ふんぞり返る神田を見て、郁斗はニヤリとほくそ笑んだ。
「そんなに言うならさ。侑真くん、俺のお兄ちゃんになってくれない?」
 郁斗は今日も名案を隠し持っていた。
「は?……どういうことだよ」
「んー?家族売りってやつだね。俺気づいたんだよ、侑真くんって結構面倒見良いよね」
 兄に甘える弟。年下という属性を存分に生かし、あざとかわいさを出すのにピッタリだ。
「これでも一応長男だからな」
「ふうん。じゃあ尚更良いじゃん」
 神田が兄らしさを出せば神田に沼るファンも出てくるだろう。
 デビューするためには単に俺と歩のファンを増やせば良いという話じゃない。このメンバーだからこそファンを獲得できるという実績を作らなければならない。そう郁斗は考えていた。そして、家族感のあるグループはファンも付きやすい。
 神田は黙って郁斗のことを見る。嫌な感じはない。ただ、郁斗の頭の上からつま先まで何度か往復するように瞳が揺れていた。
「……なんか、お前って結構腹ん中で考えてんだな。可愛い顔して」
「えー?何のことかな……何も考えてない人なんていないでしょ?」
 世の中の嘘も欺瞞も知りません、何それ美味しいの?とでも言うような顔を作り、極めつけの上目遣いをしてみると、神田は視線を逸らして溜息を吐いた。
「はいはい、やってやるよ兄貴」
「わーい!」
 郁斗は神田に飛びついた。それを面白そうに郁斗の背中をポンポンと叩く。なんだかんだ言っても郁斗のほうが先輩なのだ。郁斗は端からこの提案を断られるとは思っていなかった。
——よし、あざといあざとい、あざとかわいい。
「おはようございま……は?」
 ガチャリとリハーサル室の扉が開き、唖然とした様子の歩とニカニカ笑う仲森と目が合う。
「なに、してんの。郁斗くん」
「何だお前ら仲いいなあ~!」
 2人が傍にやって来て、仲森は郁斗と神田の背中をバシバシと叩いた。
——ちょ、力強すぎるんだけど
 歩は歩で複雑そうな視線を向けている。
「今日から侑真くんは俺のお兄ちゃんだから。ね?」
「なんかそういうことになった」
「へー、神田がお兄ちゃんか!良いな、じゃあ俺は歩の兄ちゃんをしようか」
 仲森くんが歩の肩に手を回してそう言った途端、郁斗の中で何か嫌なモヤが沸いた。
——キャラが被るから?
「賢くんはどちらかというとお父さんでしょ」
 今しがた到着した西園寺がそう言ってテーブルの上に荷物を置いた。そして郁斗を見渡してパチン、と手を叩いた。
「リハ、始めよ。振り入れからだよね?」
 グループのリーダー、西園寺の方が適任なんじゃないか、と郁斗は薄っすら思った。