翌朝岳斗が目を覚ますと、海斗はもう部活に出かけた後だった。両親は家にいた。リビングへ降りて行くと、二人で話しているのが聞こえた。
「まだ高校生なのに、あんなに苦労しなくたって。」
「まったくだ。岳斗には何の罪もないのに。」
二人は深刻そうに話し、ため息をついていた。
「おはよう。」
岳斗が声を掛けて入って行くと、二人はパッと顔を明るくした。
「おはよう。よく眠れた?」
洋子が言った。
「うん。ごめんなさい、迷惑かけて。」
岳斗がそう言うと、
「何言ってんの。岳斗のせいじゃないでしょ。」
と、洋子が言った。
「岳斗、海斗が工学部に行く話は聞いてるか?」
隆二が言った。
「うん。決めたの?」
「いや、まだ決めかねているようだったが、これを機に決めてもらおうと思う。海斗は北海道へ行く。岳斗はここに住む。万事上手く行くだろ?」
と、隆二が言った。なるほど、と頷きかけた岳斗。だが、それでいいのだろうか。
「海斗が北海道へ行くまでの間は、父さんと一緒に近くのウイークリーマンションで寝よう。」
隆二がそう言った。
「今日これから、坂上さんの所へ行って話を付けてくる。お前の荷物も持って帰って来るから、お前は行かなくていい。あの人には、お前に会えなくて気の毒だが、自業自得だろう。飢えさせた挙句に暴力をふるうなんて。」
「そうよ。自業自得よ。ストーカーされない為にも、あなたはお父さんと一緒にいて、四月にはここに戻ってくる。それがいいわ。」
岳斗は、自分は何て恵まれているのだ、と思った。本来ならあの、どうしようもない親と一緒にいるか、独りで路頭に迷うしかないものを。
「ありがとう、本当に、ありがとう。」
岳斗はまた目に涙を溜めて、深々と頭を下げた。

 それから岳斗は、城崎家から歩いて五分ほどの所にあるウイークリーマンションに寝泊まりするようになった。寝室扱いなので、朝起きたらそのまま城崎家へ行き、朝食を済ませ、制服に着替えて学校へ行く。学校から城崎家へ戻り、ご飯を食べ、風呂に入ってからウイークリーマンションに戻る。それを、隆二といつでも共に行動した。なので、海斗とゆっくりしている暇はなかった。ただ、家まで一緒に帰れるのと、ご飯を一緒に食べられるのが救いだった。
 弁当は、また家から岳斗が自分で持っていく事になったのだが、今まで通り海斗と一緒に食べる事にした。もう周りの皆がそれを期待しており、海斗のファンは昼休みにはそこへ行って、遠くから海斗を眺めるのが日課になっているのだ。と、岳斗は予想していた。
「君たちさあ、そのブラコンはそろそろやめた方がいいんじゃないか?」
ある日、白石が昼休みに岳斗と海斗の所へやってきた。もう、生徒会長ではなくなっている。
「ブラコン?俺たちが?」
海斗はそう言って、肩をすくめた。
「おかしいだろう、兄弟で毎日、学校でも一緒にいるなんて。」
白石が言う。
「今更何言ってんだよ。俺たちがどれほど仲がいいか、校内のみーんなが知ってるぞ。」
海斗はもう、以前のように白石に対して敵対心を抱いてはいない。
「それにさ、俺もうすぐ北海道に行っちゃうからさ。岳斗と毎日会えるのも、後少しだし。」
海斗はそう言って、岳斗の肩に腕を回した。更に頭と頭をスリスリさせる。岳斗はびっくりして目をパチクリさせた。人前でこんな事をして、と。
「後少しなのは、お前だけじゃないだろ!」
白石がいきなり怒鳴ったので、岳斗と海斗はキョトンとして白石の顔を見た。白石は二人を、いや、ほぼ岳斗の方をじっと見て、黙ってしまった。
「白石、悪いけど、岳斗の事は諦めて。お前にはやらん。」
海斗はそう言って、岳斗の頭を撫でた。なんだか、変な兄弟って感じになっているぞ、と岳斗は思い、恥ずかしくなって、自分の肩に回された海斗の腕を取り払った。海斗はそれを、眉根を寄せて見た。なぜ外すのだ、とでも言いたげに。
「岳斗くん、君は……もう売却済みなのか?これに。」
白石はそう言って、海斗を指さした。
「え?」
売却済み。何という言葉を使うのだ、と岳斗は驚きつつ、これはどう答えたら良いものか、と思案した。海斗は岳斗の顔をじっと見守っている。
「はあ、まあ。」
岳斗は曖昧に答えたつもりだったが、白石は驚いたように目を見開いた。
「そうか。」
白石は目を閉じ、一つため息をついた。そして、
「じゃあな。」
そう言うと、髪をなびかせてくるりと体を反転させ、去って行った。かっこいい、と岳斗は感心してしまった。
「よしよし、よく言ったな。」
海斗がまた岳斗の頭を撫でた。
(言っちゃったのか、俺?)
岳斗は今更ながら赤面した。