金曜日の帰り道、海斗が言った。
「岳斗、明日うちに来れるか?」
「うん。」
「実はさ、俺は試合だからいないんだけど、父さんと母さんがお前に会いたがってるから。」
岳斗は流石にがっかりした。海斗に会えると思ったのに。だが、家の中では二人きりにさせてもらえないだろう。そのために家を出たのだから。
「それでさ、日曜日にはデートしようぜ。」
と、海斗が言った。
「うん!」
岳斗は素直に嬉しかった。デートだなんて、考えた事もなかった。なるほど、別々に暮らすと、より恋人らしくなれるみたいだ、と岳斗は思った。

 土曜日、岳斗は城崎家に戻った。ついチャイムも鳴らさずに玄関を開け、
「ただいまー。」
と言って入って行った岳斗。靴を脱ぎかけて、そうだ、自分の家ではないのだから、これはまずかったのでは、と思ったが、
「岳斗!お帰りなさい!」
と、洋子が走り出てきて、靴を脱いで上がったばかりの岳斗を抱きしめたので、そんな事はどうでもいい事だと知った。隆二も迎えに出てきてくれて、それから三人で食卓を囲んだ。色々あったが、元々土曜日の昼はこの三人でいつも食事をしていたので、以前と同じ、和やかな時が流れた。
 岳斗がそろそろ帰ろうとすると、洋子が常備菜や漬物などをたくさん持たせてくれた。
「風邪引かないようにね。家は寒くない?」
洋子が心配そうに言った。確かにアパートは寒い。この家は暖かいし、すごく居心地が良かった。そう考えたら、岳斗は思わず泣きそうになった。だがダメだ、母さんにこれ以上心配をかけては、と自分を律した岳斗。もう子供ではないし、こうなったのは自分のせいなのだ。
「大丈夫だよ。母さんこそ、体壊さないようにね。俺が手伝ってあげられなくて、今までより忙しいんじゃないの?」
「そうなのよー。海斗の世話が大変。あの子ユニフォームを洗濯に出さないし、制服を掛けずにその辺に置きっ放しにするし。」
ああ、そうだった。俺がいないと海斗はダメなんだ、と岳斗は思い出した。いつもかっこいい海斗でいる為には、岳斗がいないとダメなのだ。岳斗はまた海斗に会いたくてたまらなくなった。あと数時間ここにいれば、海斗は帰って来るだろう。だが、家に帰って夕飯を作らなければならない。それに、明日はデートだから。我慢だ、と岳斗は自分に言い聞かせた。
「それじゃ、また来るね。あ、母さん、いつもお弁当ありがとう。」
岳斗がそう言って笑うと、洋子は少し目を赤くして、うんうんと頷いた。岳斗は心の中で洋子に(本当にごめん)と謝った。そして、後ろ髪を引かれる思いで城崎家を後にした。

 翌朝、坂上はまだ寝ていたが、岳斗は身支度を整えて家を出た。電車に乗って、待ち合わせをしている映画館へ。海斗はちゃんと起きられただろうか。来なかったらどうしよう、などと胸の中は穏やかではない。
 映画館に到着し、ぐるりと見渡すと、ひと際目立つ人、その人を遠巻きに見る人々が岳斗の目に飛び込んできた。背が高くスラッとして、日焼けしたゴージャスな顔を持ち、ロビーの真ん中の柱に寄りかかってスマホを見ているその目立つ人は、顔を上げて辺りを見渡し、岳斗に目を留めた。そして、スマホをポケットにしまい、岳斗の方へ歩いて来た。
「岳斗、おはよう。」
「海斗、早かったね。起きられないんじゃないかって心配してたのに。」
岳斗がそう言うと、海斗はちょっと拗ねたような顔をした。
「お前とのデートなのに、寝坊なんかしていられるかよ。」
岳斗の耳元に口を寄せて、そう言った。
 予約していたチケットを発券し、ゲートの前に並んだ。
「二人で映画見るの、ずいぶん久しぶりだな。」
海斗が言った。
「うん。昔は良く一緒に見たよね。」
「ポケモン映画とか、戦隊ヒーローものとかな。」
母さんに連れられて、と話は弾む。懐かしさが溢れる。あの頃も、岳斗は海斗が好きだった。海斗と一緒にいたかった。岳斗は、実は自分はずっと変わってないのかもしれないと思った。
 入場時間になり、指定席を探して座った。海斗が予約した席は、一番後ろの端っこだった。混んでいるわけではなく、周りの席はほとんどが空きのようだった。
「この席が良かったの?割と真ん中も空いてるみたいだけど?」
岳斗が言うと、海斗は岳斗の耳に手を当てて、内緒話のようにして言った。
「ここなら、上映中何をしていても見られないだろ?」
「え?」
「だってさ、学校や家では二人きりになれないし、外では人目につくし、まさかラブホに行くわけにもいかないしさ。俺たちがいちゃつける場所ってないじゃん。」
岳斗の顔はカーッと熱くなった。
「だろ?」
海斗が岳斗を見つめる。
「う、うん。」
そのうち電気が消え、スクリーンに映像が流れ始めた。それを待ち構えていたかのように、海斗は岳斗の肩に手を回し、振り返った岳斗にキスをした。岳斗は、なんだか泣きそうになった。こんなにも求められているという実感、それが心を揺さぶる。
 キスの後、二人は手を握り合い、肩を寄せ合い、頭を寄せ合って、映画を観ていた。映画が終わり、エンディングロールが流れていても、まだそのまま座っていた。そして、電気が点いた。まだ残っていた客もいて、皆ゾロゾロと出口へ向かう。自分たちも行かなくてはと、岳斗と海斗は握り合った手をやっとの思いで放した。男女のカップルが、手を繋いで歩いているのが見えた。それが羨ましい、と岳斗は思った。そうしたら、海斗が岳斗の手を取った。
「海斗、それは、ちょっと。」
岳斗が言うと、
「やっぱダメ?」
そう言って、手を放した。
「不自由だなあ、俺たち。」
海斗が言った。
 それからファーストフード店で食事をし、どうしようかと話して、カラオケに行くことにした。カラオケ店に入って個室に案内され、座るや否や、
「あ、ここって、二人きりになれる場所じゃん!」
と、海斗が言う。
「でも、外から覗けるから。」
岳斗がドアを指さす。ガラス窓がある。けっこう人が頻繁に通る。それでも、ジーッと見ている人はいないし、ちょっとくらいなら……。魔が差す。
 いやいや、人生邪魔が入る事ばかりだ。抱き合った途端、ドアにノックの音がしてびっくりする二人。店員が飲み物を持って入って来た。歌を歌い、手を繋ごうとすると、人が通ってジロリと中を見て行く。海斗がラブソングを歌ったので、何となく気分が盛り上がり、キスをしようとしたら、部屋の電話が鳴る。
「あと十分で終了時間となりますが、どうされますかー?」
「出ます。」
カラオケボックスは、イチャイチャする場所ではない。今日はそれが良く分かった岳斗と海斗であった。

 夕方になった。海斗はいつも、日曜日は宿題やら何やらで忙しい日なのだ。これ以上一緒にいたら、海斗が後で困るに違いない、と岳斗は思った。今は昼休みも勉強できないのだ。させないとも言えるが。
「じゃあ、ここで。」
岳斗がそう言って、駅のホームで別れようとすると、
「家まで送るよ。」
と、海斗が言う。
「でもお前、忙しいだろ?いいよ。」
岳斗が遠慮すると、海斗は一瞬黙ったが、岳斗の乗る電車が来てドアが開くと、岳斗よりも先に乗り込んだ。
「海斗。」
「送る。」
頑固にそう言う。それなら岳斗の方が送れば良かったのかもしれない。けれども、あの家の前まで行ったら、その後今の家に帰るのがつら過ぎる気がして、岳斗はそう言い出せなかったのだ。また明日会えるのに、どうしてこういつまでも離れがたいのだろう、と岳斗は思った。自分も、海斗も。
 岳斗の家の前に着くと、海斗は意外にもあっさりと帰った。人目があるからだろうか。それとも、これ以上一緒にいたらキリがないと思ったのか。岳斗は海斗の背中が見えなくなるまで見送った。少しだけ、涙が出そうになる。深呼吸してからくるりと向き直り、アパートの階段を上がった。