学校からの帰り道、岳斗は呼ばれたような気がして立ち止まった。気のせいだったか。そう思ってまた歩き出した。だが、今度はもう少し近くから、
「空也。」
と呼ばれた。岳斗がハッとして振り返ると、そこに中年の男性が立っていた。そう、空也と呼ぶのはあの人物しかいない。岳斗の、本当の父親。
「空也だろ?俺が分かるか?父さんだよ。」
父親は近寄ってきた。岳斗はとっさに後退る。父親は、刑務所にいたはずだ。出所したという事なのか。洋子が言っていた。岳斗が父親に見つからないように、名前を変えたのだと。岳斗はぞっとした。母親と妹を殺した男。とうとう岳斗の事を見つけたということか。
「あの、人違いです。」
岳斗はそう言って、走って帰った。

 だが、次の日の学校帰りにも、父親が岳斗を待ち伏せしていた。今日は部活があったので、昨日よりもだいぶ待ったはずだ。
「空也、頼む。話を聞いてくれ。」
拝むように言われて、岳斗は仕方なく立ち止まる。
「なんですか?」
岳斗が言うと、
「空也、父さんが悪かった。ずっと後悔してきたし、反省もした。俺にはもう、何も残っていない。お前しか、残っていないんだ。戻ってきてくれ。また一緒に暮らしてくれ。」
父親は岳斗の肩に手をかけ、頭を下げる。なんと言ったらいいのか分からずに、岳斗が困っていると、
「おい、おっさん!何してんだよ!」
海斗が通りかかって、岳斗の父親の手を振り払った。
「君は?友達かい?」
父親が言うと、
「俺はこいつの兄貴だ。文句あんのか?」
と、海斗がすごんだ。
「兄?じゃあ、空也は君のところに住んでいるのか?」
父親がそう言うと、海斗はハッとした。空也という名を聞いて、気が付いたのだ。岳斗の父親だという事に。
「こいつは空也じゃないよ。」
海斗はそう言うと、岳斗の事を引っ張って歩き出した。父親は追っては来なかった。

 家に帰ると、海斗が洋子に岳斗の父親の事を話した。
「学校が知られたとなると、家を知られるのも時間の問題かもしれないわね。」
洋子が言った。
「警察に話した方がいいんじゃないか?」
海斗が言うが、
「いや、それは……。そこまでしなくても。俺ももう子供じゃないんだし、危険なわけでもないし。」
岳斗がそう言って、とりあえず様子を見る事になった。

 次の日には現れなかった父親だが、数日後にはまた岳斗の帰りに待ち伏せしていた。数日おきにやってきて、
「空也、一緒に暮らそう。戻ってきてくれ。俺にはお前しかいないんだ。」
などと言う。岳斗は、少しだけ可哀そうになる。家族がいないのは、自分が殺したせいなのだから自業自得もいいところだが、それでも、こんな哀れな姿を見たら、少し心が動かされる。とはいえ、岳斗はもう城崎家の養子になっている。今更あの家を出るなんて事は考えられないのであった。岳斗はどう言えばいいのか分からず、いつも黙って父親から逃げて来るのだった。

 寝る前には、必ず海斗が岳斗の部屋に来て、数分の間共に過ごす。今日も岳斗は待ちきれず、ドアの前で立っていると、そうっとドアが開いて、海斗が入って来た。海斗がドアを閉めるのを待って、岳斗は海斗に抱き着いた。
「お待たせ。」
優しくそう言って、海斗が岳斗にキスをする。すると、
「海斗、ユニフォーム洗濯に出し……」
いきなり洋子がドアを開けたのだ。岳斗と海斗はギクリとして硬直した。洋子はそれこそびっくりして声も出ない。
「母さん、あの。」
海斗がそう言うか言わないかの内に、洋子の声が出た。
「二人とも、ちょっと来なさい。早く。」
そう言って、先に立って階段を下りて行った。二人は大人しく従った。
 洋子は普段、岳斗の部屋に入る時には必ずノックをする。けれども今、洋子は海斗に急ぎの用があり、海斗の部屋へ向かっていたら、階段の下から岳斗の部屋に入る海斗が見えたので、追いかけて来たのだ。洋子はルームシューズを履いていて、足音がしない。海斗が岳斗の部屋に入ってすぐだったから、ノックをせずにドアを開けたのだ。無理もない。まさか二人でいる時に、見られて困るような事をしているなどとは、夢にも思わなかったのだから。
 洋子が隆二を呼び、リビングに集合した。四人とも立ったままだ。
「ごめんなさい!」
岳斗はとっさに両親に謝った。
「岳斗が謝ることじゃないよ。」
海斗がそう言ったが、岳斗は首を横に振った。
「俺が、この家に来たからいけないんだ。ここまで育ててもらったのに、恩を仇で返すような事をしてしまって、本当にごめんなさい!」
岳斗は頭を深々と下げた。
「違うのよ、あなたのせいじゃないわ。」
洋子が岳斗の体を起こした。隆二は腕組みをして下を向いている。
「海斗の気持ちはずっと前から分かっていたけど、片想いで終わると思っていたのよね。岳斗の気持ちが変化してきた事にも気づいていたけど、既にそういう仲になっているとは知らなかったわ。」
「父さん、母さん、俺は岳斗の事を一生大事にするから、俺たちの事認めてください。」
今度は海斗が深々と頭を下げた。
「海斗……。」
隆二が口を開いた。
「父さんも母さんも、前から考えていた。将来的には、二人の仲を認めようとな。だが、今はまだ早い。」
「え?」
海斗が顔を上げた。
「そう、まだ早いのよ。二人がこうなった以上、もうちょっと大人になるまでは、一緒に暮らすわけには行かないわ。」
洋子が毅然として言った。海斗と岳斗は、ハンマーで叩かれたような衝撃を感じた。
「ちょ、ちょっと、何言ってんだよ。まさか……俺か岳斗にこの家から出ろって言うのか?」
海斗が言ったので、岳斗はすぐに言葉を継いだ。
「俺がこの家を出て行くよ。俺は、海斗の弟としてこの家にいたんだ。弟ではなくなったのなら、この家にはいちゃいけないんだ。」
「だけど、お前。」
海斗が言いかけたが、岳斗は更に言葉を紡いだ。
「俺の本当の父親が、一緒に暮らそうって言ってるから。俺はあの人と暮らすよ。」
すると、隆二と洋子が顔を上げた。
「いや、そんな事はさせられない。お前は俺たちの子になったんだから。」
隆二が言った。
「そうよ。岳斗だけをここから追い出すなんて、そんな事はしないわ。私かお父さんがこの家を出て、あなたたちのどちらかと別の場所で暮らせばいいのよ。」
洋子もそう言った。
「そんな事、だめだよ。元々三人家族なんだから。俺だけの為に、家族がバラバラになるなんて、だめだよ。絶対に。大丈夫、俺の父親はもう反省していて、暴力を振るうとは思えないし。」
岳斗が言うと、海斗が全力で否定した。
「バカ、何言ってんだよ。あの男は、お前の母さんや妹を殺した悪魔だぞ。そんなやつとお前を一緒になんてさせられないよ。」
「でも海斗、その悪魔と俺は、血がつながってるんだ。」
血を分けた、たった一人の親。海斗は岳斗の言葉を聞いて、あっと口を開けた。そして、
「……ごめん。」
と言った。
 結局、岳斗は悪魔のような父親と、一緒に暮らす事になった。岳斗は、連絡先の書かれた紙を押し付けられて持っていたので、隆二がそこに電話をし、すぐに岳斗が引っ越すという事で話はまとまった。
「ねえ、頼むよ。しばらく俺たちの一人部屋は要らないからさ、俺が父さんと一緒に寝るから、せめてこの家で岳斗も一緒に暮らせるようにしてくれよ。」
海斗は、いつまでも子供のように駄々をこねていた。だが、岳斗は淡々と荷物をまとめた。