翌朝、岳斗は学校へ行った。すると、待ち構えていたように金子が言った。
「おい、お前の兄貴、あの前園さんと付き合ってるんだって?昨日二人で帰ってる所を見たってやつがいるぜ。」
と言った。岳斗の気持ちは一気に奈落へ落ちた。更に、朝練から戻ってきた笠原も、岳斗を見るなり同じような事を言った。
「海斗さん、とうとう彼女作ったんだな。昨日二人で帰ってたよ。まあ、あの二人はお似合いだもんな。」
と。自分が病気で寝ている時に……と、岳斗は無性に腹が立った。そこへ、女子たちからも同じような訴えがあった。
「ねえねえ、城崎のお兄さんって、あの新体操部の人と付き合う事になったって本当なの?」
と。
「いや、俺は聞いてないけど。」
誰も、岳斗の心配などしてくれやしない。昨日熱を出して休んでいたというのに。それより、海斗の事を聞きたくて、手ぐすね引いて待っていたのだ。
「えー、信じらんなーい。」
「やだー!」
など、この問題は女子たちの間でも話題になっているようだ。岳斗はふと心配になった。弟の、男の自分でさえ海斗のファンからあれだけ妬まれて、嫌がらせを受けたのだ。前園はどれほどひどい目に遭うか。考えるのも恐ろしい。何とかしないと、と思った。そうだ、生徒会長の助けを借りてはどうか。そう考えた岳斗は、放課後に生徒会室へ行った。

 トントン。
 ノックをして、岳斗はそうっと生徒会室のドアを開けた。
「あのう、白石会長はいますか?」
ドアを少しだけ開けて、近くにいた男子に小声で声をかけた。書類を見ていたその男子は、岳斗の事をチラッと見ると、
「会長、お客さんです。」
と言った。その男子が見ている方に白石がいるのだと思い、岳斗はもっとドアを開けて奥を覗いた。すると、奥の席に白石が座っていて、書類に目を通していた。書類から目を上げて岳斗の方を見ると、ガタッと立ち上がった。
「岳斗くん?どうしたんだい?」
そう言われて、
「あのう、ちょっとお話があって。」
と、岳斗が言うと、白石は椅子や机に脚をぶつけてガタガタ言わせながら、急いでやってきた。この静かなところで海斗の話をするわけにはいかないので、岳斗は白石を廊下へ連れ出した。
「えと、何かな?」
白石は手を後ろに組み、いつもと違って女の子っぽい立ち方をしていた。うつむき加減で。
「あの、兄貴の事なんですけど。兄貴と前園さんの噂、聞いてますか?」
岳斗がそう言うと、白石は目をパチパチさせ、それから後ろに組んでいた手をほどき、腰に手を当てた。つまり、いつもの白石に戻った。
「噂?いや、別に聞いていないが。あの二人がどうかしたのか?」
なんだ、同じクラスの白石会長が知らないという事はガセか、と岳斗は思った。
「一年の間で、兄貴と前園さんが付き合ってるんじゃないかっていう噂が流れてるんです。それが本当かどうかは知らないんですけど、どっちにしても、前園さんが前の俺みたいに嫌がらせを受けたりしないかなって心配になって。」
岳斗がそう言うと、白石は一瞬黙って岳斗の事を見つめた。岳斗が顔に疑問符を浮かべると、白石はふっと笑った。
「君は、本当に優しい人だね。」
そして、こんな事を言った。
「城崎は、ああ、城崎海斗は、前園と仲がいい。それは以前からそうだ。最近前園が注目されたから、そんな噂が流れたんだろう。」
「え、前から仲が良かったんですか?」
「そうだよ。あの二人、かなりハードな毎日をこなすアスリート同士だからな。よく励まし合ってるみたいだよ。意外と弟は知らないかもしれないが、城崎海斗はけっこうクラスメートとよく話す。男子とも女子ともな。二年生は今更その噂、信じないと思うぞ。」
岳斗は複雑な気分だった。噂がウソだろうというのは朗報だが、海斗と前園の仲がいいというのはむしろ岳斗を不安にさせた。ただ、海斗が前園だけでなく、他の女子とも仲がいいというのは初耳だった。だとしたら、前園だけが特別ではないという事で、それはやっぱり朗報なのかもしれない。
「まあ、せっかく知らせてくれたんだし、私も前園の事は気にして見ておくよ。一年生から嫌がらせを受けないとも限らないしね。」
と、白石は言った。
「よろしくお願いします。」
岳斗は何だか上の空で、とにかく頭を下げ、その場を離れた。アスリート同士。自分の知らないところで、海斗は女子と励まし合っている……。もやもやする岳斗。
(あー、もうしんどい!)
 もやもやイライラしながら岳斗が帰ろうとしていると、護が現れた。
「あ、岳斗くん、一緒に帰ろう!」
と、嬉しそうに近づいてきた。相変わらず可愛い、と岳斗は思った。
「昨日休みだったでしょ?病気だったの?大丈夫?」
「うん。ちょっと熱が出て。それより、兄貴の噂聞いた?」
「あの新体操のスターとの噂?聞いたよー。本当なのかなあ。でもまあ、僕はどうせ望みなんて持っていないし、彼女ができてもできなくても、あまり関係ないけどね。」
一昨日は泣いたくせに、護はそんな風に軽く言った。一日落ち込んで、泣いて、気持ちに整理を付けたのかもしれないな、と岳斗は思った。
 校舎を出て、しばらくは校庭の横を歩く。海斗の姿を探す岳斗。そして見つけた。
「かっこいいよねー。」
護が岳斗の気持ちを代弁してくれた。海斗とは、今夜こそ顔を合わせる事になるだろう。どんな顔をして会えばいいのだろう、と岳斗は考えた。
 少し歩いていると、後ろから呼ばれた。
「岳斗!」
海斗が走ってくる。なぜだ?部活中ではないのか?と岳斗が狼狽えていると、海斗は走って目の前にやってきた。そして、護の事をジロッと見る。
「あー、本条だっけ。えーと、そのぅ。」
海斗は手を腰に置き、上を見たりして、次の言葉を探している。何をやっているのだ、と岳斗は訝しんだ。すると、
「先輩、あの、彼女が出来たって本当ですか?」
と、護の方から質問が。海斗は、護の顔を見て、すぐに岳斗の顔を見た。
「あ、いえ、いいんです。先輩に彼女がいてもいなくても、僕は先輩のファンですから!」
護は可愛らしくそんな事を言った。
「二人で……一緒に帰るのか?」
海斗は脈絡なくそんな事を言った。
「はい。僕たち仲良しなんで。」
護はニッコリして、岳斗の腕に自分の腕を絡めた。すると海斗は、
「岳斗、お前俺が部活終わるまで待ってろ。」
なんて事を言った。
「は?なんでだよ。」
岳斗がそう言うと、海斗は岳斗を抱えて護から引き離した。そして、護に向かって言った。
「お前さ、俺の岳斗に手出さないでくれる?」
岳斗は面食らった。
(って?!何言って!?こんな、公衆の面前で、こんな事して、そんな事言って……)
パニック、である。
「か、海斗のバカ!」
岳斗は海斗を突き飛ばし、一目散に駆け出した。
「あ、岳斗くん!」
後ろから護の呼ぶ声が聞こえたが、岳斗はそのまま走り続けた。顔が熱い。息が苦しい。まあ、走っているからなのだが。