モテる兄貴を持つと……

 朝礼で新体操部の二年生、前園桜良(まえぞのさくら)が表彰された。新人戦都大会で個人優勝したのだ。来月、インターハイに出場するという事だった。壇上に上がった前園は、ポニーテールを結っており、スタイルも姿勢も良く、美しかった。
 その後岳斗の周りでは、あちこちで前園の話が出た。特に男子の間で。
「めちゃめちゃ可愛かったよなー。」
「新体操って、レオタード着るんだろ?見てみたいぜ!」
金子と栗田がそう言うと、
「おい、前園さん、毎日昼休みに体育館で練習してるらしいぜ!」
と、笠原が言った。
 という事で、岳斗たち男子四人は、昼休みに体育館へ見に行く事になった。体育館は複数の部活が使うので、放課後は週に二、三回しか使えない。なので、新体操部は昼休みにも練習しているのだった。レオタードではなかったが、前園はリボンを持って練習をしていた。
「おーお、すげえ。」
皆、感動しまくりだった。リボンの動きは思いの他すさまじい。そして、前園の動きも美しい。
 昼休みも終盤になり、新体操部は練習を終えた。道具を片付け、教室へ向かう前園の、だいぶ後ろから岳斗たちも歩いて行った。後を付けているわけではないのだ。教室へ帰るには同じ方向に歩くとういわけで。しかし、岳斗たちは前を美しく歩く前園に、興味津々だった。
 と、そこへどこからか帰って来た海斗が現れた。数人の男子と一緒だった。海斗が前園に話し掛け、二人は並んで話しながら、歩いて行く。海斗が、女子と笑いながら話している。白石とはずいぶんと違う態度で。
「あ、海斗さんじゃん。うわ、悔しいけど、海斗さんと前園さんお似合いだなー。」
笠原が言った。
「ほんとだ。ありゃ太刀打ちできないわ。」
栗田も言う。
「もしかして、前園さんは既に岳斗の兄貴の彼女なのか?」
金子が岳斗に聞く。
「え、知らないよ。」
と、岳斗はそっけなく言った。いや、海斗にそんな暇はないはずだ、と岳斗は思った。彼女が出来た素振りなど、全然見せない。前を歩く二人。何を話しているのかは聞こえないが、声は何となく聞こえる。あの雰囲気…まさか…。岳斗はなぜか激しく動揺した。

 次の日の昼休み、暇な岳斗たちは体育館へ足を運んだ。体育館の入り口にそれぞれ体をもたせかけ、何となく新体操部の練習を見る。だが、岳斗は実を言うとあまり興味がなかった。それより、海斗と前園の事が気になって仕方がない。結局昨日も海斗に聞く事はできなかった。
 前園が、海斗と同じクラスだという事は、岳斗にも分かった。それなら、普段の休み時間にどんな様子なのかを見に行きたいと思った。だが、岳斗はかつて二年生の女子たちから嫌がらせを受けた身なので、とても海斗のクラスの周辺に行く気にはなれなかった。
 放課後、岳斗が部活でトレーニングをしていると、今日は新体操部が体育館の外で練習していた。かつて岳斗がダンス部の体験をした所だ。そこで準備体操のような事をしていた。端の方を歩いて通り過ぎる岳斗。邪魔にならないように。
 通り過ぎてから、海斗の声が聞こえたような気がした岳斗は、振り返った。すると、ユニフォーム姿の海斗がそこにいた。ダンス部の体験をした時にも、休憩をしにこの辺に来ていたから、また休憩しているのだろう。が、あの時は岳斗の事が心配でわざわざ見に来たようだった。今は?まさか、前園を見に来たのか。
 岳斗は、曲がり角を曲がったところで立ち止まり、そうっとそちらの方を覗いた。何人かの後輩たちが、海斗の事を見てキャッキャとしている。前園ともう一人が、腰かけている海斗のところへ話しに行っていた。海斗は笑っている。女子と笑って話すなど、ありなのか。岳斗は無性にハラハラした。いや、イライラか。それともムカムカか。そこへ、
「ちょっと、あれは何だよ!」
と、小声で話し掛けてくる人物が現れた。岳斗が振り返ると、岳斗と一緒になって海斗の方を覗いている護がいた。帰るところで、荷物を背負っている。
「まさか、あの新体操部のスターが、君のお兄さんの彼女になったとかじゃないよね?」
と、やはり護は小声で聞いてきた。岳斗は全力で否定したかったが、根拠に乏しかった。確かに文化祭までは忙しくてそれどころではなかっただろうが、最近は絶対に無理という程でもない。暗くなるのが早くなり、サッカー部も少し早く終わるようになって、岳斗とほぼ同時に帰宅する日も少なくない。部屋で電話をしていても気づかないかもしれないし、学校で仲良くしていても、岳斗には分からない。わざわざ彼女が出来た事を岳斗に知らせるとも思えない。
 なぜだか、岳斗は泣きたくなってきた。なぜだろう。分からない。兄を取られる弟の気分というのは、こういうものなのだろうか。
「岳斗君?」
護が岳斗の顔を覗き込む。岳斗はやばい、と思った。本当に涙が出てしまっていた。だが、すぐに引っ込める。目をパチパチした。
「兄貴も男だな。ちょっと美人がいるとヘラヘラしちゃってさ。」
岳斗がそう言うと、護はそれこそ泣きそうな顔をした。いや、本当に泣き出した。
「ああ違う、違う。兄貴に彼女が出来た訳じゃないよ、多分。」
岳斗は手をパタパタされて否定したのだが、護が涙を手でぬぐうのが可哀そうで、可愛くて、ちょっと護を抱きしめた。
「おい!何やってんだ。」
びっくり。それこそびっくりだ。海斗がすぐ近くにいたのだ。
「何泣かしてんだ?」
怒ったような目で、岳斗を見下ろす海斗。怒っているのはこっちなのに、と思いつつ、
「泣かせてんのは海斗だろ!」
と、岳斗は言った。そして、また涙が溢れた。やばいので退散だ。岳斗は護の事も放っておいて、さっさとその場を離れた。山岳部は独りで歩けるのがいい、と岳斗は思った。岳斗はそのまま人のいない方へ、いない方へと歩いて行った。

 岳斗が家に帰って夕飯を食べていると、海斗が帰って来た。海斗も夕飯を食べに来た。海斗が岳斗の顔を盗み見る。極まりの悪い岳斗は、食べ終わるとさっさと食器を片付け、部屋に戻った。
 岳斗が机に向かって勉強を始めると、案の定、海斗が部屋を訪ねてきた。岳斗の胸はザワザワした。前園の事を聞こうかと考えると緊張して、手に汗をかいてしまう。だから、聞く事はできない。
「岳斗、今日お前……泣いてた?」
やはり聞かれた。岳斗はどう答えて良い物か分からず、黙っていた。泣いていたと認めたら、なぜ泣いていたのかという話になる。そんな事は自分でも分からないのだ。ここはやはり否定するしかない。
「いや、泣いてないよ。俺は。」
そう、泣いていたのは護だ。
「じゃあ、あの本条だっけ?あいつは何で泣いてたんだ?」
「それは……海斗が女子と話してたからじゃない?」
間違えてはいない。
「それで、なんでお前はあいつにハグしてたわけ?」
「それは、可哀そうだったから。」
岳斗がそう言うと、海斗は机にバンと手をついた。
「可哀そうだからって、いちいちハグするのか?……お前、ああいうのが好みなのか?」
最初はすごんでいたのに、最後は遠慮がちに聞いた海斗。岳斗は顔を上げて海斗を見た。顔が近い。
 護の事は美少年だと思ったが、すぐ目の前にいるこの人の方がずっと美少年だ、と岳斗は思った。
「海斗は?前園さんみたいな人が好みなの?」
岳斗は言ってからハッとした。聞いてしまった。急にドキドキし始めた。言わなければ良かったと後悔した。だがもう遅い。目を見つめ合い、しばらく二人とも何も言わなかった。
 海斗が体を起こし、顔は遠くなった。
「何を言い出すのかと思えば。別に、好みじゃないよ。」
海斗がそう言った。岳斗の胸が少し軽くなる。海斗が本当の事を言ったとは限らないが。岳斗は海斗の顔を見上げ、表情を伺った。海斗は岳斗を見下ろしていたが、そのまま何も言わずに去って行った。
(ん?怪しい?)
結局、岳斗の疑念は晴れる事なく、もやもやは消えない。けれども、とりあえず望まない言葉を聞かずに済んだのだった。
 休み時間に、廊下でキャー!という悲鳴があちこちで聞こえ始めた。そう、今日は久々に洋子が寝坊して、海斗の弁当を岳斗が持ってきたのだ。
「キャー!キャー!」
岳斗の教室も、すごい悲鳴。思わず耳に指を突っ込みたくなる岳斗。実際に突っ込んでいる男子もいた。教室に現れた海斗に、岳斗は弁当を持って近づいた。すると、栗田が走り寄って来た。
「岳斗、今日こそ紹介してくれよ!」
嬉しそうな顔をした栗田がいた。ここでか、と岳斗は心配した。海斗には早く去ってもらった方がいいと思うのだ。しかし、ここまで先延ばしにしていた岳斗も悪い。仕方がない。
「あー、海斗、こちら、友達の栗田。」
岳斗は弁当を手渡した後、そう言って栗田を指さした。海斗が栗田を見る。栗田は、
「こんにちはっす。栗田です。よろしくっす。」
と言って頭を下げた。面白い、と岳斗は思った。なるほど、女子や護のようガチなファンとは違う。そこへ、笠原と金子も駆けつけてきた。
「ちわっす、金子と言います。よろしくっす。」
金子も同じように頭を下げた。笠原は、
「海斗さん、ちわっす。俺たち岳斗のマブダチっす。」
と言った。海斗は三人を見渡し、ニコッと笑った。
「へえ、岳斗の友達か。よろしくな。」
海斗がそう言うと、三人はそろって、
「はい!」
と返事をした。そして海斗が教室を去ろうとした時、クラスの女子のほとんどがダーッと詰めかけてきた。
「私、岳斗君の友達の○○です!」
と、それぞれが叫ぶ。海斗も無視できないようで立ち止まったが、このままだともみくちゃになると思った岳斗は、
「あーちょっと、もうやめてくれ!頼むから、ここまで!」
岳斗は海斗と女子たちの間に入って両手を広げた。
「海斗、行って!」
岳斗が首だけ振り返ってそう言うと、海斗は岳斗の首に腕を回した。つまり、バックハグをしたのだ。片手には弁当を持っているが。
「サンキュ、またな。」
海斗は岳斗の耳に口を付けてそう囁くと、腕を放して去って行った。バックハグを見て一瞬静まり返った女子たちは、海斗が岳斗の耳に口を付けたところで、
「キャーーー!」
と、ひと際激しく悲鳴を上げた。岳斗は耳が真っ赤。
(あ、穴があったら入りたい。久々に。)
 席に戻ると、栗田たちが岳斗を見てニヤニヤしていた。
「なんだよ。」
岳斗がふくれ面をして問うと、
「いやー、海斗さんかっこいいなあ。そして、お前は愛されてるなあ。」
笠原がそう言ってうんうんと頷いた。他の二人も笑っている。岳斗は何も言えなかった。愛されている、と言われて少し嬉しかったのだ。そんな事は、分かっていたはずなのに。

 だが、やはり心穏やかではいられない岳斗だった。また、目撃してしまったのだ。前園と海斗が話しているところを。教室の移動をしている時に、体育館の入り口で二人が話しているのを見てしまった。大勢一緒にいたのではなく、二人で話していたのだ。
 嫌だ、と岳斗は思った。こんな風に心が乱れるのは嫌だ。一体どうしたというのだろう。自分は何がそんなに嫌なのだろう。
 それは……岳斗には薄々分かっていた。海斗に恋人ができるという事実が、嫌なのだ。どうしてだろうか、と岳斗は自問する。自分だって、かつて彼女を一瞬作った事があったし、ずっと思っていたではないか。海斗にも決まった人が出来れば、自分の恋愛も上手く行くのにと。海斗に彼女ができればいいのにと。それなのに、実際に出来たと思ったら……このどす黒い感情はなんだ。この胸の痛みは。
(海斗、嫌だよ。誰かに取られたくないよ。)
 岳斗は、家に帰ってから泣いた。失恋したように泣いた。海斗は相変わらず優しいのに、どうして自分は悲しいのだろう、と不思議だった。夕飯を食べに行かなければならないのに、涙が止まらない。
「岳斗、ご飯食べないのー?」
洋子がドアの外から呼んでいる。
「後で行くー。」
岳斗は何とかそう叫んだ。とにかく、涙を止めて夕飯を食べに行かねばならない。家族に変に思われる。岳斗は深呼吸をした。涙がポタポタっと両目からこぼれた。目を閉じて深呼吸を繰り返していると、ドタドタッと階段を駆け上がる音がして、次の瞬間ノックもなしに部屋のドアが開いた。
「岳斗、どうしたんだ?食欲ないのか?」
海斗だった。岳斗はベッドに座っていた。目を開けて海斗を見ると、海斗は、それは驚いた顔をしていた。
「ど、どうしたんだよ。」
海斗は震える手で恐る恐る岳斗の頭を触った。それから、両手で岳斗の顔を触った。親指で涙をぬぐう。
「何があった?俺に話せよ。」
海斗は苦しそうにそう言った。そんなに深刻な事じゃないんだ、と岳斗は心の中で言った。ただ、海斗に彼女が出来たのが悲しいんだ。だが、そんな事は言えない。岳斗は唇を噛んだ。
「岳斗、岳斗?」
海斗はすごく動揺していた。そして、何を血迷ったか(と、岳斗は思ったのだが)岳斗の唇に、唇を……つまり、キスをした。
 はっ!!とした岳斗。びっくりした、なんてもんじゃない。岳斗は何かを言おうとしたが、更に海斗は唇を押し付けてきた。
「ん、んん!」
岳斗はもがいた。海斗を押しやった。思いっきり押したので、海斗は尻もちをついた。涙など流している場合ではなくなった岳斗。鼓動が全速力で走った後のように激しく打っている。岳斗は階下へ逃げた。結果的に夕飯を食べに行ったのだった。海斗はそれからしばらく降りて来なかった。岳斗はご飯も喉を通らない……事はなかった。食べ盛りの高校生男子なので。
 海斗はその後夕飯を食べに行ったが、その時には岳斗はもう部屋に籠っていた。岳斗は、まだドキドキが止まらなかった。顔が熱い。

 翌朝、岳斗は熱を出して学校を休んだ。何もかも海斗のせいだ、と岳斗は思った。もう、何が悲しくて泣いていたのかさえ分からなくなっていた。とにかくショックで、頭の中には前園の事と、夕べのキスの事がぐるぐると回っている。これが知恵熱というやつだろうか、などと考えた。
 岳斗の熱は、午後には下がった。それでも何もする気になれず、寝ていた。海斗が帰ってきたら自分の所に来るのではないか、と身構えていたのに、海斗はとうとう来なかった。海斗が熱を出した時、自分は何度も様子を見に行ってやったのに、何てやつだ、と腹を立ててみたものの、どんな顔で会えばいいのか分からない岳斗だった。ただ、夜中になり、もう丸一日海斗の顔を見ていないのかと思うと、寂しくなった。すぐ隣の部屋にいるのに。岳斗はまた泣きたくなった。海斗と一緒に寝たい。小さい頃だったら、遠慮なく海斗の部屋へ行き、ベッドにもぐりこんでいたのに。
 それにしても、なぜ海斗は昨日あんな事をしたのだろう、と岳斗は考えた。ふざけてするなら分からなくもないが、あんな場面で。かなり動揺していたようだったが。自分が泣いていたから、だよな……と思った。
 翌朝、岳斗は学校へ行った。すると、待ち構えていたように金子が言った。
「おい、お前の兄貴、あの前園さんと付き合ってるんだって?昨日二人で帰ってる所を見たってやつがいるぜ。」
と言った。岳斗の気持ちは一気に奈落へ落ちた。更に、朝練から戻ってきた笠原も、岳斗を見るなり同じような事を言った。
「海斗さん、とうとう彼女作ったんだな。昨日二人で帰ってたよ。まあ、あの二人はお似合いだもんな。」
と。自分が病気で寝ている時に……と、岳斗は無性に腹が立った。そこへ、女子たちからも同じような訴えがあった。
「ねえねえ、城崎のお兄さんって、あの新体操部の人と付き合う事になったって本当なの?」
と。
「いや、俺は聞いてないけど。」
誰も、岳斗の心配などしてくれやしない。昨日熱を出して休んでいたというのに。それより、海斗の事を聞きたくて、手ぐすね引いて待っていたのだ。
「えー、信じらんなーい。」
「やだー!」
など、この問題は女子たちの間でも話題になっているようだ。岳斗はふと心配になった。弟の、男の自分でさえ海斗のファンからあれだけ妬まれて、嫌がらせを受けたのだ。前園はどれほどひどい目に遭うか。考えるのも恐ろしい。何とかしないと、と思った。そうだ、生徒会長の助けを借りてはどうか。そう考えた岳斗は、放課後に生徒会室へ行った。

 トントン。
 ノックをして、岳斗はそうっと生徒会室のドアを開けた。
「あのう、白石会長はいますか?」
ドアを少しだけ開けて、近くにいた男子に小声で声をかけた。書類を見ていたその男子は、岳斗の事をチラッと見ると、
「会長、お客さんです。」
と言った。その男子が見ている方に白石がいるのだと思い、岳斗はもっとドアを開けて奥を覗いた。すると、奥の席に白石が座っていて、書類に目を通していた。書類から目を上げて岳斗の方を見ると、ガタッと立ち上がった。
「岳斗くん?どうしたんだい?」
そう言われて、
「あのう、ちょっとお話があって。」
と、岳斗が言うと、白石は椅子や机に脚をぶつけてガタガタ言わせながら、急いでやってきた。この静かなところで海斗の話をするわけにはいかないので、岳斗は白石を廊下へ連れ出した。
「えと、何かな?」
白石は手を後ろに組み、いつもと違って女の子っぽい立ち方をしていた。うつむき加減で。
「あの、兄貴の事なんですけど。兄貴と前園さんの噂、聞いてますか?」
岳斗がそう言うと、白石は目をパチパチさせ、それから後ろに組んでいた手をほどき、腰に手を当てた。つまり、いつもの白石に戻った。
「噂?いや、別に聞いていないが。あの二人がどうかしたのか?」
なんだ、同じクラスの白石会長が知らないという事はガセか、と岳斗は思った。
「一年の間で、兄貴と前園さんが付き合ってるんじゃないかっていう噂が流れてるんです。それが本当かどうかは知らないんですけど、どっちにしても、前園さんが前の俺みたいに嫌がらせを受けたりしないかなって心配になって。」
岳斗がそう言うと、白石は一瞬黙って岳斗の事を見つめた。岳斗が顔に疑問符を浮かべると、白石はふっと笑った。
「君は、本当に優しい人だね。」
そして、こんな事を言った。
「城崎は、ああ、城崎海斗は、前園と仲がいい。それは以前からそうだ。最近前園が注目されたから、そんな噂が流れたんだろう。」
「え、前から仲が良かったんですか?」
「そうだよ。あの二人、かなりハードな毎日をこなすアスリート同士だからな。よく励まし合ってるみたいだよ。意外と弟は知らないかもしれないが、城崎海斗はけっこうクラスメートとよく話す。男子とも女子ともな。二年生は今更その噂、信じないと思うぞ。」
岳斗は複雑な気分だった。噂がウソだろうというのは朗報だが、海斗と前園の仲がいいというのはむしろ岳斗を不安にさせた。ただ、海斗が前園だけでなく、他の女子とも仲がいいというのは初耳だった。だとしたら、前園だけが特別ではないという事で、それはやっぱり朗報なのかもしれない。
「まあ、せっかく知らせてくれたんだし、私も前園の事は気にして見ておくよ。一年生から嫌がらせを受けないとも限らないしね。」
と、白石は言った。
「よろしくお願いします。」
岳斗は何だか上の空で、とにかく頭を下げ、その場を離れた。アスリート同士。自分の知らないところで、海斗は女子と励まし合っている……。もやもやする岳斗。
(あー、もうしんどい!)
 もやもやイライラしながら岳斗が帰ろうとしていると、護が現れた。
「あ、岳斗くん、一緒に帰ろう!」
と、嬉しそうに近づいてきた。相変わらず可愛い、と岳斗は思った。
「昨日休みだったでしょ?病気だったの?大丈夫?」
「うん。ちょっと熱が出て。それより、兄貴の噂聞いた?」
「あの新体操のスターとの噂?聞いたよー。本当なのかなあ。でもまあ、僕はどうせ望みなんて持っていないし、彼女ができてもできなくても、あまり関係ないけどね。」
一昨日は泣いたくせに、護はそんな風に軽く言った。一日落ち込んで、泣いて、気持ちに整理を付けたのかもしれないな、と岳斗は思った。
 校舎を出て、しばらくは校庭の横を歩く。海斗の姿を探す岳斗。そして見つけた。
「かっこいいよねー。」
護が岳斗の気持ちを代弁してくれた。海斗とは、今夜こそ顔を合わせる事になるだろう。どんな顔をして会えばいいのだろう、と岳斗は考えた。
 少し歩いていると、後ろから呼ばれた。
「岳斗!」
海斗が走ってくる。なぜだ?部活中ではないのか?と岳斗が狼狽えていると、海斗は走って目の前にやってきた。そして、護の事をジロッと見る。
「あー、本条だっけ。えーと、そのぅ。」
海斗は手を腰に置き、上を見たりして、次の言葉を探している。何をやっているのだ、と岳斗は訝しんだ。すると、
「先輩、あの、彼女が出来たって本当ですか?」
と、護の方から質問が。海斗は、護の顔を見て、すぐに岳斗の顔を見た。
「あ、いえ、いいんです。先輩に彼女がいてもいなくても、僕は先輩のファンですから!」
護は可愛らしくそんな事を言った。
「二人で……一緒に帰るのか?」
海斗は脈絡なくそんな事を言った。
「はい。僕たち仲良しなんで。」
護はニッコリして、岳斗の腕に自分の腕を絡めた。すると海斗は、
「岳斗、お前俺が部活終わるまで待ってろ。」
なんて事を言った。
「は?なんでだよ。」
岳斗がそう言うと、海斗は岳斗を抱えて護から引き離した。そして、護に向かって言った。
「お前さ、俺の岳斗に手出さないでくれる?」
岳斗は面食らった。
(って?!何言って!?こんな、公衆の面前で、こんな事して、そんな事言って……)
パニック、である。
「か、海斗のバカ!」
岳斗は海斗を突き飛ばし、一目散に駆け出した。
「あ、岳斗くん!」
後ろから護の呼ぶ声が聞こえたが、岳斗はそのまま走り続けた。顔が熱い。息が苦しい。まあ、走っているからなのだが。

 岳斗は家に帰ってからも、海斗と顔を合わせずにいた。夕飯は先に食べて部屋へ入ってしまったし、海斗が風呂から出て、部屋に入ったのを確認してから風呂へ行った。もはや、どうして避けているのか自分でもよく分かっていなかった。
 岳斗が風呂から上がり、階段を上っている時に、携帯電話の鳴る音がした。
「もしもし。うん。悪いな、お前もインターハイ近いのに。」
海斗が電話に出た。インターハイという言葉で、電話の相手は前園だと分かった。岳斗は、つい海斗の部屋の前で立ち止まった。
「嫉妬させるとか言って、全然だめだよ。俺ばっか嫉妬しててさあ。やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ。」
どういう事だ?前園は、誰かを嫉妬させる為に彼女のフリをしたというのか?そして、海斗には別に好きな人がいるという事か……?
「えー?マジでー?あははは。」
海斗の電話は続いていたが、岳斗は自分の部屋に戻った。前園ではない、誰か別の人。海斗が嫉妬させたいのに、嫉妬してくれない誰か。そんな人が、この世の中にいるのか。年上とか。意外に白石会長だったりして、などと岳斗は思いを巡らせた。だが分からない。海斗がどんどん遠くへ行ってしまうような気がして、怖かった。寂しかった。

 翌朝岳斗が学校へ行くと、教室がザワザワしていた。何事かと思いつつも自分の席へ向かうと、そこにポニーテールの女子が立っていた。なんと前園がいたのだ。
「あ、君が城崎岳斗くん?」
岳斗が机に荷物を置くと、前園はそう聞いてきた。
「はい。」
岳斗が恐る恐る返事をすると、
「私、前園です。よろしくね。」
と言って、岳斗に握手を求めて来た。岳斗はそっとその手を掴んで、すぐに離した。周りの男子から羨望の目で見られる。だから、羨ましがられるのは懲り懲りなのに、と岳斗は思った。前園は腕を組み、岳斗をジロジロと眺めた。
「ふうーん。」
薄ら笑いを浮かべる前園。新体操をしている時とはだいぶ印象が違う。
「あのー、何かご用でしょうか?」
岳斗が尋ねると、
「城崎の弟ってどんな子かなーと思ってね。城崎があんまり可愛い可愛いって言うからさ。」
岳斗の顔はボッと熱くなった。可愛いなんて言っているのかよ、海斗め!と思った。
「つまり、宣戦布告をしに来たって事ですか?私と弟とどっちが可愛いのよって?」
と、聞いたのは金子である。
「まあ、そんなとこかなー。」
前園はそう言ったが、岳斗は知っている。前園は海斗の彼女ではない。海斗の好きな人は別にいる。なぜこんな事をするのだろう、と岳斗は訝しんだ。前園はそれで去って行った。
 よせばいいのに、また昼休みに新体操部の練習を見に行った岳斗たち四人。暇だから仕方がない。前園は、今度は岳斗たちに気づいて、手を振ってきた。金子と笠原は喜んで手を振り返していた。
 練習の最後に、海斗が現れた。今日はちゃんと、体育館まで前園を迎えに来たようだった。そっちを見ていると、前園が明らかに岳斗の方を見て、それから海斗の腕に寄りかかった。フリだと分かっていてもイライラする岳斗。前園はけっこう嫌な人だ、と岳斗は思った。そして、友達を放っておいてさっさと教室へと歩き出した。

 新体操のインターハイが行われ、前園は個人七位という結果だった。剣星高校の新体操部始まって以来の快挙だった。そもそもインターハイ出場自体が快挙だったわけだが。
 テスト前になり、部活がない日々が始まった。こうなるともう、岳斗に海斗からの逃げ場はない。朝食も一緒に食べ、一緒に登校し、夕飯も一緒に食べなければならない。何となく避けてきたのだが、もう、そういうわけにもいかなくなる。食事の時、岳斗と海斗の席は向かい合わせだ。岳斗はなるべく海斗を見ないようにしているのだが、海斗の方は時々岳斗の顔を盗み見ている。岳斗はそれが嫌なわけではない。だが、気持ちが落ち着かない。
 もう、このままでは勉強にも集中できない。岳斗は、ちゃんと海斗と話さなければならないと考えた。まず、前園は本当の彼女ではない事、それをはっきりさせなければならない。
 学校から帰って着替えてから、岳斗は海斗の部屋を訪れた。海斗も着替えたばかりの様子だった。
「海斗、ちょっといい?」
「お?いいよ。」
「あのさ、前園さんの事なんだけど。」
岳斗が切り出すと、海斗はパッと岳斗の顔を見た。
「前園さんは、本当の彼女じゃないよね?フェイクなんだろ?」
岳斗がそう言うと、海斗は口をぽかんと開けた。
「なんで?」
海斗が聞く。
「前園さんと電話で話してるのが聞こえちゃったんだ。嫉妬させたいのに、自分ばっかり嫉妬してしまうとか、あいつは俺の事が好きじゃないのかな、とか。」
岳斗がそう言うと、海斗は更に口をぽかんと開けて、目も大きく見開いた。
「そう、だったのか。あははは。それじゃあ、嫉妬するわけないじゃん。あははは。」
海斗は目を片方の手のひらで覆って、笑いながらそう言った。
「ん?なに?」
岳斗が問いただすと、
「いや、何でもない。もう彼女のフリはやめてもらうよ。意味ないし。」
と、海斗が言った。岳斗は首を傾げる。
「お前さ、どうしてそう鈍感なんだ?」
海斗は岳斗の両肩に手を置いた。
「何が?え?俺、鈍感?」
岳斗には訳が分からない。
「俺が好きなのは、お前だって、分からないの?」
「……。」
海斗が自分の事を好きなのは、岳斗も知っている。だが、それだと、どういう事だ。つまり、嫉妬させたい相手が自分、という事になるのか?岳斗は混乱した。
― やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ ―
岳斗は、海斗が電話で嘆いていたのを思い出した。あいつ、が、自分?
「え、うっそ。いや、嘘だろ?」
岳斗は激しく動揺した。
「嘘じゃない。本当だ。今までも何回も好きだって言ってるけどな。本気にしてくれなかったもんな、お前。」
「だって、それは、俺たちは兄弟だから、好きなのは当たり前で、だから、でも、俺は本当の弟じゃなくて、えっと、海斗は、海斗は、えっと。」
岳斗は頭がパニックに。何を考えればいいのか、分からない。
「岳斗、落ち着けって。岳斗。」
「でも、でも。」
岳斗が尚もパニックになっていると、海斗は岳斗の口を自分の口で塞いだ。
 さすがに二回目なので、岳斗もそれほどびっくりしなかった。その代わりに、胸にズキンと痛み、いや、疼きが生じた。海斗は一度唇を離し、もう一度口づけた。すると……
「うわっ。」
次の瞬間、思わず岳斗は海斗を突き飛ばした。
「岳斗?」
海斗が岳斗の顔を覗き込む。岳斗は、自分の部屋に駆け込んだ。
(何だ、これは!何なんだ!)
自分の体の反応にショックを受けた岳斗は、海斗の顔をまともに見られなくなった。
 岳斗は、海斗の顔をまともに見る事ができない。海斗が目の前にいると、目を合わせる事ができない。手が触れたりすると過剰に反応してしまう。それでいて、目の前にいない時には気になって仕方がない。海斗の部屋のドアが開いていると、そうっと覗いてみたりしている。それで、海斗がこちらを見ると、反射的に逃げてしまう。自分はどうしてしまったのだろう、と岳斗は不思議だった。
 とにかく勉強に集中しよう、と頑張る岳斗。だが、ふとした時に色々と思い出してしまう。海斗の好きな人が自分だという事や……考えると心拍数が上がる。それから、合わせた唇とか……とてもじゃないが勉強どころではない。立ってうろうろする岳斗。深呼吸をして、イヤホンをして音楽を流し、そうやってごまかしながら、テスト前の一週間を過ごしていた。
 海斗に言われた事など気にせず、護は岳斗と一緒に帰ろうと、毎日迎えに来た。
「本条さ、俺と一緒に帰ってると、また兄貴が来て失礼な事を言うかもしれないのに、懲りてないの?」
岳斗が聞くと、
「えー、だってさ、岳斗くんと一緒にいると、海斗先輩と会える確率上がるじゃーん。何言われても、言葉を交わせるなんて幸せだよー。」
と言う。したたかだ。もしくはマゾなのか。
「あのさ、相談なんだけど。」
岳斗は護に、海斗の事とは言わずに、急に顔が見られなくなったり、でも気になったりするのは、どうしてだろうかと話した。
「岳斗くん、それは恋だよ。恋。」
護は意外と真面目に、そう言った。
「え?恋?」
「何目を丸くしてんだよ。岳斗くん、今まで恋した事なかったの?」
と言われてしまったが、岳斗には何も言えない。
「分かるよ。僕もね、中学の頃あったよ。ちょっと前まで普通に肩組んだりしていたのに、なんだか急にドキドキしちゃって、そういう事出来なくなっちゃうんだよね。まともに顔も見られなくなっちゃってさ。それでいて、いつもその子の存在を意識してて、気になっちゃうんだよねー。」
そうか、それが恋なのか、と岳斗は納得した。
「それで、岳斗くんは誰に恋したのー?」
楽し気に護が聞く。
「え!?」
待てよ、と岳斗は思った。
(これが恋?!俺が、海斗に恋をした?!どうしよう。どうしよう……。)

 家では気が散って勉強できないので、岳斗は、土日は図書館へ行ったり、ファーストフード店に行ったりしてテスト勉強をした。そのおかげで、岳斗は何とかテストを無事クリアした。これほど精神を鍛える修行をした事はなかった。一番気が散る場所が家だなんて。
 テストが終わると、早速部活動が再開する。また、岳斗よりも海斗の方が、帰りが遅くなる。そして、久しぶりの部活で、海斗はまた帰って来るなりぶっ倒れた。
「や、ま、とー、助けてー。」
階下から岳斗を呼ぶ。文化祭が終わって以来、海斗はちゃんと自分で階段を上がって来ていた。なので、久しぶりの事だ。だが、長い間習慣になっていたので、岳斗も不思議と体が動いて、呼ばれてすぐに階段を下りて行った。
 玄関で仰向けに倒れている海斗がいる。
「久々だってのによー、すっげえ走らされたんだよー。」
海斗はそう言って、岳斗の方に手を伸ばした。岳斗は海斗の体を起こそうとして、顔を近づけた時、急に鼓動が跳ね上がって、反射的に海斗から離れた。
「無理。ごめん。」
岳斗はそう言って、くるりと背を向けて階段を上り始めた。
「岳斗?ちょっと、待てよ。よいしょっと。」
海斗は何とか頑張って体を返した。岳斗はどんどん階段を上る。すると、海斗は岳斗を追いかけ、岳斗の腕を掴んだ。階段の途中で。
「岳斗、どうしたんだよ。最近ずっと、その、目も合わせてくれないじゃん。もしかして、俺の事……嫌いになった?」
岳斗はハッとして振り返った。海斗の不安そうな目に出逢う。嫌いになったように映っても仕方がないような事をしている、そんな自覚がある。仕方がないと思って来たが、考えてみたら自分勝手だった。海斗の気持ちを考えていなかった。海斗は、自分の事を好きだと言ってくれたのに。どれだけ不安でつらい思いをしていたのだろう。
「そ、その逆だよ!」
とはいえ、やっぱりどうしたらいいのか、海斗にどう接したらいいのか分からず、岳斗は海斗の腕を振り払って逃げた。
 たったあれだけの言葉で、つまり「その逆だよ」と言っただけで、それ以来海斗の態度がガラリと変わった。
 例えば、家の廊下ですれ違う時、岳斗が、手が触れただけで過剰反応すると、今までは悲しそうな雰囲気を醸し出していたのに、今度はむしろもっと触るというか、手を握ってくる。また、食事の時、岳斗が目を合わせないようにしているのに、海斗はじーっと岳斗の方を見てくる。岳斗がチラッと海斗の顔を見た時に目が合うと、ニヤっと笑う。そして、岳斗が自分の部屋へ戻ろうとする時、部屋の前で海斗は岳斗を捕まえて、壁ドンしてくる。心臓に悪い。岳斗は悲鳴を上げる一歩手前で声を押し殺し、すり抜けて部屋に閉じこもるのだ。家が一瞬にしてテーマパークと化したようだ、と岳斗は思った。ドキドキワクワクの連続。だが、前のようにハグしたり、頭を撫でたりはして来ない海斗。不思議だった。

 岳斗が部活中に一人でトレーニングをしていると、ランニングをしている前園に会った。
「あ、こんにちは。」
岳斗が挨拶をすると、前園は走るのをやめ、岳斗と一緒に歩き始めた。
「あーあ、とうとう君に取られちゃったな。」
などと言う。
「はい?」
岳斗が聞き返すと、歩きながら前園が言う。
「私ね、城崎に告白したんだ。インターハイを前にして、ちょっとナーバスになってたのかな。急に当たって砕けろって思って。」
岳斗は驚いた。海斗と前園は友達として仲が良いのだと思っていたから。
「私がさ、付き合わない?って言ったら、あいつ、ごめん、俺好きな人がいるからって、即断るんだよー。参ったよ。でもさ、好きな人がいるって事は、まだ付き合ってないって事じゃない?あいつに、告白しないのかって聞いたら、好きだとは何度も言ってるけど、本気にしてくれないんだって言うのよ。それで、ピント来たのよねー。相手はあなただって。」
岳斗は立ち止まった。前園も立ち止まる。
「二人はさ、子供の頃からずっと一緒にいるわけでしょ。だから、なかなか恋愛感情に気づきにくいと思うんだよね。城崎はどうして気づいたのかを聞いたら、あなたに彼女ができて嫉妬したのがきっかけだって言うから、それなら、今度は城崎が嫉妬させてやれば、あなたも自分の気持ちに気づいてくれるんじゃないかって提案したわけ。」
それで、偽の彼女になったというわけだ。
「でも、全然上手く行かないって、城崎いっつも嘆いてたよ。あいつが恋愛で自信無くすとか、一生ないだろうと思っていたのにさ、笑っちゃうよね。俺の事好きじゃないのかなってさ。私はもう幻滅よ。……ああ、うそうそ。いくら城崎ほどのモテる男だとしても、あなたが女の子の方がいいという事は十分考えられるわけだし、そうしたら、まだ私にもチャンスあるかなーとか思っていたわけよ。でも。」
前園は、言葉を切って岳斗の顔をじっと見た。岳斗は緊張した。
「兄貴、何か言ったんですか?」
「何も言わないけどね、この間まで落ち込んでた人が、急にキラキラ輝き出したからねー。分かり安いったら。すっかり両想いなの?」
「えっと、その、俺は、まだ……よく分からなくて。」
「そっか。君、この間まで城崎と本当の兄弟だと思ってたんでしょ?そりゃ無理もないよね。でも、城崎にとっては、ずっとあなたは弟じゃなかったのよね。守ってあげなきゃって、小さい時からそう思って来たって言ってたわよ。ま、時間をかけてもいいんじゃない?あーでも、あんまり悠長に構えてると、誰かに城崎を取られちゃうかもしれないよ。わ、た、し、とか。」
前園はウインクをして、そして走り去って行った。やっぱり美人だよな、と岳斗は思った。性格はまあ、見た目とのギャップがあるけれど。だが、意外にサバサバしていて、海斗がアスリート同士仲良くする間柄だったというのも分かる気がした。しかし、これからは仲良くしてもらいたくない、と思う。なぜなら、明らかに前園は海斗を狙っているではないか。そう、海斗の事を狙っている人はたくさんいる。岳斗が避けている間に、誰かに取られてしまう可能性は大いにあるのだ。
 洋子は、在宅ワークなので平日はほとんど家にいる。隆二は、平日は会社に通っているが、休日は主に家で過ごす人だった。なので、城崎家に一日中大人がいないという日はなかった。つまり、海斗と岳斗が二人で留守番をするという事は、ほんの数時間というのはあっても、半日以上というのは、岳斗の記憶にはなかった。
だが、次の日曜日に、従姉がハワイで結婚式を挙げる事になっており、洋子と隆二が招かれている。月曜が休みの三連休なので、土曜日から出かけて行き、月曜日に帰ってくる。つまり、土日の夜、岳斗と海斗の二人だけで留守番をする事になるのだ。岳斗は何日も前からその事ばかり考えていた。どうにも緊張するのだ。いつも両親がいたって、自分たちはそれぞれ自分の部屋で寝ているのだから、それは両親がいなくても同じ事なのだが……海斗が同じかどうか、心配なのだ。

 「それじゃあ岳斗、行ってくるわね。夜はちゃんと戸締りするのよ。」
「うん。行ってらっしゃい。気を付けてね。」
土曜日の朝、隆二と洋子はハワイへ向けて旅立った。海斗は部活の練習試合に出かけている。帰ってくるのは夕方のはずである。
 たまには料理でもしようと思いついた岳斗は、二人分の夕飯を作る事にした。昼は適当に一人で済ませ、買い物に行き、台所に立った。難しいものは作れないので、煮込みラーメンを作る事にした。材料を切り、鍋に具材と水を入れて煮る。そこへラーメンのスープの素を入れて味を付ける。後は麺を入れるだけだ。海斗が帰ってきたら入れよう、と思った。
「ただいまー。」
海斗が帰ってきた。岳斗は急に緊張した。料理をして帰りを待つなんて、なんだか……まるで奥さんのようではないか。
「岳斗、ただいま。あれ?何か作ってんの?」
部活のジャージを着た海斗が現れた。
(か、かっこいい……。と、何を今更!)
と、自分に突っ込みを入れる岳斗。
「お帰り。煮込みラーメン、だよ。」
色々な感情を隠し、岳斗がそう答えると、
「お、いいねー。サンキューな。」
と言って、海斗が嬉しそうに笑った。
「急いで風呂入っちゃおうかな。汚れてるし。」
「そうしなよ。出る頃に麺を入れて仕上げておくから。」
「おう。」
海斗は風呂場へ消えた。意外に普通に話せた、と岳斗は思った。二人きりで、すごく緊張してしゃべれないのではないかと思っていたのに。海斗が普通だったからかもしれない。

 二人で向かい合って座り、煮込みラーメンをつつく。それは、岳斗が思った以上に楽しいひと時だった。海斗が旨い旨いと言って食べてくれるので、作った甲斐があったと満足した。一緒に洗い物をして、それから二人でソファに座ってテレビを見た。いつも、何となくかけているバラエティー。
 何だろう、普通で、つまらない、と感じた岳斗。いやいや、何を考えてるのだ、と自分でまた突っ込みを入れる。だが、兄弟だと思っていた頃と変わらないのは、不思議で、物足りなくて、少し不安だ。海斗が、散々自分の事をからかっておきながら、実は岳斗の事など、ただの弟としか思っていない、なんて事を言い出すのではないか、と不安になる。テレビの内容など、岳斗の頭にはまるで入らない。隣に座っている海斗の方を盗み見ると、海斗も岳斗の方をチラッと見た。
「あ、テレビつまんないから、替えようか。」
岳斗がそう言って腰を浮かし、リモコンを手に取ると、
「消しちゃえよ。」
と、海斗が言った。なので、岳斗はテレビを消した。そして、リモコンを置いた時、その腕をぐっと海斗に掴まれ、引っ張られた。ソファに座らされたが、さっきよりも海斗の近くに座る格好になった。海斗が“マジな目”で岳斗を見る。最近岳斗の事を見る時には、いつもニヤニヤしていたのに。
 心臓爆裂な岳斗。それでも、ずっとこうしていたい。近くにいたい。海斗が岳斗の肩に腕を回した。岳斗は、海斗の肩に頭を乗せた。いい香りがする、と思った。
 やっぱりテレビをつけておけばよかった、と岳斗は後悔した。お互いの息遣いが聞こえる。心臓の音まで聞こえそうだ。心なしか海斗の息遣いが荒いような気もする。胸も上下しているではないか。少し頭をずらし、耳を胸の方に近づけると……ドクドクドクと、すごく鼓動が速い。
 岳斗は心配になり、顔を上げて海斗の顔を見た。すると、ぐっと肩を押されてソファの背もたれに背中が付いた。同時に海斗の体が岳斗の方に覆いかぶさってくる。来る、と思った岳斗は、ドキドキが過ぎて苦しくて、ぎゅっと目をつぶった。来るか、まだか……。
 来ると思ったもの…キス…がなかなか来ないので、岳斗が薄目を開けてみると、海斗はそこで止まっていた。岳斗がちゃんと目を開けると、ぷいっと顔をそむけた。
「またどつかれちゃ、かなわねえしな。お前も風呂に入れよ。」
海斗はそう言って、さっさと行ってしまった。岳斗の頭には疑問符がいくつも並ぶ。なぜだ?
 岳斗は風呂に漬かりながら、ため息をついた。二人きりになったら、何をされるかと心配していたのに……何もされないのは……がっかりだった。いや、そんなわけはない。だが……そう、残念だ。そう認めて、また自分に突っ込みを入れたくなった。自分は何を期待していたのだ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。ここには誰もいないけれど。岳斗は、お湯の中にずぶずぶと頭を沈めた。
 風呂から上がって、部屋へと向かう岳斗。海斗の部屋の前を通る。本当にこのまま何もして来ないのか。それとも、岳斗が寝た頃にやってきて……。

 岳斗は目を覚ました。と言うより、ほとんど眠れなかった。海斗が来るかもしれない、などと考えたのが愚かだった。海斗はとうとう来なかった。一日中試合をして疲れている海斗が、夜中に起きて来るわけがないのだ。
 岳斗は洗濯をした。海斗のユニフォームも。ベランダで干していると、海斗が起きて来た。
「岳斗、洗濯ありがと。」
そう言って、後ろから岳斗の肩に顎を乗せた。ズキューン!と何かが岳斗の胸を射る。
「うん。」
だが、平静を装って返事をする岳斗。期待させておいて何もしないなんて、と少し腹を立てていたのだが、今の一瞬でそんな不満は消えた。これが恋なのか、と岳斗は思った。それも腹立たしい。
「昼飯どうする?どっか食べに行こうか。」
海斗が言った。
「じゃあさ、食べに出て、帰りに買い物して来ようよ。夕飯は何か作ろうぜ。」
と、岳斗が提案し、二人で駅前のファーストフード店へ行った。

 「ちょっと、見て見て!」
「キャッ!」
岳斗と海斗がハンバーガーなどを買って席を探していると、前の若い女子たちが、手を口に当てて騒いでいる。この背格好にこの顔。海斗が現れたら女子はときめかない方がおかしい、と岳斗は思う。男子とて、ついつい羨望の眼差しを向ける。
 空いている二人席に座ると、海斗の後ろの席に座っている女子たちが、声を押し殺してはしゃいでいる。だが、何食わぬ顔で海斗はハンバーガーにかぶりつく。その食べっぷりもカッコいい、と岳斗は思う。
「食べないのか?」
海斗が不思議そうに岳斗を見る。岳斗はハッとした。海斗に気を取られ過ぎだ。いつも向かい合わせに座って食事をしているというのに、何て事だ。そう思いつつ、岳斗が包みを開けてバーガーにかぶりつくと、その様子を横目で見ていた海斗が、ふっと笑った。
「なんだよ。」
岳斗がモグモグしながら言うと、
「可愛いなと思って。」
などと言う。岳斗はやけになり、二口三口続けて頬張ってやった。そうしたら、海斗が楽し気に笑った。目立つ。恥ずかしいと思う岳斗であった。
 二人はファーストフード店を出て、近くのスーパーへ入った。
「何作ろっか?」
岳斗が言うと、
「一緒に作れるもの……餃子は?」
と、海斗が言った。それで、岳斗は餃子の皮、ひき肉、ニラをかごに入れた。
 スーパーでは試食販売をしている事があり、岳斗も子供の頃はよくもらって食べたものだ。だから、おばちゃんが子供や奥様向けに試食品を提供する、というイメージだったのだが……今はどうだ。あっちのおばちゃんもこっちのおばちゃんも、あっちのお姉さん?も、海斗に近寄ってきて、試食品を勧めている!
「ほら、お兄ちゃん、これ美味しいから、食べて。」
「一つと言わず、二つ食べていいわよ。」
「買わなくていいから、ほら、持っていきな。」
とまあ、しつこい。
「海斗、行くよ。」
岳斗はかごを持った海斗の腕をぐいぐい引っ張って、おばちゃんたちから引き離した。
「まったく、油断も隙もありゃしない。」
岳斗が憤慨して鼻息を荒くしている横で、海斗は涼しい顔で商品を見ている。
「これも買おうぜ。」
と、お菓子の物色。慣れているのだろうな、ああいう事に……と、岳斗は心の中で呟いた。

 帰宅後、二人は早速餃子を作り始めた。六十個の餃子を作ろうというのだから、時間もかかるというものだ。
 二人で料理をするなど、ずいぶんと久しぶりだった。料理だけでなく、何かを一緒にする事自体、もしかしたら小学生以来かもしれない、と岳斗は思った。岳斗はよく料理を手伝っていたが、海斗はいつもサッカーだった。それでも、海斗は餃子の包み方は覚えていて、せっせと包む。大きな男が餃子を包む姿は、なかなか可愛げのあるものだ。
「あ、ご飯炊かなきゃ!」
途中で思い出し、急いで米を用意する岳斗。それから、餃子とご飯だけでいいのか?味噌汁は?などと考え出すと忙しい。それらを岳斗がバタバタと用意し、海斗が餃子を焼き、何とか夕飯が出来上がった。何時間かかっただろうか。
「いただきまーす!」
二人でそう言って、餃子を頬張る。
「うまい!」
二人して自画自賛。
「俺たちさあ、二人だけでも暮らして行けそうだよな。」
と、海斗が言った。
「まあ俺が、洗濯も買い物も料理も出来ますからね。」
岳斗はふざけて嫌味っぽく言う。
「あー、そうだよな。俺は餃子作っただけだもんな。岳斗、ありがとう。」
と言って、海斗がチュッとその場でキスする真似をした。むー、エロイ、と岳斗がこっそり考えていると、海斗が岳斗の表情を見て、ニヤッとした。そうだろう、自分は顔も耳も赤くなっているだろうよ、と岳斗は思った。

 また二人で洗い物をした。楽しいのだが、慣れない家事は疲れる。二人してぐったりとソファにもたれかかった。
「疲れたな。」
「うん。」
「風呂にでも入るか。」
「うん。」
「一緒に入るか?」
「え?!」
岳斗はびっくりして海斗の顔を見た。
「あはは、冗談だよ。風呂沸かすな。」
海斗はそう言って、立って行った。冗談か。今日もまた、兄弟に戻ったままだ。
 やっぱり……二回も海斗の事を突き飛ばしたのがいけなかったのか、と岳斗は考えた。あんな風に突き飛ばしたら、嫌がっていると捉えるのが普通だ。だから、海斗は何もしないわけだ。それでも、岳斗が海斗を好きになったという事実は認識しているはずなのに。

 海斗の次に岳斗が風呂に入った。岳斗が風呂から出てくると、海斗はソファでテレビを見ていた。岳斗もソファに座って、一緒にテレビを見た。番組が終わると、海斗はテレビを消した。そのまま部屋へ戻ろうとする。
「じゃ、お休み。」
などと普通に言って。せっかく、今夜も二人きりなのに。岳斗はもう、認めるしかない。何にもないのは嫌なのだ。どうしても、またドキドキする事が……したい。岳斗は、海斗の背中に飛びついた。
「行っちゃ嫌だよ。一人にするなよ。」
「ん?」
海斗は振り返った。岳斗は恥ずかしくて顔が上げられない。顔を見られたくなくて、今度は前から海斗に抱きついた。
「もうちょっと、一緒にいようよ。」
「岳斗……。お前、親がいなくて寂しいのか?」
「なっ、んなわけないだろ!」
もう、しらばっくれて!と憤る岳斗。
「海斗、俺の事好きだって言ったの、嘘だったの?俺の事、その気にさせておいて、実はからかっただけとか?」
「え?」
「それとも、俺を振り向かせるゲームだったとか?俺が海斗の事を好きになったら、もうゲームは終わり?」
岳斗は徐々に声を荒げて行った。海斗の胸に両手のこぶしを当てる。すると、海斗は岳斗の両手首を掴んだ。
「何言ってるんだよ。そんなわけないだろ。」
「でも、こんな、二人きりなのに、何もしないじゃないか。以前の、兄弟みたいに戻ってるじゃないか!」
「岳斗、お前……俺に何かして欲しいのか?」
岳斗はハッとした。これではまるで、岳斗の方から誘っているみたいだ。
「何をして欲しい?何でもしてやるぞ。」
海斗がニヤけた顔で下から顔を覗き込む。岳斗は顔を背けた。恥ずかし過ぎる。海斗は岳斗の手首を離し、背中に手を回した。
「俺は、岳斗が嫌がると思って、我慢してたんだぞ。まったく。」
岳斗は驚き、顔を上げて海斗の顔を見上げた。
「我慢、してたの?」
「そうだよ。こんな風に、家で二人きりなんてシチュエーションじゃ、迂闊な事したら止まらないだろ?でもさ、それで岳斗に嫌われたら、俺すっごく困るし。だからもう、兄弟みたいに振舞うしかなかったっていうか……。」
最後はボソボソと、そっぽを向いて言った海斗。
(そうだったのか。安心した。それならいいや。何もしなくても。)
「あ、お前今、それなら何もしなくていいやって思っただろ?」
どうして分かったのだ、と岳斗は目を丸くした。
「後悔しても遅いからな。こうなったら、今夜は一晩中離さないから、覚悟しておけよ。」
と、海斗が言った。

 「いやしかし、このベッドではもう狭いな。子供の頃は二人で寝てたけど。」
海斗は岳斗を自分の部屋に連れていったものの、海斗のベッドで二人一緒に寝られるとも思えなかった。絶対出来ないわけでもないだろうが。
「そうだ、いい事考えた!」
海斗がそう言って手を打った。
 そして、二人それぞれ自分の枕を持ち、一階の両親の部屋へ行った。両親の部屋にはダブルベッドがある。今夜は空いているわけだから、このベッドを借りようというのが海斗のアイディアだった。だが……。
「なんか、やめた方がよくない?」
「うーん。確かに。」
二人して枕を抱えたまま、綺麗に整ったベッドを見下ろしてそう言った。ここに寝たら、絶対にバレる気がした。そして、どうしてここで寝たのかと聞かれたら……答えられない。
「海斗、一緒に寝るのは諦めようよ。」
岳斗がそう言うと、海斗は苦い顔で頷いた。

 そしてまた、ソファに並んで腰かけた。
「あのさ、この間は……二回も突き飛ばしてごめん。その、嫌だったわけじゃなくて、びっくりしただけだから。」
岳斗がそう言うと、
「そういえば、一回目の時、どうして泣いてたの?俺、お前を嫉妬させて気を引くつもりだったのに、あれでうっかりこっちから行動しちゃったからさ、作戦がぐちゃぐちゃになったんだぜ。」
と、海斗が言った。
「それは……海斗が前園さんと付き合ってるって思って、それで、悲しくなって。」
そうなのだ。岳斗は前園の策にすっかりハマってしまったわけなのだ。悔しいが。
「そうなの?じゃあ、俺がもうちょっと冷静になってれば、あのまま上手く行ってたのか?いや、でも二回目も突き飛ばされたんだもんな。」
「二回目は……。」
岳斗はあの時を思い出し、ボッと顔が熱くなった。持っていた枕をぎゅっと抱きしめる。
「二回目は?」
海斗が先を促す。言うのが恥ずかしい岳斗。
「体が、反応して……。」
言ってから、岳斗は思わず枕に顔を埋めた。
 海斗が何も言わないので、岳斗は心配になって顔を上げた。海斗は天井を仰ぎ、深呼吸をしていた。そして、そのまま言った。
「俺さ、岳斗の兄貴、辞めていい?」
「え?」
海斗は改めて岳斗の方に向き直った。
「岳斗、俺の弟じゃなくて、恋人になってくれないか?」
岳斗にも分かっている。岳斗自身が何を望んでいるのかは。だが、そんな簡単な事ではない。今更だが、岳斗は両親の事を考えた。
「でも海斗、俺たちがそうなったら、父さんと母さんに申し訳ないよ。これまで、俺の事を我が子同然に育ててくれたのに、それが、自分の息子の恋人だなんて、きっと悲しむよ。」
岳斗は目を伏せてそう言った。
「父さんと母さんは、俺が必ず説得するから。きっと分かってくれるよ。だって、このまま俺たちが父さん母さんとずっと一緒に暮らしていくんだから、何も変わらないじゃないか。それに、母さんはもう知ってるし……。」
「え?母さんに何を言ったの?」
岳斗は驚いて聞いた。
「いや、何も言わないうちにバレてた。俺の事はお見通しなんだと。多分、お前の事もお見通しだと思うぞ。」
海斗が決まり悪そうに言った。確かに、母さんなら自分の変化に気づいているかもしれない、と岳斗は思った。だからいいというわけでもないが、もうどっちにしても後戻りはできない気がした。
「いいよ。」
岳斗が言うと、
「何が?」
と、海斗から返ってきた。
「弟じゃなくて、その……恋人になっても。」
最後は消え入りそうな声で岳斗がそう言うと、海斗は岳斗の枕をほっぽり投げて岳斗を抱きしめた。
「じゃあ、今度は突き飛ばすなよ。」
そう言って、海斗は岳斗にキスをした。