岳斗は、家に帰ってから泣いた。失恋したように泣いた。海斗は相変わらず優しいのに、どうして自分は悲しいのだろう、と不思議だった。夕飯を食べに行かなければならないのに、涙が止まらない。
「岳斗、ご飯食べないのー?」
洋子がドアの外から呼んでいる。
「後で行くー。」
岳斗は何とかそう叫んだ。とにかく、涙を止めて夕飯を食べに行かねばならない。家族に変に思われる。岳斗は深呼吸をした。涙がポタポタっと両目からこぼれた。目を閉じて深呼吸を繰り返していると、ドタドタッと階段を駆け上がる音がして、次の瞬間ノックもなしに部屋のドアが開いた。
「岳斗、どうしたんだ?食欲ないのか?」
海斗だった。岳斗はベッドに座っていた。目を開けて海斗を見ると、海斗は、それは驚いた顔をしていた。
「ど、どうしたんだよ。」
海斗は震える手で恐る恐る岳斗の頭を触った。それから、両手で岳斗の顔を触った。親指で涙をぬぐう。
「何があった?俺に話せよ。」
海斗は苦しそうにそう言った。そんなに深刻な事じゃないんだ、と岳斗は心の中で言った。ただ、海斗に彼女が出来たのが悲しいんだ。だが、そんな事は言えない。岳斗は唇を噛んだ。
「岳斗、岳斗?」
海斗はすごく動揺していた。そして、何を血迷ったか(と、岳斗は思ったのだが)岳斗の唇に、唇を……つまり、キスをした。
 はっ!!とした岳斗。びっくりした、なんてもんじゃない。岳斗は何かを言おうとしたが、更に海斗は唇を押し付けてきた。
「ん、んん!」
岳斗はもがいた。海斗を押しやった。思いっきり押したので、海斗は尻もちをついた。涙など流している場合ではなくなった岳斗。鼓動が全速力で走った後のように激しく打っている。岳斗は階下へ逃げた。結果的に夕飯を食べに行ったのだった。海斗はそれからしばらく降りて来なかった。岳斗はご飯も喉を通らない……事はなかった。食べ盛りの高校生男子なので。
 海斗はその後夕飯を食べに行ったが、その時には岳斗はもう部屋に籠っていた。岳斗は、まだドキドキが止まらなかった。顔が熱い。

 翌朝、岳斗は熱を出して学校を休んだ。何もかも海斗のせいだ、と岳斗は思った。もう、何が悲しくて泣いていたのかさえ分からなくなっていた。とにかくショックで、頭の中には前園の事と、夕べのキスの事がぐるぐると回っている。これが知恵熱というやつだろうか、などと考えた。
 岳斗の熱は、午後には下がった。それでも何もする気になれず、寝ていた。海斗が帰ってきたら自分の所に来るのではないか、と身構えていたのに、海斗はとうとう来なかった。海斗が熱を出した時、自分は何度も様子を見に行ってやったのに、何てやつだ、と腹を立ててみたものの、どんな顔で会えばいいのか分からない岳斗だった。ただ、夜中になり、もう丸一日海斗の顔を見ていないのかと思うと、寂しくなった。すぐ隣の部屋にいるのに。岳斗はまた泣きたくなった。海斗と一緒に寝たい。小さい頃だったら、遠慮なく海斗の部屋へ行き、ベッドにもぐりこんでいたのに。
 それにしても、なぜ海斗は昨日あんな事をしたのだろう、と岳斗は考えた。ふざけてするなら分からなくもないが、あんな場面で。かなり動揺していたようだったが。自分が泣いていたから、だよな……と思った。