夏休みも明日で終わりとなってしまった。あれ以来、メグルと何回かカフェに行き、普通の恋人のように語り合った。それなのに、俺は相変わらず弱気で勇気がなく、本当の恋人になろうという言葉はついに伝えられなかった。そして、夏休み以降の約束を取り付けることもできずにいる。
夏休み最終日くらい、会いたいな。メグルはどこなら付き合ってくれるだろうか。どこでも、「いいよ!」と猫のスタンプが返ってくる気もする。
自室の窓の外を見上げれば、薄紫色の雲が渦巻いている。不安になるような色に、ごくんっと飲み干した唾が喉の奥に落ちていく。
チリチリと胸の奥が痛んで、メッセージを送るのをやめた。今は、どうしてか、声が聞きたい。指先一つで通話をかければ、軽快な音が耳元で鳴る。
何回も、何回も、着信音は鳴ってるはずなのに。メグルは、出る気配がない。メッセージを送って既読を確認しようとすれば、名前が消えた。
「もしかして、ブロックされた……?」
どうして? 俺が嫌になった? 不安と、恐怖が、全身の感覚を無くしていく。身体が中心からバラバラに崩れていくような気がして、無意識に足を踏ん張っていた。
メグルとの繋がりは、これしか無いのに。探さない方が幸せかもしれない。一瞬そんな考えが、頭をよぎって、手を止める。
それでも、このまま終わりは嫌だった。メグルと、まだ、会いたい。
SNS上で「メグル@夏休み限定」を検索する。メグルのアカウント名だった。夏休み限定という言葉に、今更、反応してしまう。最初から、明日で終わらせるつもりだったんだろうか。俺との関係も、SNSも。無意識に、見ていたけど、最初から、決めてたんだろうか。
ポンっとメグルが投稿した画像が出てきて、ほっと胸を撫で下ろす。俺とのやりとりを消した、だけなのかもしれない。俺が嫌になった、だけなら、ひたすら謝り倒してでも会おう。
そう思って投稿を遡るたびに、メグルとの記憶が蘇る。一緒に美術館を回ったこと。パスタを食べに行ったこと。オープンキャンパスに参加したこと。一番最初に一緒に食べたパフェとホットケーキ。
甘さが口の中に広がって、なんとも言えない気持ちになった。メグルの投稿は全部が全部、俺との思い出ばかりだ。俺の下書きと同じで。
そして、一番最初の投稿は、俺と出会う数時間前だった。
【やっぱり、君に会いに行こうと思う】
制服のスカートだけ写った写真と、そんな一文。君が誰かは、わからない。あの時メグルは、誰かに会いに行こうとしてたのか。それを、辞めて、俺とカフェに行ったのか。
そう思っていれば、新しい投稿がされたようで、SNSは勝手にグイーンッと最新の投稿に戻っていく。
【忘れないでね。私がいたこと】
そんな一言と猫の写真に、吐き出してしまいたくなった。胃の奥から何かが、迫り上がってきて、自分が自分じゃなくなるような。コメントをしようと、コメント欄を押せば、投稿がシュンっと一瞬で消えてしまう。
先ほど表示されていたメグルのアカウントは、全部消えてしまった。俺にだけに向けられたメッセージだと思った。【忘れないでね】は、きっとそうだ。
メグルは今どこにいるんだろう。忘れないけど、まだ、話せてないことたくさんある。本当の恋人になりたかったことも、メグルのことが好きなことも、俺は一つも言葉にしなかった。
俺が、もし、誰かの代わりでメグルの隣に居たんだとしても、俺は本気でメグルのことを好きになっていた。だから、メグルに、まだ会いたい。
部屋から飛び出して、兄ちゃんの部屋を必死にノックする。慌てた俺の表情に、兄ちゃんは驚きながら出てきて「どうした?」と優しい声でつぶやいた。
「メグルの連絡先、知らない?」
俺が知らないところで仲良くなっていた兄だったら。あのアカウント以外に知っていても、おかしくない。動画だって一緒に撮ったと言っていたから、動画サイトのアカウントとか、なんだっていい。メグルと繋がれる何か、があれば。なんだっていい。
「メグル……?」
兄は首を傾げて、不思議そうにメグルの名前を呼ぶ。そして、ポカンっとした顔のまま、絶望の一言を口にした。
「誰のことだよ」
「笑えない冗談やめろよ! 家に泊まって、動画だって一緒に撮ったって……」
冗談を言ってる顔じゃなく。本気で分からないような顔だった。おかしいって、どうして、忘れてんだよ。
「心が読めて、ちょっと不思議で、俺と兄ちゃんの仲直りを助けてくれて、可愛かったメグルだよ、なんで、覚えてないんだよ」
「ごめん、サトル、なんかゲームでもやってたのか?」
違う、居たんだって。本当に居たんだよ、な? 俺の、記憶違いじゃなく。自分の記憶が不安になっていく。俺の妄想だった? 都合のいい。
「ごめん」
「いや、俺の方こそ分からなくて、ごめんな」
兄ちゃんの部屋の扉を閉めて、自室に戻る。夏休み限定の幻、だったんだろうか。
自室の勉強机のイスに座れば、また絵を描き始めた時のノートが開かれていた。一番最初のページに戻れば、みたらし色した猫と、猫みたいな女の子。忘れないでね、って、こういうことか。俺しか、覚えてないのかな、この世界で。