翌日、昼休みに入るチャイムが鳴ると同時に、八代は日向野に近づいた。
早すぎる八代の間の詰めかたに日向野がたじろぐ。
「あのさ、今週時間ある日無い?」
「なんで……」
「実はポチャチャカフェに」
一緒に来て欲しくて、と言う前に日向野に腕を掴まれて凄まれた。
思わずびくりと八代の体が強張る。
「場所、移そうか」
「別にそんなたいした話じゃないけど……」
「ここじゃ話したくない」
じゃあ仕方ないかと、八代は安達たちには適当に理由をつけて教室から抜け出した。
日向野に連れられて来たのは、屋上へ続く扉前の踊り場だった。屋上に出られる学校じゃないため、普段ここを利用する人など滅多にいないはずだ。
「で、なに。脅し?」
着いて早々、日向野の口から出た言葉に首を傾げた。
「なに脅しって」
「俺がポチャチャ好きなの人質にカツアゲする気かと」
日向野の言っていることは何一つとしてわからなかった。理解もできなかった。そもそも人質の使い方間違ってるし。
だがそこはスルーして八代はさっさと本題から入る。
「単刀直入に言うと、俺と一緒にポチャチャカフェに行って欲しいんだよね」
とてもわかりやすいこれ以上にないシンプルな説明だったはずなのに、日向野は不思議そうに首を傾げた。
「八代くんこの間行ってたじゃん」
あ、名前知ってくれてるんだ。しかもご丁寧に“くん”付けしてくれてるし。
前髪の奥の目は冷ややかに八代を見ていたが、ナチュラルに名前を呼ばれたことが八代にとっては大きかった。
「まぁそうなんだけど、えーなんだっけな……ほら」
「なに」
「あ、入場特典! 第二弾のやつが欲しくて。あのステッカー可愛くない?」
八代の言葉に日向野の冷ややかな目が少し揺らぐ。
隙が見えるというのはこういうことかと初めて実感した。
「好きなの?」
「え?」
「ポチャチャ。カフェにいた時はあんまり興味なさそうだったけど」
「……最近好きになった。だからすごい新規だけど。この前はカフェとか初めてでなんか圧倒されちゃっててさ」
自分でも驚くほど流暢にはっきりと嘘をついた。よくもまぁベラベラと言葉が出てくるなと自分に対して不思議に思う。
でも今ここで本当のことを言えばもっと警戒されて壁ができていただろう。やっと少しの綻びが見えたのに、さらに壁を強固にするわけにはいかない。
「本当のこと言ってくれない?」
日向野に訝しまれ、嘘をつき続けるのもリスクだった。
「ごめん。本当は姉ちゃんに頼まれただけなんだ。特典欲しいからって」
「あぁ、なるほど」
呆れたように日向野がため息をつく。
「やっぱりヤダ?」
「……絶対誰にも言わないなら」
少し悩んでから、日向野が渋々呟いた。
「言わないってなにを?」
「みんなに、俺がポチャチャのファンだってこと」
尻窄みに吐かれた言葉はどこか怯えを含んでいる気がした。
別に男がキャラクターのファンであることなんて今の時代珍しくなんてない。オタクというにはジャンルが違う気もするし、誰に広がったってあぁそうなんだくらいにしか思わないだろう。
「そんなのわざわざ言わないって」
現に今日まで誰にも日向野のことを話してなどいない。あの日一緒にいた花岡にだって。でもそれは日向野に気を使ったからではなく、ただ自分から人のことをわざわざ話のネタにまでして誰かと喋りたいとは思わなかったからだ。
「約束ね」
「わかった。じゃあ行ってくれるってことでOK?」
「……まぁどうせ行くつもりだったし」
日向野は面倒くさそうにため息をつきながら階段に座ると、持ってきた紙袋から市販のおにぎりを取り出して食べ始めた。
「八代くん、あと十五分で昼休み終わるよ」
「俺はもういいや。弁当教室だし。てか連絡先教えてよ」
そう言って八代は日向野の隣に座る。
日向野はズボンのポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリのQRコードを見せてきた。
「どうも」
自身のスマホでQRコードを読み取りながら、日向野には誰かやりとりする人物はいるのだろうかと考えた。
高校では今のところ誰かと一緒にいるところは見ていない。ならばきっと一年生の時から日向野は一人で過ごして来たのだろう。こうしてこの最上階の踊り場に迷いなく連れてくるということは、きっと昼はいつもここで一人で食べているに違いない。
QRコードの読み取りが終わると、画面にポチャチャを写したアイコンと“日向野渉”とフルネームが表示された。
「日向野って真面目だね」
「え?」
「いや、あんまり漢字フルネームで登録してる人見ないからさ」
「それって真面目なの?」
「うん、まぁ少数派じゃない?」
「じゃあ八代くんだって真面目じゃん」
日向野のスマホ画面には、海の風景のアイコンと“八代純人”と漢字フルネームで表記されている。
八代は日向野に「そういえばそうだった」と曖昧に笑う。
周りはひらがなで下の名前だけの表記だったり、可愛いあだ名を表記にしていたりと、あまりフルネームを見せようとしない。その理由を一度不思議に思って安達や花岡たちに聞いたことがある。だが返答は「フルネームってなんか固くない?」という一ミリも納得ができないものだった。価値観が違うとはきっとこのことを言うのだろうと思い、それ以上の追及はやめておいた。
「あげる。ツナマヨ」
日向野が不意におにぎりを差し出してきた。
「どうも」
「昼休みあと十分だよ」
「全然ゆっくり食べれないじゃん。このままサボっちゃう?」
「全然真面目じゃないじゃん」
日向野が真顔で冷静に突っ込む。
八代はその様を見て思わず笑い、ツナマヨおにぎりを口に含んだ。
早すぎる八代の間の詰めかたに日向野がたじろぐ。
「あのさ、今週時間ある日無い?」
「なんで……」
「実はポチャチャカフェに」
一緒に来て欲しくて、と言う前に日向野に腕を掴まれて凄まれた。
思わずびくりと八代の体が強張る。
「場所、移そうか」
「別にそんなたいした話じゃないけど……」
「ここじゃ話したくない」
じゃあ仕方ないかと、八代は安達たちには適当に理由をつけて教室から抜け出した。
日向野に連れられて来たのは、屋上へ続く扉前の踊り場だった。屋上に出られる学校じゃないため、普段ここを利用する人など滅多にいないはずだ。
「で、なに。脅し?」
着いて早々、日向野の口から出た言葉に首を傾げた。
「なに脅しって」
「俺がポチャチャ好きなの人質にカツアゲする気かと」
日向野の言っていることは何一つとしてわからなかった。理解もできなかった。そもそも人質の使い方間違ってるし。
だがそこはスルーして八代はさっさと本題から入る。
「単刀直入に言うと、俺と一緒にポチャチャカフェに行って欲しいんだよね」
とてもわかりやすいこれ以上にないシンプルな説明だったはずなのに、日向野は不思議そうに首を傾げた。
「八代くんこの間行ってたじゃん」
あ、名前知ってくれてるんだ。しかもご丁寧に“くん”付けしてくれてるし。
前髪の奥の目は冷ややかに八代を見ていたが、ナチュラルに名前を呼ばれたことが八代にとっては大きかった。
「まぁそうなんだけど、えーなんだっけな……ほら」
「なに」
「あ、入場特典! 第二弾のやつが欲しくて。あのステッカー可愛くない?」
八代の言葉に日向野の冷ややかな目が少し揺らぐ。
隙が見えるというのはこういうことかと初めて実感した。
「好きなの?」
「え?」
「ポチャチャ。カフェにいた時はあんまり興味なさそうだったけど」
「……最近好きになった。だからすごい新規だけど。この前はカフェとか初めてでなんか圧倒されちゃっててさ」
自分でも驚くほど流暢にはっきりと嘘をついた。よくもまぁベラベラと言葉が出てくるなと自分に対して不思議に思う。
でも今ここで本当のことを言えばもっと警戒されて壁ができていただろう。やっと少しの綻びが見えたのに、さらに壁を強固にするわけにはいかない。
「本当のこと言ってくれない?」
日向野に訝しまれ、嘘をつき続けるのもリスクだった。
「ごめん。本当は姉ちゃんに頼まれただけなんだ。特典欲しいからって」
「あぁ、なるほど」
呆れたように日向野がため息をつく。
「やっぱりヤダ?」
「……絶対誰にも言わないなら」
少し悩んでから、日向野が渋々呟いた。
「言わないってなにを?」
「みんなに、俺がポチャチャのファンだってこと」
尻窄みに吐かれた言葉はどこか怯えを含んでいる気がした。
別に男がキャラクターのファンであることなんて今の時代珍しくなんてない。オタクというにはジャンルが違う気もするし、誰に広がったってあぁそうなんだくらいにしか思わないだろう。
「そんなのわざわざ言わないって」
現に今日まで誰にも日向野のことを話してなどいない。あの日一緒にいた花岡にだって。でもそれは日向野に気を使ったからではなく、ただ自分から人のことをわざわざ話のネタにまでして誰かと喋りたいとは思わなかったからだ。
「約束ね」
「わかった。じゃあ行ってくれるってことでOK?」
「……まぁどうせ行くつもりだったし」
日向野は面倒くさそうにため息をつきながら階段に座ると、持ってきた紙袋から市販のおにぎりを取り出して食べ始めた。
「八代くん、あと十五分で昼休み終わるよ」
「俺はもういいや。弁当教室だし。てか連絡先教えてよ」
そう言って八代は日向野の隣に座る。
日向野はズボンのポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリのQRコードを見せてきた。
「どうも」
自身のスマホでQRコードを読み取りながら、日向野には誰かやりとりする人物はいるのだろうかと考えた。
高校では今のところ誰かと一緒にいるところは見ていない。ならばきっと一年生の時から日向野は一人で過ごして来たのだろう。こうしてこの最上階の踊り場に迷いなく連れてくるということは、きっと昼はいつもここで一人で食べているに違いない。
QRコードの読み取りが終わると、画面にポチャチャを写したアイコンと“日向野渉”とフルネームが表示された。
「日向野って真面目だね」
「え?」
「いや、あんまり漢字フルネームで登録してる人見ないからさ」
「それって真面目なの?」
「うん、まぁ少数派じゃない?」
「じゃあ八代くんだって真面目じゃん」
日向野のスマホ画面には、海の風景のアイコンと“八代純人”と漢字フルネームで表記されている。
八代は日向野に「そういえばそうだった」と曖昧に笑う。
周りはひらがなで下の名前だけの表記だったり、可愛いあだ名を表記にしていたりと、あまりフルネームを見せようとしない。その理由を一度不思議に思って安達や花岡たちに聞いたことがある。だが返答は「フルネームってなんか固くない?」という一ミリも納得ができないものだった。価値観が違うとはきっとこのことを言うのだろうと思い、それ以上の追及はやめておいた。
「あげる。ツナマヨ」
日向野が不意におにぎりを差し出してきた。
「どうも」
「昼休みあと十分だよ」
「全然ゆっくり食べれないじゃん。このままサボっちゃう?」
「全然真面目じゃないじゃん」
日向野が真顔で冷静に突っ込む。
八代はその様を見て思わず笑い、ツナマヨおにぎりを口に含んだ。