日向野は四歳の時に両親が離婚し、母親と祖母宅で暮らしはじめたそうだ。
家族は優しかったし生活に不自由もしなかったが、朝から晩まで働く母親との時間が少なかった日向野は常に寂しい思いしていたという。
そんな時に母親から顔が似てるという理由でポチャチャの大きなぬいぐるみをプレゼントされ、ポチャチャを肌身離さず持ち歩くようになったのだ。
「当時は弟だと思って一緒にいたよ」
笑って日向野は言うけれど、その目には寂しさが浮かんでいた。
母親はポチャチャを気に入った日向野にたくさんのポチャチャグッズを与えてくれるようになった。小学校に上がっても日向野の中ではポチャチャの存在が大きかった。だが、学年が上がるにつれて周りの反応が冷たくなっていく。ぬいぐるみを常に持っている日向野を「気持ち悪い」と揶揄う同級生たちが出てきたのだ。しまいには、ポチャチャを可愛いと仲良くしてくしてくれていた女友達さえも、クラスの同調圧力には勝てずに日向野を揶揄った。自分も母親も否定された気がした。でも理解してくれないくてもいいと思った。周りは敵だと考えたからだ。そして日向野は一人で過ごしていくことを選んだのだ。
「苦じゃなかったよ。家に帰れば優しいおばあちゃんがいたしね」
中学に上がると周りは徐々に男女の差がついていき、思春期に突入していくのがわかった。それでも日向野は女子に興味を向けるわけでもなく、自分には家族とポチャチャだけがあれば良かったのだ。
だが体育の授業でバトミントンをやることになり、同じクラスの南川とペアを組むことになった。一緒に準備体操をしている中で日向野は、腕にポチャチャの柄の絆創膏を貼っていることを南川に指摘されたそうだ。それは自宅にあったものを仕方なく貼っただけだったが、それでも引くことなく南川は「ギャップあっていいね」なんて言って受け入れてくれたのだという。
「初めて友達になれるかもって思える人と出会ったと思ったよ。キャラクターの絆創膏貼る中学生男子なんて見たことないでしょ?」
「でも俺も引いたりなんてしないよきっと」
「そうだね。八代くんならきっとちゃんと受け入れてくれたよね」
その言い方は、この先の展開に不穏なものがあることを示しているようだった。
それから日向野と南川は、学校でのほとんどの時間を二人で過ごした。
誰かと喋れることは楽しかったし、単純に学校というものが楽しくなったという。
ネットの世界で南川が活躍していることも日向野にとっては嬉しく応援もしていた。
だが徐々に、南川の距離の近さが友達のそれではないことに気づき始めた。そして日向野は、嫌な気持ち特別しなかったから自分もそうなのかと思い始めたのだという。
初めて友達だと思える人ができた日向野にとって、グイグイと甘えてくる南川を邪険にすることはできなかったのだ。
だが南川は日向野にいろんなことを求め始めたという。前髪が長いから切ろうとしたら切るなと言われ、他の生徒と話しているところを見られたら話すなと言われた。寂しいと言われれば、日向野には南川以上に優先できるものなどなく、いう通りに動いていたのだという。
だが南川はどんどんネットでの露出が増えていき、中学三年生に上がる頃には学校でも顔を差されるようになっていた。なのにどうして南川が自分なんかと一緒にいてくれるのか、日向野には分からなかったのだ。
そして日向野は聞いてしまった。教室でクラスメイトと話す南川の話しを。
『南川ってなんであの暗いやつとつるんでんの?』素朴な疑問だったのだろう。
『なんでも言う通りにしてくれるから、一緒にいてラクなんだよね。やっぱ一人くらい身内に信者作っとかない、何かあった時に助けてもらえないじゃん』
南川の嘲笑うかのような返答が今でも耳から離れないと日向野は言った。
「それでもダメだったね。あーこれが本音なんだって。優しくしてくれたのも、一緒にいてくれたのも、俺が都合いいからなんだって」
「本人には話さなかったの?」
「言わなかった。どんな理由でも許せないと思ったし、別にもういいかって。なんとなく依存してる感じは気づいてたし、一緒にいても色々制限されて窮屈なことも多かったから。それに卒業まであと半年だったし、それまでは我慢して消えようって」
半年は長いように思えたけれど、日向野からは言い争ったりする方が面倒だということがひしひしと伝わってきた。
「だから進学する高校も言わなかった。あっちは仕事が忙しくてすれ違いだったし、逆によかったよ」
「でも日向野のことをそんな風に思ってたのなら、なんであんなに必死に探してたんだろう」
「それも聞いた。あの発言は自分の保身のためだったって。女性ファンが多い仕事だし、変な噂立てられたくなくて言ったんだって。にしても酷いと思うけどね」
「そりゃそうだよ。言っていいことと悪いことっていうのがあるわけだし」
「うん。だから八代くんは全然違うんだよ」
「え?」
「俺が八代くんに抱いた気持ちは、南川には微塵も抱かなかったんだって」
日向野の手が躊躇いがちに伸びて八代の手に触れる。
もう拒む理由などなかった。
「多分、俺のことはほとんど話せたと思う。もしまだ気になることがあるなら聞いてほしい。全部答えるから」
今の話しを聞いてしまえば、心の中の霧はすでに晴れていた。
「もう十分だよ」
「じゃあ俺から聞いてもいい?」
「何?」
「八代くん、俺と付き合ってくれる?」
突然のストレートな言葉に声が出なくなる。
口ごもると、触れていただけの日向野の手がゆっくりと絡んできた。
「八代くん」
「はい」
「好きだよ」
「……俺も」
恋人繋ぎになった手をそのままに、日向野の唇が自分の唇に優しく触れた。
目を閉じると日向野の手の感触や唇の感触に集中するしかなくて、心臓の心拍数がこれ以上早くならないのではないかと思うほど上がっていた。
唇が離れ、至近距離で日向野に見つめられる。
整った顔が幸せそうに自分のことを見ていて、恥ずかしでどうにかなりそうだった。
「俺は全部初めてだよ。何にも知らないんだよ。恋も、その……同性と付き合うとかっていうのも」
言い訳するような口調に日向野が笑う。
「俺だってそうだよ」
頬を両手で包まれて、さらにキスを落とされた。
くすぐったくて、でも居心地良くて、恥ずかしくて、でも嬉しくて、今まで経験したこともない感情の波が一気に押し寄せてくる。
心がもたないと思いながらもまだ、この幸せな波の中で溺れていたいと思うのだった。
家族は優しかったし生活に不自由もしなかったが、朝から晩まで働く母親との時間が少なかった日向野は常に寂しい思いしていたという。
そんな時に母親から顔が似てるという理由でポチャチャの大きなぬいぐるみをプレゼントされ、ポチャチャを肌身離さず持ち歩くようになったのだ。
「当時は弟だと思って一緒にいたよ」
笑って日向野は言うけれど、その目には寂しさが浮かんでいた。
母親はポチャチャを気に入った日向野にたくさんのポチャチャグッズを与えてくれるようになった。小学校に上がっても日向野の中ではポチャチャの存在が大きかった。だが、学年が上がるにつれて周りの反応が冷たくなっていく。ぬいぐるみを常に持っている日向野を「気持ち悪い」と揶揄う同級生たちが出てきたのだ。しまいには、ポチャチャを可愛いと仲良くしてくしてくれていた女友達さえも、クラスの同調圧力には勝てずに日向野を揶揄った。自分も母親も否定された気がした。でも理解してくれないくてもいいと思った。周りは敵だと考えたからだ。そして日向野は一人で過ごしていくことを選んだのだ。
「苦じゃなかったよ。家に帰れば優しいおばあちゃんがいたしね」
中学に上がると周りは徐々に男女の差がついていき、思春期に突入していくのがわかった。それでも日向野は女子に興味を向けるわけでもなく、自分には家族とポチャチャだけがあれば良かったのだ。
だが体育の授業でバトミントンをやることになり、同じクラスの南川とペアを組むことになった。一緒に準備体操をしている中で日向野は、腕にポチャチャの柄の絆創膏を貼っていることを南川に指摘されたそうだ。それは自宅にあったものを仕方なく貼っただけだったが、それでも引くことなく南川は「ギャップあっていいね」なんて言って受け入れてくれたのだという。
「初めて友達になれるかもって思える人と出会ったと思ったよ。キャラクターの絆創膏貼る中学生男子なんて見たことないでしょ?」
「でも俺も引いたりなんてしないよきっと」
「そうだね。八代くんならきっとちゃんと受け入れてくれたよね」
その言い方は、この先の展開に不穏なものがあることを示しているようだった。
それから日向野と南川は、学校でのほとんどの時間を二人で過ごした。
誰かと喋れることは楽しかったし、単純に学校というものが楽しくなったという。
ネットの世界で南川が活躍していることも日向野にとっては嬉しく応援もしていた。
だが徐々に、南川の距離の近さが友達のそれではないことに気づき始めた。そして日向野は、嫌な気持ち特別しなかったから自分もそうなのかと思い始めたのだという。
初めて友達だと思える人ができた日向野にとって、グイグイと甘えてくる南川を邪険にすることはできなかったのだ。
だが南川は日向野にいろんなことを求め始めたという。前髪が長いから切ろうとしたら切るなと言われ、他の生徒と話しているところを見られたら話すなと言われた。寂しいと言われれば、日向野には南川以上に優先できるものなどなく、いう通りに動いていたのだという。
だが南川はどんどんネットでの露出が増えていき、中学三年生に上がる頃には学校でも顔を差されるようになっていた。なのにどうして南川が自分なんかと一緒にいてくれるのか、日向野には分からなかったのだ。
そして日向野は聞いてしまった。教室でクラスメイトと話す南川の話しを。
『南川ってなんであの暗いやつとつるんでんの?』素朴な疑問だったのだろう。
『なんでも言う通りにしてくれるから、一緒にいてラクなんだよね。やっぱ一人くらい身内に信者作っとかない、何かあった時に助けてもらえないじゃん』
南川の嘲笑うかのような返答が今でも耳から離れないと日向野は言った。
「それでもダメだったね。あーこれが本音なんだって。優しくしてくれたのも、一緒にいてくれたのも、俺が都合いいからなんだって」
「本人には話さなかったの?」
「言わなかった。どんな理由でも許せないと思ったし、別にもういいかって。なんとなく依存してる感じは気づいてたし、一緒にいても色々制限されて窮屈なことも多かったから。それに卒業まであと半年だったし、それまでは我慢して消えようって」
半年は長いように思えたけれど、日向野からは言い争ったりする方が面倒だということがひしひしと伝わってきた。
「だから進学する高校も言わなかった。あっちは仕事が忙しくてすれ違いだったし、逆によかったよ」
「でも日向野のことをそんな風に思ってたのなら、なんであんなに必死に探してたんだろう」
「それも聞いた。あの発言は自分の保身のためだったって。女性ファンが多い仕事だし、変な噂立てられたくなくて言ったんだって。にしても酷いと思うけどね」
「そりゃそうだよ。言っていいことと悪いことっていうのがあるわけだし」
「うん。だから八代くんは全然違うんだよ」
「え?」
「俺が八代くんに抱いた気持ちは、南川には微塵も抱かなかったんだって」
日向野の手が躊躇いがちに伸びて八代の手に触れる。
もう拒む理由などなかった。
「多分、俺のことはほとんど話せたと思う。もしまだ気になることがあるなら聞いてほしい。全部答えるから」
今の話しを聞いてしまえば、心の中の霧はすでに晴れていた。
「もう十分だよ」
「じゃあ俺から聞いてもいい?」
「何?」
「八代くん、俺と付き合ってくれる?」
突然のストレートな言葉に声が出なくなる。
口ごもると、触れていただけの日向野の手がゆっくりと絡んできた。
「八代くん」
「はい」
「好きだよ」
「……俺も」
恋人繋ぎになった手をそのままに、日向野の唇が自分の唇に優しく触れた。
目を閉じると日向野の手の感触や唇の感触に集中するしかなくて、心臓の心拍数がこれ以上早くならないのではないかと思うほど上がっていた。
唇が離れ、至近距離で日向野に見つめられる。
整った顔が幸せそうに自分のことを見ていて、恥ずかしでどうにかなりそうだった。
「俺は全部初めてだよ。何にも知らないんだよ。恋も、その……同性と付き合うとかっていうのも」
言い訳するような口調に日向野が笑う。
「俺だってそうだよ」
頬を両手で包まれて、さらにキスを落とされた。
くすぐったくて、でも居心地良くて、恥ずかしくて、でも嬉しくて、今まで経験したこともない感情の波が一気に押し寄せてくる。
心がもたないと思いながらもまだ、この幸せな波の中で溺れていたいと思うのだった。