部屋から出てリビングに降りると、ちょうど姉が仕事から帰宅したところに遭遇した。
「お疲れ様」
「ねぇ、今日の夕飯何だった?」
「唐揚げ」
「あーちょっと重いなぁ」
帰ってきて早々愚痴か、と呆れてキッチンの冷蔵庫へと向かう。
「ねぇ! 紅茶入れておいて。ちょっとトイレ行ってくる」
ねぇねぇって。降りてくるタイミング間違えたな。
八代はため息をつきながらケトルに水を溜め、姉のマグカップに紅茶のティーパックを入れる。
八代家の女が強いのは絶対に甘やかしてきた父のせいだ。絶対そうだ。
こういう時ばかりは父の優しさを少しだけ恨んでしまう。
ちょうど湯が沸いた頃、タイミングを見計らったかのように姉が戻ってきた。
リビングへと紅茶が入ったマグカップを運ぶ。
「ありがとう。じゃあこれあげる」
ソファに座った姉が、コンビニの袋からプラスチックの容器に入った少しお高めのプリンを取り出して見せる。
「まじ。ありがとう」
こういう気前のよさは社会人とは関係なく昔からだ。
さっそくプリンを食べようと姉の隣に腰を下ろした。
「あー本当疲れた。癒しほしー」
「お風呂入ってくればいいじゃん。あれ癒しでしょ」
「そうじゃなくて。なんかもっと精神的なもの」
「ペットとか?」
「それもありだけど、彼氏とかさー。うん、人だね。人の温もり」
「居ないんだ?」
「居たら言わないよね? え、喧嘩売ってる?」
「ごめん」
仕事終わりの姉を怒らせたら長引くのは経験済みなので素直に謝った。
「あんたは居ないの? 彼女の一人や二人」
そう聞かれて、やましいことなど何もないのに背中に冷や汗が伝う。
「居ないよ。居るわけないじゃん」
「好きな人も?」
「好きな人……もいない」
「ふーん。高校生なのにもったいない。せっかく自由なのに」
姉は恋多き人だ。さっぱりとした性格だからなのか、きついように見えても何故だか人気はある。恋人も学生時代は途切れずに居たはずだが、もしかしたら社会人になり恋愛をする余裕がないのかもしれない。
「姉ちゃんは好きな人いないの?」
「今は居ないかな。つまんないよねー」
「好きな人ってさ、居ると全然違う?」
「そりゃね。毎日楽しくて仕方なかったよ。学校行くのが楽しみになるし、休日は早く終わって欲しいなって思ってたなぁ。あと、メッセージのやり取りとか、返信待ってる間の一分がめちゃくちゃ長く感じたりね。まぁとにかく楽しかったよ」
姉の話を聞きながら頭の中で日向野が思い浮かんだ。
話には共感できるところもあったけれど、どちらかというとモヤモヤしたり悩んだり、苦しい感情の方が多い気がして、これが恋愛感情と呼べるものなのかハッキリしない。
「恋愛してる人ってキラキラしてるんだろうね」
「でも片思いは苦しいよー。あんた経験ないだろうけど」
「うん、ない」
「好きな人が自分のことを好きで居てくれるのって当たり前じゃないんだから」
そう言って姉は紅茶を飲み干すと、「お風呂行こー」とさっさとリビングを出て行ってしまった。
ポツンとソファに残され甘いプリンを一人食べる。
日向野は今、自分に対して片思いということになるのだろうか。
そう思うと早く返事をしてあげないと、と焦る気持ちが湧く。
日向野とは一緒にいたいとも思う。二人でいると居心地がいいとも思う。ではそれ以上をしたいのだろうか。想像がつかない。
一度されたキスの時は驚きと動揺の感情が大きすぎてよくわからなかった。
もし自分から日向野にしてみたらわかるのだろうか。
頭の中で想像しそうになるのをなんとか打ち消す。
それはなんだかやましいことをしているようで、日向野に申し訳なく思った。