幼稚園の頃から八代はとにかく人に優しい子供だった。
それは、家族を絶対的に優先して生活している優しい父が、心底幸せそうにしているのを間近で見ていたからだ。
自分も優しい人間になれば幸せになれると信じていた。
だから困っている事があればすぐに手を差し伸べ、極力相手が傷つくことは言わない。常に寄り添い受け身に徹する。それが思いやりでかっこいいことだと、父の優しさを真似していた。
なので友達には困らなかったし、男女問わず誰かが自分の周りに集まっていることが当たり前だった。
もちろんモテたし告白されることも多かったけれど、小学生の間は適当にやり過ごす事ができていた。
けれど中学に上がった頃、自分の優しさは誰かを傷つけることを知ったのだ。
自分に恋愛感情を持つ女の子から何度かデートに誘われて、断る理由もないのでついて行っていた。案の定、何回目かのデートで告白された。それは人生で初めて「付き合ってください」と正式に恋人関係になって欲しいという打診で、小学生が言うただの「好きです」よりもずっと重いものだった。
もちろん心苦しかったが恋人関係になることはできないので真剣に断ったが、その子はその場で泣きじゃくり、八代は人生で初めて人を傷つけたことを自覚したのだ。
それから学校では、その女の子の友人たちに散々詰められた。
一ミリも好きじゃないのにデートしたのか、恋心を弄んだのか、可哀想だとは思わないのか、思わせぶりだとは思わないのか。
ただデートやメールに付き合っただけでそんなに責められることなのかと思う反面、彼女たちの言い分も理解はできた。
それから八代はやみくもに人に優しくすることをやめた。勘違いさせないギリギリのラインで受け身を保ち、少しでも自分に好意が見えるようになったら先手を打って回避した。
そうして責められないように“いい人”でいるうちに、自分とはどういう存在で、何を楽しんで生きているのかわからなくなったのだ。
その時に一度父に聞いたことがある。
なぜ家族を絶対的に優先しながらそんなに幸せそうなのかと。父の気持ちは単純だった。父は家族を心の底から愛していた。だから自分のことは二の次にしても幸せで楽しいのだと。今思えば当たり前のことだと思うが当時は衝撃を受けたのだ。父の優しさと自分の優しさは全然違う。
自分はなんて表面的なのだろうかと。
けれどそれに気づく人など八代の周りにはいなかった。
恋愛感情を知る事ができればもっと世界の見方が変わるのだろうか。そう思って何度か人と付き合ってもみたけれど、すぐに気持ちが無いことを見抜かれて振られた。
そうして決まって言われた言葉は「思わせぶりな態度取らないでよ」だ。
“いい人”にはなれても、“いい恋人”になることはできなかった。
だってそれには“好き”という偽ることのできない感情が必要だったからーー。
「八代くんって結構思わせぶりなの知ってた?」
日向野にそう言われたあの日から、八代は寝るまでの間もずっとその言葉の意味を考えている。
自分は同性でただの友達なのに何を思わせぶりしたのだろうかと。
けれど考えても答えなど出なかった。