廊下を進み右手の階段を一気に駆け上がる。屋上前の踊り場に辿りつくと、定位置に座って昼飯を食べる準備をしていた日向野と目が合った。
「今日は早いね」
日向野は驚きもせずに膝の上に置いたサンドウィッチを一口頬張った。
日向野の昼飯を準備してから食べる前のスピードの方がよっぽど早いと思う。教室を出るのにたいして差はなかったはずなのに、日向野はもう目の前でサンドウィッチを頬張っている。
その様は木の実を頬張るリスの様で、動画にしたらきっとまた女の子たちから熱いコメントが届くだろう。
狙ってない感じというか、あざとくない感じというか、自然体な日向野の雰囲気が不特定多数の人たちの目を奪うのだ。
「いいの? みんなとお昼食べなくて」
「うん。なんか動画撮るって言うからさ、抜けてきた」
だるそうに嘘を吐きながら日向野の隣に座る。
ここを訪れるようになってからたった数週間しか経っていないのに、そこはもう何年も前から自分の定位置だったのではないかと錯覚するほど、八代の中で居心地が良い場所になっていた。
けれど日向野は八代が来ることなど何も興味がないのだろう。来ても嬉しそうにはしないし、かと言って邪険にもしない。それはそれで少し寂しい気もしたが、何故来るのかと追求されても困るので気にしないでおくことにしている。
何故、なんて聞かれても上手く答えられる自信がない。
「あげる」
不意に日向野からサンドウィッチが差し出される。
弁当を持ってきていないことに気づいてくれたのだろう。別に貰うつもりなどなかったが、日向野の好意を無下にしたくはなかったのでそのまま「ありがとう」とサンドウィッチを受け取った。
「日向野って段ボールに入った猫とか見過ごせないタイプ?」
「どういうこと?」
「なんか俺、いつもご飯恵んでもらってる気がする」
「それは八代くんが手ぶらで来るから」
ごもっともすぎる返答だった。なんでいつも弁当を持ってこないのかと聞いてこないあたり、日向野は優しいと思う。
「今日は動画撮りたくない気分だったの?」
しばらく無言でサンドウィッチを食べていると日向野が聞いてきた。
お前を追って嘘ついて来た、などとは言えるはずもない。
「んー今日はビジュ悪いからさ」
「なにそれ」
「俺のビジュアル。寝癖ついてるし」
「へぇー」
日向野から聞いて来た割にはどうでもいいような反応をされた。
まるで求めていた答えではなかったかのように、返答を聞いて急に態度が変わるみたいな。
「日向野はさ、動画とか撮られて嫌じゃないの?」
八代も自然な流れて日向野に聞きたかったことを聞いてみた。
「苦手だし恥ずかしいとも思うけど、別に大丈夫」
想像していた答えと違くて少し驚いた。
勝手に嫌がっているだろうと思っていた。花岡や安達たちに誘われて断れずに渋々やっているのかと思っていた。もしそうだったら自分が花岡たちに言ってやめさせようと思っていたのに。
「心配してくれたの?」
「まぁそりゃ……日向野あんまりそういうのやってるイメージなかったし。無理してるのかなって」
「そうだね、やらない。でも断る理由も無かったから」
「そっか。でも嫌じゃないなら良かった」
「優しいんだね、八代くん」
別に優しさで言ったわけではないが心配していたのは本心だった。
冷たかったクラスメイトが掌返したように親しげに話しかけてきて、さらには図々しく動画も撮ってくれだなんて言われたら、自分なら腹立たしく思うのに。
「安達くんには『俺のおかげでバズって良かったな』って言われたよ」
日向野の言いぐさにに少しの呆れが見える。
「あーごめんね。あいつは何も考えてないから。安達って目の前の現象に対してただ素直に感想を言っちゃうんだよ。自分はバズれば嬉しいから、お前も嬉しいだろうって。そういう自分中心の世界線でしか生きてないからさ」
「安達くんのことよく分かってるんだね」
「一年も居れば大体わかるよ。特に安達は単純だし。その場のことしか見えてないからノリだけで生きてるような奴だし」
「へぇー」
「……まぁそれが安達の良いところでもあるんだけどね」
きつい言い方になってしまっている自分に気づき、ヘラっと笑って誤魔化した。
「安達は楽観的だから一緒にいて気楽っちゃ気楽だし、馬鹿なことばっかりやるから見てて楽しいとは思うし、悪い奴じゃ……」
話している最中、突然日向野は八代の口の中に最後のサンドウィッチを押し込んだ。
バチっと二人の視線がかち合うと、日向野が小さく口を開く。
「別にどうでもいい」
八代を真っ直ぐに捉えたまま、日向野は冷たくそう言い放った。
突然のことに動揺した八代は頭の中で日向野に掛ける言葉を探しながら、とりあえず押し込まれたサンドウィッチを一口食べたて目を逸らした。
“別にどうでもいい”
頭の中で日向野の言葉がリフレインする。
そりゃそうだ。誰にも興味がないから日向野はここに一人でいるのだから。
その事実が八代の胸をぐざりと鋭利なナイフで貫いた。
日向野との間にあった壁は徐々に無くなっていった気がしていたが、きっとそれは自分だけの思い過ごしだったのだろう。
友情ごっこなどさらさらする気のないだろう日向野にとって、今まで自分が発してきた言葉や行動は全ておせっかいだったのかもしれない。
一人になりたくてここに来ている日向野に、自分の存在は迷惑になっているのかもしれない。
そう考えるとこの場に居た堪れなくなった。
八代は一刻も早くこの場を去りたい気持ちに飲み込まれ、サンドウィッチを口一杯に放り込み無我夢中で租借した。
早く食べ終えて去ろう。口の中が水を抜かれた池のようにカラカラになっていく。
込み上げてくる嗚咽をおさていると、日向野にペットボトルの水を差し出された。
ご丁寧にキャップは外されていて、申し訳なさに居たたまれなさが倍増する。それでも水分を欲する欲望には勝てなかった。
八代は日向野から水を受け取る。一気に口の中に水分が充満してやっと満足に口が動くようになった。
「ごめん」
自分の口から発せられた謝罪には、ズカズカとテリトリーに入り込んでごめんなさいと、気を使わせてごめんなさいが混じっていた。
「俺もう行くね。安達たちも動画撮り終わってるだろうし」
ここから去る言い訳を吐いて立ち上がると、同時に日向野に手首を掴まれた。
驚きで振り返ると、見下げた日向野の目が真っ直ぐ自分に向けられている。
「何?」
心は穏やかではないが平然を装いながら聞いた。
「付いてる」
「え?」
「だから……」
日向野は掴んだ八代の手首をそのままに立ち上がると、そっと八代の口元を手で拭った。
その行為のせいで沸騰寸前のヤカンのように徐々に体が熱くなっていくのが分かった。
「あぁ、ありがとう」
赤くなっているであろう顔を見られたくなくて顔を背けると、日向野が空気を読まずに顔を覗き込んできた。
「バレたらまずいもんね」
「え?」
「俺のところに来てるのみんなに内緒にしてるんでしょ?」
「別に内緒にしているわけじゃ……」
とかなんとか言い訳を並べようとしたが、確かに一度も日向野のところへ行くと言って来たことはない。
心のどこかで無意識に、あいつらにはバレたくないと警戒しているのことには気づいていた。
「八代くんってさりげなく浮気するタイプでしょ」
「はぁ!?」
浮気という言葉に過剰に反応してしまい、日向野がニヤリと笑った。
何をどう繋げればそんな言葉が出てくるのだろうか。
「一つ教えてあげる。浮気相手のところでは本命の話なんかしちゃいけないんだよ」
「いや、ちょっと言ってる意味が……」
「じゃあもう一つ教えてあげる。浮気相手は本命相手が近くにいたら上手に嘘をつけるもんだよ」
ついに日向野の話について行けなくなり、返す言葉に詰まった。
誰が本命で誰が浮気相手だというのか。
「八代くん」
「はい」
「八代くんって結構思わせぶりなの知ってた?」
日向野の言葉にどきりと心臓が脈打つ。
八代には日向野が言ったその言葉に聞き覚えがあったのだ。
「今日は早いね」
日向野は驚きもせずに膝の上に置いたサンドウィッチを一口頬張った。
日向野の昼飯を準備してから食べる前のスピードの方がよっぽど早いと思う。教室を出るのにたいして差はなかったはずなのに、日向野はもう目の前でサンドウィッチを頬張っている。
その様は木の実を頬張るリスの様で、動画にしたらきっとまた女の子たちから熱いコメントが届くだろう。
狙ってない感じというか、あざとくない感じというか、自然体な日向野の雰囲気が不特定多数の人たちの目を奪うのだ。
「いいの? みんなとお昼食べなくて」
「うん。なんか動画撮るって言うからさ、抜けてきた」
だるそうに嘘を吐きながら日向野の隣に座る。
ここを訪れるようになってからたった数週間しか経っていないのに、そこはもう何年も前から自分の定位置だったのではないかと錯覚するほど、八代の中で居心地が良い場所になっていた。
けれど日向野は八代が来ることなど何も興味がないのだろう。来ても嬉しそうにはしないし、かと言って邪険にもしない。それはそれで少し寂しい気もしたが、何故来るのかと追求されても困るので気にしないでおくことにしている。
何故、なんて聞かれても上手く答えられる自信がない。
「あげる」
不意に日向野からサンドウィッチが差し出される。
弁当を持ってきていないことに気づいてくれたのだろう。別に貰うつもりなどなかったが、日向野の好意を無下にしたくはなかったのでそのまま「ありがとう」とサンドウィッチを受け取った。
「日向野って段ボールに入った猫とか見過ごせないタイプ?」
「どういうこと?」
「なんか俺、いつもご飯恵んでもらってる気がする」
「それは八代くんが手ぶらで来るから」
ごもっともすぎる返答だった。なんでいつも弁当を持ってこないのかと聞いてこないあたり、日向野は優しいと思う。
「今日は動画撮りたくない気分だったの?」
しばらく無言でサンドウィッチを食べていると日向野が聞いてきた。
お前を追って嘘ついて来た、などとは言えるはずもない。
「んー今日はビジュ悪いからさ」
「なにそれ」
「俺のビジュアル。寝癖ついてるし」
「へぇー」
日向野から聞いて来た割にはどうでもいいような反応をされた。
まるで求めていた答えではなかったかのように、返答を聞いて急に態度が変わるみたいな。
「日向野はさ、動画とか撮られて嫌じゃないの?」
八代も自然な流れて日向野に聞きたかったことを聞いてみた。
「苦手だし恥ずかしいとも思うけど、別に大丈夫」
想像していた答えと違くて少し驚いた。
勝手に嫌がっているだろうと思っていた。花岡や安達たちに誘われて断れずに渋々やっているのかと思っていた。もしそうだったら自分が花岡たちに言ってやめさせようと思っていたのに。
「心配してくれたの?」
「まぁそりゃ……日向野あんまりそういうのやってるイメージなかったし。無理してるのかなって」
「そうだね、やらない。でも断る理由も無かったから」
「そっか。でも嫌じゃないなら良かった」
「優しいんだね、八代くん」
別に優しさで言ったわけではないが心配していたのは本心だった。
冷たかったクラスメイトが掌返したように親しげに話しかけてきて、さらには図々しく動画も撮ってくれだなんて言われたら、自分なら腹立たしく思うのに。
「安達くんには『俺のおかげでバズって良かったな』って言われたよ」
日向野の言いぐさにに少しの呆れが見える。
「あーごめんね。あいつは何も考えてないから。安達って目の前の現象に対してただ素直に感想を言っちゃうんだよ。自分はバズれば嬉しいから、お前も嬉しいだろうって。そういう自分中心の世界線でしか生きてないからさ」
「安達くんのことよく分かってるんだね」
「一年も居れば大体わかるよ。特に安達は単純だし。その場のことしか見えてないからノリだけで生きてるような奴だし」
「へぇー」
「……まぁそれが安達の良いところでもあるんだけどね」
きつい言い方になってしまっている自分に気づき、ヘラっと笑って誤魔化した。
「安達は楽観的だから一緒にいて気楽っちゃ気楽だし、馬鹿なことばっかりやるから見てて楽しいとは思うし、悪い奴じゃ……」
話している最中、突然日向野は八代の口の中に最後のサンドウィッチを押し込んだ。
バチっと二人の視線がかち合うと、日向野が小さく口を開く。
「別にどうでもいい」
八代を真っ直ぐに捉えたまま、日向野は冷たくそう言い放った。
突然のことに動揺した八代は頭の中で日向野に掛ける言葉を探しながら、とりあえず押し込まれたサンドウィッチを一口食べたて目を逸らした。
“別にどうでもいい”
頭の中で日向野の言葉がリフレインする。
そりゃそうだ。誰にも興味がないから日向野はここに一人でいるのだから。
その事実が八代の胸をぐざりと鋭利なナイフで貫いた。
日向野との間にあった壁は徐々に無くなっていった気がしていたが、きっとそれは自分だけの思い過ごしだったのだろう。
友情ごっこなどさらさらする気のないだろう日向野にとって、今まで自分が発してきた言葉や行動は全ておせっかいだったのかもしれない。
一人になりたくてここに来ている日向野に、自分の存在は迷惑になっているのかもしれない。
そう考えるとこの場に居た堪れなくなった。
八代は一刻も早くこの場を去りたい気持ちに飲み込まれ、サンドウィッチを口一杯に放り込み無我夢中で租借した。
早く食べ終えて去ろう。口の中が水を抜かれた池のようにカラカラになっていく。
込み上げてくる嗚咽をおさていると、日向野にペットボトルの水を差し出された。
ご丁寧にキャップは外されていて、申し訳なさに居たたまれなさが倍増する。それでも水分を欲する欲望には勝てなかった。
八代は日向野から水を受け取る。一気に口の中に水分が充満してやっと満足に口が動くようになった。
「ごめん」
自分の口から発せられた謝罪には、ズカズカとテリトリーに入り込んでごめんなさいと、気を使わせてごめんなさいが混じっていた。
「俺もう行くね。安達たちも動画撮り終わってるだろうし」
ここから去る言い訳を吐いて立ち上がると、同時に日向野に手首を掴まれた。
驚きで振り返ると、見下げた日向野の目が真っ直ぐ自分に向けられている。
「何?」
心は穏やかではないが平然を装いながら聞いた。
「付いてる」
「え?」
「だから……」
日向野は掴んだ八代の手首をそのままに立ち上がると、そっと八代の口元を手で拭った。
その行為のせいで沸騰寸前のヤカンのように徐々に体が熱くなっていくのが分かった。
「あぁ、ありがとう」
赤くなっているであろう顔を見られたくなくて顔を背けると、日向野が空気を読まずに顔を覗き込んできた。
「バレたらまずいもんね」
「え?」
「俺のところに来てるのみんなに内緒にしてるんでしょ?」
「別に内緒にしているわけじゃ……」
とかなんとか言い訳を並べようとしたが、確かに一度も日向野のところへ行くと言って来たことはない。
心のどこかで無意識に、あいつらにはバレたくないと警戒しているのことには気づいていた。
「八代くんってさりげなく浮気するタイプでしょ」
「はぁ!?」
浮気という言葉に過剰に反応してしまい、日向野がニヤリと笑った。
何をどう繋げればそんな言葉が出てくるのだろうか。
「一つ教えてあげる。浮気相手のところでは本命の話なんかしちゃいけないんだよ」
「いや、ちょっと言ってる意味が……」
「じゃあもう一つ教えてあげる。浮気相手は本命相手が近くにいたら上手に嘘をつけるもんだよ」
ついに日向野の話について行けなくなり、返す言葉に詰まった。
誰が本命で誰が浮気相手だというのか。
「八代くん」
「はい」
「八代くんって結構思わせぶりなの知ってた?」
日向野の言葉にどきりと心臓が脈打つ。
八代には日向野が言ったその言葉に聞き覚えがあったのだ。