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「し、白銀!?」
「――あっちーな、くっそ!」
 ゴロゴロと、少し離れた場所に人影が転がり、受け身を取って起き上がったのは白銀だ。
 背中からぷすぷすと煙が上がっている。髪も少し焼けたようで、ちりちりになっている部分がある。瑠衣は慌てて駆け寄った。
「白銀、その怪我は……」
「嫁にいいところを見せてやろうと思ったのに、情けねえよなあ」
 手傷を負ってはいるが、軽口をたたく余裕はあるらしい。少しだけ瑠衣はほっとする。
「舞衣は負けたか。五年間、封じ続けていたが、志乃の長女はさすがだな」
 強い殺気に振り向くと、政重が不満そうな表情で立っていた。こちらは肩から血を流し、袴の一部がうっすらと白く凍っていた。
「政重様……いえ、政重。あなたがお母さまを殺したのですね」
「そうだ。儂が志乃を殺した」
 あっさりと政重はそれを認めた。五年前は、この任務が終わったら話してやる。そう逃げて、瑠衣を妖の大群へと放り込んだ。
「儂こそが長の座にふさわしかったのだ。妖が全て敵なわけではない。仲間になる者もいると、世迷言を抜かしておったからな。それを、妖狩りの連中の中にも危険視する者がいたのだ。その者達のために暗殺してやっただけのことよ」
「ですが……お母様はきちんと一線を引いておりました!」
 たまらず瑠衣は叫んだ。
「人に害を成す妖は討ち取っていたはずです。わたしの知る限り、任務の失敗はなかった。妖の被害を受けていた人々は感謝していたと聞きます。これで、どうして危険と思われなければいけないのですか! それに、この村だって――」
 盆地の方角を指差しながら続ける。
「政重は知っていたのでは? 白銀の前の領主が悪行を積み重ねていたことを。それなのに、どうしてそちらは罰せられないのですか? 村の現状を良くしていた白銀が、どうして討たれなければいけないのでしょう」
「……やはり、お主は志乃の娘なのだな」
 その主張を黙って聞いていた政重が、苦笑いで応じる。
「昔の話であるが、志乃も同じことを言っておったよ……妖狩りとしては失格であるな。いかなる相手であろうと、妖は敵だ。人間の生存を脅かし、土地を奪っていく。妖を倒すことこそが、我ら妖狩りの存在意義」
 政重の頬が引き締まり、彼の全身から呪力が溢れ出した。炎の塊が幾つも生み出され、ふわふわと政重の周囲に展開された。
「年端も行かぬ娘を殺すことに躊躇した腰抜け共が、お主を生かすことを選択した。しかし、やはりそれは間違った選択だったな。五年前に殺しておくべきだった。白銀とやらを討伐し、その後お主も後を追わせてやろう」
「……そうですか」
 真実を――政重の考えを知れてよかった。これで自分も、何のためらいもなく敵対することができる。瑠衣にとって白銀は、大切な妖なのだから。
「瑠衣! オレの後ろに隠れていろ!」
 放たれた炎の塊を、白銀が無数の氷を生み出して迎撃する。
(誰か、援護を……!)
 瑠衣は周囲を見回して、その言葉を飲み込んだ。
 精鋭を政重は連れて来たようで、戦っている妖達に余裕はない。美桜はさすがに強かったが、危なくなっている妖を助けるために、あちこちに走り回っている。美桜がいなければ、すでに大きな犠牲が出ていたことだろう。これ以上の負担をかけるのは無理だ。
「瑠衣、上だ!」
 白銀の眼前で炎の塊が直角に曲がる。白銀の氷をかいくぐって、瑠衣へと襲った。
「きゃああっ!」
 避けきれずにもらって、瑠衣は地面をごろごろと転がった。白銀が妖力の一部を瑠衣に回し、その炎を消す。追撃がきたところを、白銀が素早く移動して氷の結界で庇った。
「あ、ありがとうございます」
「くそったれが」
 厳しい顔で白銀が舌打ちをする。
 明らかに瑠衣を狙った攻撃だった。直前で結界が間に合ったおかげで、身体を焼かれるのだけは免れたものの、これが手加減されたものということはすぐに直感した。死なない程度に瑠衣を痛めつけ、白銀の意識と妖力を削ぐ。
「白銀とやらも酔狂な妖よ。人間を守り、ましてや、その娘を娶ろうとするのだからな。まともにやり合えば、儂に万が一の勝ちもなかっただろうに。その弱まった力では、次の繰り返しはないかもしれんな」
「へえ? そう思うなら、瑠衣を殺して試してみるか?」
 白銀の挑発に、政重がニヤリと笑った。
「それは止めておこう。我々まで巻き添えになりそうであるからな。試すには少しばかり危険すぎる」
「ちぇー、冷静で面白くねえヤツだな」
 さすがに、志乃と長の座を争った政重は、正確に判断していた。もしかすると配下に探らせていたのかもしれない。三回目の繰り返しで、白銀がしょっちゅう屋敷を開けていたのは、それに対応するためだったのだろう。
「とはいえ、弱点は利用させてもらうぞ!」
 政重の攻撃が激しくなり、徐々に白銀が押されていく。
 瑠衣の死が鍵となっているこの空間。彼女を即死はさせずに、再起不能なほどの重傷を負わせる。簡単なことではないが、白銀相手にとっては有効な手段だった。瑠衣を守るのに手一杯になり、反撃への道筋を見つけられない。
(わたしが何とかしなければ)
 今や二人を襲う炎は嵐のように激しく、白銀の結界に守られていても熱波が肌を焼くほどだ。
 いっそのこと、炎へと身を投げ出し、白銀の隙を作りだせないだろうか。いや、舞衣のように甘い攻撃ではない。自分の操る呪力では、政重の目論見通りにされてしまう。
(いえ……これなら)
 危険な賭けにはなる。あとは白銀が頷いてくれるかどうか。
「白銀。わたしに手があります」
「どんな手だ? オレは忙しいからさっさと言え!」
 政重に唇を読み取られないよう、白銀の背中に隠れたまま小声で作戦を告げる。
「……お前は、馬鹿か?」
 予想通りと言うべきか、盛大に嫌そうな声が返ってきた。瑠衣はすぐ側に着弾した炎の塊の音に負けないよう、少しだけ声を大きくした。
「ですが、このままではじり貧だとは思いませんか。これなら必ず隙を作れるはずです。わたしは白銀を信じていますから」
「……わーったよ。仕方ねえな」
 その熱意に根負けしたように、渋々ながら白銀は頷いたのだった。