十時過ぎ、お弁当の準備が佳境に入ってきた頃、榎波(えなみ)が店に顔を出した。

「おじゃまします」

 スラリとした細身のスーツを着こなす榎波は、慣れた様子で店に入ってくる。
 天気がよく日差しが強かったのか、榎波は、上はシャツとベストだけで、ジャケットは腕にかけている。
 洒落た作りのスーツ姿で細いフレームの眼鏡をかけている彼は、見るからに仕事のできる男といった感じだ。

 日葉里(ひより)が彼に苦手意識を抱いているのは、彼のその風貌に理由がある。
 見るからに頭の良さそうな彼の目には、自分の頭の悪さが見透かされているようで嫌なのだ。
 店内に入った榎波は、勝手知ったる様子で、腕にかけていたジャケットを店のハンガーに掛ける。

「少し話せますか?」
「そんなことより、とりあえずお弁当に蓋して」

 榎波の言葉を無視して、理恵(りえ)は指示を下す。
 カウンターとテーブルには、日葉里と理恵が流れ作業でご飯とおかずを詰め込んだお弁当箱がズラリと並んでいる。
 粗熱が取れて、そろそろフタをしようと思っていたので、いいタイミングで現れた。

「……」

 なんで俺が。不満げに眉根を寄せる榎波の顔には、そう書いてあるのがハッキリ見える。
 でも反論することなく、作業に取りかかろうとする。

「まずは、手洗い消毒でしょ」

 理恵がピシャリと言うと、榎波は無言で厨房に回り、日葉里のそばで手洗い消毒を始めた。
 榎波は、かなりの仏頂面だが、それでもブラシを使って丁寧に爪の隙間まで洗っていく。

「なんだ?」

 日葉里の視線に気付いた榎波が、威嚇するように声をかけてくる。
 別になにかされたことはないのだけど、この高圧的な物言いが苦手なのだ。

「ちゃんと手を洗うか、確認しているんです」

 相手が高圧的なので、こちらの声も、つい尖ったものになる。

「文句あるか?」

 榎波は、こちらに手を見せてくる。
 指輪をしていない左右の手はどちらも、爪が綺麗に切りそろえられている。肌荒れはないが、右手の人差し指にペンダコがある。

「よし」

 日葉里の代わりに、理恵がOKの合図を送る。
 それを受けて榎波はカウンターを出て、お弁当に蓋をしていく。
 蓋をしてゴムで止めて、ゴムの隙間に割り箸とおしぼりを挟む。その単調な作業を、彼は文句も言わずにこなしていく。
 最初は彼のことを会計士が税理士かとも思ったけど、どうも違うらしい。そういった立場の人なら、こんな手伝いをしないだろう。
 日葉里に踏み込んだ質問をする気がないこともあり、色々と謎のままである。
 弁当の仕上げ作業を榎波に任せて、日葉里と理恵は、おにぎり弁当を詰めていく。