食卓に大洋のご飯を並べると、日葉里は家を出た。
カラカラとすりガラスのはまった玄関戸を開けて、玄関脇に停めてある軽自動車のカゴに荷物を預けてまたがろうとした時、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、細い道路を挟んだ向かいで、自分に手招きするご婦人の姿があった。
向かいのお宅の堤下婦人だ。
「日葉里ちゃん、ちょっと。日葉里ちゃん」
小柄でふっくらとした体格の彼女は、日葉里の名前を連呼しながら、一生懸命に手を振っている。
よほどの用があるらしい。
日葉里は自転車にまたがるのをやめて、道を渡る。
「堤下さん、おはようございます」
日葉里が足早に近づくと、堤下婦人が朗らかに笑う。
「朝から元気ね」
急いでいるだけです。
そんな気持ちを言葉にすることなく、笑顔で先を促す。
「どうかされましたか?」
「日葉里ちゃん、もうお仕事に行くの? 仕事は、お昼だけやってるお弁当屋さんなんでしょ?」
「仕込みは、この時間から始めないと間に合わないですよ。これでもゆっくりしているくらいです」
長年付き合いのあるご近所さんなので、やんわり急いでいることを自己主張しておかないと、長話に付き合わされることは承知している。
チラリと自転車に視線を向けて、急いでいることをアピールしておくが、堤下夫人に伝わる気配はない。
「大変ね。頑張るわね。お子さんまだ小さいから、大変よね」
頬に指を添え、しみじみ息を吐く婦人は、結婚以来長年、専業主婦を貫いている。
日葉里が子供の頃もよく呼び止められて、あれこれ質問された上に『お父さんしかいないなんてたいへんねぇ』と、話を締めくくられたことがある。
しみじみするだけで、夫人が手招きの理由を話す気配はない。
「じゃあ、仕事があるので」
痺れを切らした日葉里がそう切り出すと、夫人は目を大きく見開きパチンと手を合わせる。
「そうそう。日葉里ちゃん、お餅が好きでしょ」
(その決めつけは、どこかくるのだろう?)
そうは思うけど、そういう性格をしているのだから仕方ない。
相手の感情を勝手に想像して、それを真実と決め付けては話す癖があるだけだ。
小学生の頃、よくわからない歌手のデビュー二十五周年記念コンサートのグッズを『日葉里ちゃんもいいと思うでしょ?』と、お土産にもらったことを思い出す。ちなみにその歌手は、日葉里が高校生の時に不祥事を起こして活動停止となり、落ち込む婦人に話を合わせつつ慰めたものだ。
どうでもいい過去の思い出を回想しつつ日葉里は返事をする。
「まあ、そこそこに好きですね……」
甘党なので、ぜんざいなんかは好きだし、お正月のお雑煮に二つくらいは食べる。鍋の締めに、薄くスライスした餅を煮るのも悪くない。
ただどれも、冬のイメージが強い食べ方で、これからどんどん暑くなっていくこの季節にするような話ではないと思う。
というか、仕事に行きたい。
チラリと堤下婦人の手元を見ると手ぶらなので、餅をくれるという話でもないようだ。
(たまたま見かけたから、世間話をしたかったのかな?)
だとしたら、そろそろ仕事に行こう。
「じゃあ、私は……」
日葉里がペコリと頭を下げて、自転車に引き返そうとしたら、婦人が服の裾をつかんできた。
「今日、知り合いの家が建前なんだけど、一緒に行かない? お弁当屋さん、午後からなら暇でしょ?」
「はい?」
「だってお弁当屋さん、お昼だけでしょ? お昼の二時くらいに家を出れば大丈夫だから、私の車で一緒に行かない?」
はしゃいだ声で話す婦人に、悪気はないのはわかっている。
ただ、店の営業時間内しか従業員に仕事がないと思っている彼女に、あきれてしまう。
どんな商売でもそうだけど、やどかり弁当も、販売が終われば営業終了というわけではない。
片付けに、売り上げの集計、次の日の仕入れと仕込み、メニューのポップ作りや宣伝のためのSNSの更新と、やることは山ほどある。
その一つ一つを説明しても、話が長くなるだけだ。
「残念です。その時刻だと、まだ仕事してます」
婦人は決して悪い人じゃない。
子供の頃、父子家庭の日葉里をあれこれ気にかけてくれた優しい人だ。ただ自分の価値基準が世界の全てと信じているので、時々話が噛み合わない。
婦人を傷つけないよう『残念です』と強調して、丁重にお断りをし今度こそ引き返そうとしたのだけど、婦人はなおも食い下がる。
「でもパートなんだし、たまには早退させてもらえばいいじゃない?」
「少数精鋭でやってますので」
「でも子供の用事で、時々は休んでいるんでしょ? なら大丈夫よ」
「――っ!」
子供の都合で休むことはもちろんある。
でもそういった際は事前に報告し、迷惑がかからないよう準備を整えてから休むようにしている。
子供の用事で休むときでもそれだけ気を使っているのに、餅まきに行くなんて理由で、突然休むはずがない。
それに単純に考えて、休めばそれだけ稼ぎは減る。
専業主婦で暮らしていける堤下夫人にとって、日葉里のパート収入なんてお小遣い程度に見えるのだろう。確かに日葉里だって、一度や二度休んだくらいで困るほど緊迫した暮らしをしているわけではないけど、それでも責任感の意味も含めて、簡単に休む気はない。
日葉里がおいしいご飯を作るのは、大洋を育てながら生きていくための決意表明なのだから。
なんて日葉里の価値観を熱弁する気もない。
「お餅好きだから残念ですけど、さすがに急には休めないですよ」
残念そうに微笑んでおく。
「そう、残念。最近は、建前をする家も減ってるから、せっかくのチャンスだったのに」
堤下夫人は残念そうに眉尻を下げる。
確かにもともと農家の新家を建てる時くらいしかこの辺でも餅まきなんて聞かなくなっていた。コロナ禍からこっちは、すでに廃れた風習のイメージもあった。変なところで、日常生活の復興を感じる。
「おばさん、そんなにお餅が好きなんですね」
「全然」
会話の締めくくりに振った日葉里のこと場に、堤下婦人は目をパチクリさせて首を横に振る。
(え?)
驚いて目を丸くする日葉里に、婦人は「お餅は好きじゃないけど、アレは燃えるのよ」と、謎の闘志を覗かせる。
おっとりとした専業主婦といった印象の婦人が、必死に餅を拾う姿は想像出来ない。それに食べないなら、餅を拾ってもしょうがないのではとも思う。
なんにせよ日葉里には関係ないことなので、「頑張ってください」と、心のこもっていないエールを送って今度こそ自転車に引き返した。
カラカラとすりガラスのはまった玄関戸を開けて、玄関脇に停めてある軽自動車のカゴに荷物を預けてまたがろうとした時、どこからか自分を呼ぶ声が聞こえた。
見ると、細い道路を挟んだ向かいで、自分に手招きするご婦人の姿があった。
向かいのお宅の堤下婦人だ。
「日葉里ちゃん、ちょっと。日葉里ちゃん」
小柄でふっくらとした体格の彼女は、日葉里の名前を連呼しながら、一生懸命に手を振っている。
よほどの用があるらしい。
日葉里は自転車にまたがるのをやめて、道を渡る。
「堤下さん、おはようございます」
日葉里が足早に近づくと、堤下婦人が朗らかに笑う。
「朝から元気ね」
急いでいるだけです。
そんな気持ちを言葉にすることなく、笑顔で先を促す。
「どうかされましたか?」
「日葉里ちゃん、もうお仕事に行くの? 仕事は、お昼だけやってるお弁当屋さんなんでしょ?」
「仕込みは、この時間から始めないと間に合わないですよ。これでもゆっくりしているくらいです」
長年付き合いのあるご近所さんなので、やんわり急いでいることを自己主張しておかないと、長話に付き合わされることは承知している。
チラリと自転車に視線を向けて、急いでいることをアピールしておくが、堤下夫人に伝わる気配はない。
「大変ね。頑張るわね。お子さんまだ小さいから、大変よね」
頬に指を添え、しみじみ息を吐く婦人は、結婚以来長年、専業主婦を貫いている。
日葉里が子供の頃もよく呼び止められて、あれこれ質問された上に『お父さんしかいないなんてたいへんねぇ』と、話を締めくくられたことがある。
しみじみするだけで、夫人が手招きの理由を話す気配はない。
「じゃあ、仕事があるので」
痺れを切らした日葉里がそう切り出すと、夫人は目を大きく見開きパチンと手を合わせる。
「そうそう。日葉里ちゃん、お餅が好きでしょ」
(その決めつけは、どこかくるのだろう?)
そうは思うけど、そういう性格をしているのだから仕方ない。
相手の感情を勝手に想像して、それを真実と決め付けては話す癖があるだけだ。
小学生の頃、よくわからない歌手のデビュー二十五周年記念コンサートのグッズを『日葉里ちゃんもいいと思うでしょ?』と、お土産にもらったことを思い出す。ちなみにその歌手は、日葉里が高校生の時に不祥事を起こして活動停止となり、落ち込む婦人に話を合わせつつ慰めたものだ。
どうでもいい過去の思い出を回想しつつ日葉里は返事をする。
「まあ、そこそこに好きですね……」
甘党なので、ぜんざいなんかは好きだし、お正月のお雑煮に二つくらいは食べる。鍋の締めに、薄くスライスした餅を煮るのも悪くない。
ただどれも、冬のイメージが強い食べ方で、これからどんどん暑くなっていくこの季節にするような話ではないと思う。
というか、仕事に行きたい。
チラリと堤下婦人の手元を見ると手ぶらなので、餅をくれるという話でもないようだ。
(たまたま見かけたから、世間話をしたかったのかな?)
だとしたら、そろそろ仕事に行こう。
「じゃあ、私は……」
日葉里がペコリと頭を下げて、自転車に引き返そうとしたら、婦人が服の裾をつかんできた。
「今日、知り合いの家が建前なんだけど、一緒に行かない? お弁当屋さん、午後からなら暇でしょ?」
「はい?」
「だってお弁当屋さん、お昼だけでしょ? お昼の二時くらいに家を出れば大丈夫だから、私の車で一緒に行かない?」
はしゃいだ声で話す婦人に、悪気はないのはわかっている。
ただ、店の営業時間内しか従業員に仕事がないと思っている彼女に、あきれてしまう。
どんな商売でもそうだけど、やどかり弁当も、販売が終われば営業終了というわけではない。
片付けに、売り上げの集計、次の日の仕入れと仕込み、メニューのポップ作りや宣伝のためのSNSの更新と、やることは山ほどある。
その一つ一つを説明しても、話が長くなるだけだ。
「残念です。その時刻だと、まだ仕事してます」
婦人は決して悪い人じゃない。
子供の頃、父子家庭の日葉里をあれこれ気にかけてくれた優しい人だ。ただ自分の価値基準が世界の全てと信じているので、時々話が噛み合わない。
婦人を傷つけないよう『残念です』と強調して、丁重にお断りをし今度こそ引き返そうとしたのだけど、婦人はなおも食い下がる。
「でもパートなんだし、たまには早退させてもらえばいいじゃない?」
「少数精鋭でやってますので」
「でも子供の用事で、時々は休んでいるんでしょ? なら大丈夫よ」
「――っ!」
子供の都合で休むことはもちろんある。
でもそういった際は事前に報告し、迷惑がかからないよう準備を整えてから休むようにしている。
子供の用事で休むときでもそれだけ気を使っているのに、餅まきに行くなんて理由で、突然休むはずがない。
それに単純に考えて、休めばそれだけ稼ぎは減る。
専業主婦で暮らしていける堤下夫人にとって、日葉里のパート収入なんてお小遣い程度に見えるのだろう。確かに日葉里だって、一度や二度休んだくらいで困るほど緊迫した暮らしをしているわけではないけど、それでも責任感の意味も含めて、簡単に休む気はない。
日葉里がおいしいご飯を作るのは、大洋を育てながら生きていくための決意表明なのだから。
なんて日葉里の価値観を熱弁する気もない。
「お餅好きだから残念ですけど、さすがに急には休めないですよ」
残念そうに微笑んでおく。
「そう、残念。最近は、建前をする家も減ってるから、せっかくのチャンスだったのに」
堤下夫人は残念そうに眉尻を下げる。
確かにもともと農家の新家を建てる時くらいしかこの辺でも餅まきなんて聞かなくなっていた。コロナ禍からこっちは、すでに廃れた風習のイメージもあった。変なところで、日常生活の復興を感じる。
「おばさん、そんなにお餅が好きなんですね」
「全然」
会話の締めくくりに振った日葉里のこと場に、堤下婦人は目をパチクリさせて首を横に振る。
(え?)
驚いて目を丸くする日葉里に、婦人は「お餅は好きじゃないけど、アレは燃えるのよ」と、謎の闘志を覗かせる。
おっとりとした専業主婦といった印象の婦人が、必死に餅を拾う姿は想像出来ない。それに食べないなら、餅を拾ってもしょうがないのではとも思う。
なんにせよ日葉里には関係ないことなので、「頑張ってください」と、心のこもっていないエールを送って今度こそ自転車に引き返した。