六時半。
 日葉里(ひより)が洗濯と朝食を済ませたタイミングで、大洋(たいよう)が起きてきた。

「お……よう……」

 寝癖頭の大洋は、擦れ声で挨拶をする。

「おはよう」

 日葉里は、立ち上がってそんな息子を抱き上げた。
 小学校一年生になって生意気な言動が増えてきたけど、寝起きのこのタイミングはまだ幼さが顔を覗かせる。

(髪の香りも)

 日葉里は、ボサボサの髪に顔を埋めてクンと鼻を鳴らす。

「大洋、おはよう。お父さんにも『おはよう』言った?」

 大洋は、腕の中でコクリとうなづく。
 大人と子供の代謝の違いか、大洋の体は温かく汗ばんでいる。

「お母さん、やどかりの日、なんにするか決めた?」

 寝癖で縮れた髪を指で整えていると、首に腕を絡めて甘えながら大洋が聞く。

「まだ」

 小さな背中をポンポンと叩きながら、カレンダーを眺めた。
 日葉里は『やどかり弁当』という弁当屋で働いている。
 店のオーナーは、日葉里のまたいことこの佐久間理恵(さくまりえ)という女性で、毅一が営む居酒屋の厨房を昼間だけ借りて弁当屋を営んでいる。
 名前の由来は、人の店を借りて商売しているからだ。
 店頭販売もしているけど、注文先への配達の他、キッチンカーで移動販売している。
 そのやどかり弁当では、月に一回、『やどかりの日』として、いつものお弁当にデザートのおまけを付けている。
 そのおやつ作りを来月から日葉里が担当することになったのだけど、まだそれといった案がうかばずにいる。

「早め早めにしなきゃ、後で自分が苦しくなるよ」

 それは、日葉里がなかなか宿題を片付けない大洋に言うお約束のお小言だ。
 口調までこちらをまねてくるので、つい笑ってしまう。

「気を付けます」

 そう答えて息子を床に降ろす。
 寝起きの腫れぼったい目でこちらを見上げる大洋に、人さし指を唇に添えて言いきかせる。

「朝ご飯食べたら、自分で鍵締めて学校に行ってね。ジイジ寝てるから、優しい音でドア閉めてね」

 大洋は行儀よくうなずく。
 毅一(きいち)にとって今は夜だ。相手が寝ている時間には、お互い音に気を付けている。
 この家に引っ越してきてから毎日言い聞かせていることだから、ほんとうは今更言い聞かせる必要はない。
 それでもつい口にしてしまうのは、再びこの家で暮らすことになった毅一が日葉里に出した唯一の条件が『親なんだから、子供を甘える口実にするな』だからだ。
 それはつまり、結婚を口実に一度は家を捨てたのだから、今更、必要以上に毅一に甘えるなということだろう。
 また寝ぼけているのか、頭を不安定に揺らしながら洗面所に向かう大洋の背中を見送って、日葉里は、仕事に行く準備をする。