「そういえば、洋食弁当や和食弁当も、雑穀米にした方が喜ばれると思いませんか?」

 お弁当を仕上げて洗い物をしながら、日葉里(ひより)はふと思ったことを口にする。
 雑穀米は、ヘルシー弁当とおにぎり弁当で使っている。おにぎり弁当は、二つあるおにぎりの内、片方だけが雑穀米だ。
 和風弁当と洋風弁当は、白米を詰めている。
 そちらの方がカロリーや糖質が高いので、どうせならそちらも雑穀米にしたら喜ばれるのではないのだろうか?

「そんな飯にしたら、俺は喰わんぞ」

 理恵(りえ)ではなく、榎波(えなみ)が応える。
 榎波と理恵は、仕上げたお弁当をばんじゅうに詰めている。

「どうしてですか?」

 驚く日葉里に、榎波が不満げな顔で持論を述べる。

「普通に考えて、そんな鳥の餌みたいな飯、痩せたい奴以外喰わんだろ」
「鳥の餌……」

 日葉里は、プチプチもちもちした雑穀米の触感が好きだ。
 それを鳥の餌呼ばわりされるとは……。

「美味しいですよ。榎波さん、味覚がおかしいんじゃないですか?」

 思わず言い返す日葉里に、榎波は眉根を寄せる。

「失礼な」

(失礼なとは、失礼な)

 日葉里は無言で榎波を睨んだ。
 榎波の方も、自分の意見が正しいと言わんばかりにこちらを睨んでくる。
 そうやって無言で視線の応酬をしていると、理恵が口を挟む。

「榎波さんの意見、一理あるわね」
「え?」
「昔ほどじゃないけど、意外にその意見が多いのよ。カロリーがあるからこそ、食べごたえがあるって考えている人も多いみたい」
「え〜」

 榎波への対抗心から、日葉里は抗議の声をあげる。
 対して榎波はご機嫌だ。

「どうせ高カロリーなもの食べてるんだ、炭水化物でカロリーけちってどうする? 昼はガツンと喰った方が、仕事にも力が入るだろ」

 榎波の意見に、理恵が補足する。

「それに、全部のお弁当を雑穀枚にするより、こうやって見た目にわかりやすい違いをつけておいほうが、ヘルシー弁当の売り上げも伸びるのよ。具材を変えるより、こっちの方がインパクトあるみたい」

 ヘルシー弁当は調理方法に工夫をして低カロリーにしているが、材料は、他の弁当とさして代わらない。野菜類に関しては、まったく同じものを使用している。
 その状態で他との格差をわかりやすくするためには、他が白米であった方がわかりやすいということだ。
 チラリと視線を向けると、榎波が勝ち誇った顔をしているのでムカつく。

「榎波さん、別に力仕事してないでしょ?」

 なんとなく悔しいので言い返す。
 彼の職業は知らないが、肉体労働をしているようには見えない。

「頭脳労働にも、エネルギーは必要なんだよ。普段、頭脳労働をしない人にはわからないかもしれないが」

 日葉里が頭を使っていないと言いたいらしい。

(ムカつく)

 日葉里が彼を睨んでいると、店の扉が勢いよく開き明るい声が響いた。

「あっ、エナミンだ」

 文字に起こしたら語尾にハートマークが付きそうな声に、榎波の顔が引きつる。
 戸口には、明るい髪色のふっくらした中年女性が立っている。
 配達が多い曜日だけ、店頭販売の手伝いをしてくれるパートの鈴木智子(すずきさとこ)だ。
 普段は三人の男の子の子育てと、夫の実家である農家の手伝いが忙しい智子の生き甲斐は推しアイドルのコンサートに行くことで、ここでのパート代をその軍資金に充てている。
 パート代の全てをお布施と称して投資している、大好きな日韓合同のとあるアイドルグループ。その中でも一番の推しに榎波が似ているのだという。
 そのため、榎波に会えると嬉々として話しかける。

(エナミン……)

 智子ひとりだけ、榎波のことをそう呼ぶ。
 苦笑する日葉里の視界の端で、理恵もこちらに背中を向けてお腹を抱えている。必死に笑うのを堪えているらしい。

「やだぁ、エナミン来るなら、もっと早く出勤したのに」

 キャッキャッとはしゃいだ声をあげながら、智子はエプロンをかける。

「いつも言いますけど、その呼び方やめてもらえませんか?」

 榎波が顔を片手で押さえて唸る。
 そんな姿も智子としては憂いを帯びた美しい表情に見えるのか「テンション上がる」と、せっかく洗った手で両頬を包み込み体をくねらせる。
 ちなみに智子は榎波に会うことを『エナミンチャージ』と呼んでいる。
 榎波は背中を反らせて智子と距離を取り、こちらに助けを求めるが、日葉里はしれっと視線を逸らせる。
 もともと苦手な榎波のために、大事な仕事仲間の生き甲斐を邪魔するつもりはない。
 チラリと視線を向けると、理恵も同じ考えなのだろう。意味もなく割り箸の数を数えている。
 その反応に、榎波がげんなり肩を落として作業を再開する。智子の相手をするより『エナミン』呼びを受け入れることにしたらしい。

「佐久間さん、これが終わったら……」

 作業の終わりが見えてきたタイミングで、榎波が理恵に声をかけようとした。でも理恵はその声を無視して日葉里へと視線を向ける。

「日葉里ちゃん、ここは智子ちゃんと榎波に任せて車を取りに行こうか」
「はい」

 日葉里は返事をすると、エプロンを外して免許証やスマホの入っている小さな鞄を手にする。

「おいっ、ちょっと待て」
「今忙しいの。話聞いてほしいなら手伝いなさい。とりあえず店の前に車を横付けするから、そのまま荷物の積み込みできるように準備しておいてね」

 榎波の言葉を無視して、理恵はテキパキ指示をして店を出ていく。車の鍵と一緒に自分の荷物を持って、日葉里もその後に続いた。

「榎波さん、無視していいんですか?」

 少し離れた駐車場に車を取りに行くついでに理恵に聞く。

「なんで?」

 日葉里の質問に、指先にキーホルダーの輪っか部分を引っ掛けクルクル回していた理恵が振り返る。

「なんでって、あの人、理恵さんに用があって会いに来ているんですよね?」

 それなのに理恵はいつもぞんざいに扱って、話を聞こうとしない。

「私に邪険に扱われるのも仕事の内なんだからいいんじゃない」

 素っ気なく答えて、理恵は配達用の車に乗り込む。
 やっぱり榎波は、仕事をしに来ているのだ。
 ではどんな仕事を……と、聞きたくなるけど、理恵は既にドアを閉めて車のエンジンを掛けている。
 仕方なく日葉里も自分の車へと向かう。