水曜の君は、僕のもの

 君への恋心を自覚して2年。
 いつからだろう。
 あふれる想いに反比例して、心と身体が枯渇(こかつ)するようになったのは。

 君が足りない――。

 この乾きは一生、癒えることはないのかな?
 だって僕はこれからもきっと、“本当の好き”は伝えられない。


☆★☆


理人(りひと)! おい、起きろ~」

 人がはけた放課後の教室。
 机に突っ伏してまどろみを彷徨っていた僕は、頭上に降った愛おしい声で意識をとり戻した。
 (まぶた)を擦ると視界のまん中には、幼なじみの(たつき)
 キリッとした太眉に目尻のはねた猫みたいな丸い目。可愛い顔立ちとは相反する、男っぽい筋肉質な体つき。
 琥珀色のゴツゴツした手で短めの黒髪を雑にかきあげながら、ちょっと困った顔で僕の顔を覗きこんでいる。

 一緒に帰る約束をしていた、水曜日の放課後。
 ホームルームが終わってすぐ樹のクラスに迎えに行ったら、『15分だけここで待っててくれ!』なんて、どこかに走り去ってしまった。
 C組にポツンと置いていかれた僕。
 仕方がないから戻ってくるまで数学の課題でも進めておくかって、リュックをおろしたところまでは覚えてるんだけど……。
 どうやらそこからすぐ、机を抱き抱えて眠ってしまったらしい。
 窓際の一番うしろ、(たつき)の席で。

「ん……おかえり。もう用は済んだの?」
 
 寝起きのぼんやりとした頭のまま、ゆっくりと上半身を起こす。
 目の前にあった樹の頬を無意識に両手でつつみこむと、予想に反して樹がビクッと体を震わせた。

「ひぁっ、冷てっ! 理人(りひと)、体がめちゃくちゃ冷えてんぞ!?」
「そう? 別に寒くはないけど」
「ばかっ! もう十月も終わるっていうのにシャツ一枚で、こんなとこで無防備に寝てたら風邪ひくって!」
「えー、誰のせい?」

 スマホのロック画面に表示された時計を、わざと責めるような口調でつきつける。
 15分だけって言ってたのに、時刻はすでに30分オーバーだ。

「う……オレが悪い。悪いんだけど……」

 樹は決まりが悪そうに僕の背後に回ると、風でなびくカーテンを鬱陶しそうに避けながら全開の窓をぴたっと閉めた。
 そして自分のロッカーから、ゴソゴソと何かを引っぱり出してくる。
 黒地に白いロゴの入った、よれよれの部活ウィンブレ。
 たぶん春からずっと、そこに放置していたやつ。

「ブレザー着て来なかったんだろ? ほらっ、いったんコレで体を温めろ」
「うわ~。なんか臭そうじゃない?」
「失礼な、まだ3回しか着てねーよ。とりあえず、ないよりマシだろ」

 樹はニカッと八重歯を見せて笑うと、埃っぽい匂いの混じったそれを、有無を言わさず僕の肩に覆いかぶせた。
 たしかに温かい、けどさ。
 これに袖を通したら、まるで樹の腕に包まれているみたいで、きっと妙な気分になる。
 ――なんて言ったら、君はどんな目で僕を見るんだろう。
 
 真っすぐで優しい樹が、愛しくも憎らしい。
 肩幅は大きいのに僕には少しだけ袖の短い、君の上着。
 温かいを通り越して、すでに熱いとさえ感じてしまう。
 一瞬だけ借りて前をギュッと閉じてから、すぐに脱いで投げるみたいに突き返す。

「やっぱ臭いから、いいや」
「あのな~、少しくらい我慢しろって」
「ねーそれより早く帰ろう。お腹空いたし、熱々のラーメンとか食べたくない?」

 荷物をまとめて椅子から立ち上がると、樹は僕のリュックをガシッと押さえつけてきた。

「あ……あのさ」
「うん? まだ帰れないの?」
「いや、用は終わってるんだけど。重要なのはこれからって言うか……」

 何とも歯切れの悪い返事で、樹は廊下の方をチラッと見やる。
 視線の先を追うと、後ろのドアに女子が2人。いつから居たのか、こちらの様子を落ち着きなく覗っているのが見えた。

「何? あれ」
「えっと~、同じダンス部の女子なんだけど。理人と話がしてみたいって言われてて」
「……で?」
「ほら、今日しか部活休みじゃないじゃん? だから帰りにみんなでスタバでもどうかって話してたんだよ」
「ふ~ん。僕を30分以上も待たせた理由が、まさかそれ?」

 そんなことで。そんなくだらない理由で、放課後に樹を呼び出して。
 顔も知らない彼女たちが、僕たちの時間を奪おうとするなんて腹立たしい。

「そういうの断ってって、前にも言ったよね」
「いや、分かってんだけどさぁ。オレも頼まれた手前、スルーってわけにもいかなくてさ」

 困ったように目線をそらし、こめかみをポリポリと引っ掻く。 
 世話好きで誰にでも優しい樹らしい。こっちが折れれば簡単なんだろうけど、僕だってどうしても譲りたくない。
 だって貴重な水曜日。楽しみにしていたこの日を、樹とふたりで過ごせなくなるなんてイヤだ。

「このまま寝たふりしていい?」
「はぁ? そんなにかよ。じゃあいいよ、仕方ねーから断ってくる」

 樹はやれやれといった諦めの表情で、僕に背中をむけて歩き出す。廊下で返答を待っている女の子たちに謝ってくれるつもりだろう。
 社交的な樹に任せておけば丸く収まると分かりつつ、恨まれ役を押しつけるのもはばかられて、寸前のところで僕は前へ出た。

「自分で言うよ」
「え? おいっ……」

 樹を押しのけて教室の入り口をふさぐように立ち、そこから廊下にいた彼女たちに声を投げる。

(たつき)に聞いたんだけど。今からスタバに行くんだって?」
「う、うん! 一条(いちじょう)くんも一緒に……」

 僕を見て2人はパッと顔を明るくしたんだけど、それに応えてあげることはできない。

「悪いけど、今日はガッツリこってりラーメンって決めてて」
「そうなんだ。じゃあ、私たちも――」
「うん、またいつか。水曜日以外で、樹と都合がついた時にでも」

 最後はかぶせ気味に言い捨てて、小さく会釈してから回れ右をした。普通の人ならこれで空気を読んでくれるだろう。
 いつかなんて日は、当分訪れない。これが僕の正直な気持ちだ。
 

☆★☆


 無趣味で帰宅部の僕と違って、樹の学校生活はかなりハードだ。
 週6で部活、休日には遠征や大会。リーダー気質だからクラスの委員も引き受けて、おかげでテストは補習必須。
 幼なじみで近所に住んでいるとは言え、高校に入ってから僕たちが共に過ごせる時間なんてほとんどない。

 だから樹の部活がない水曜の放課後だけは、一緒に帰ろうって約束をしていた。 
 はまっているごはん屋さんに寄ったり、カラオケで歌いながらおやつにしたり、たまにはコーヒーを飲みながら勉強してみたり。
 とにかく僕にとっては、樹を独り占めできる唯一無二の時間。
 待ちに待った水曜日を誰かに邪魔されるのは、絶対に避けたかった。


「なぁ、たまには良かったんじゃね? せっかく女子が誘ってくれたのに」

 けっきょく二人で最寄駅にあるおなじみのラーメン屋に入った。
 いつもの『こってり豚骨全部のせ』の食券を購入し、カウンター席につくや否や、樹は水をいっき飲みして不満そうに口を尖らせる。

「だってラーメンの気分だったし。他人に無理に合わせる必要なくない?」
「理人のそういう忖度ないとこ嫌いじゃないけどさぁ。知ってるか? お前って女子の間で“氷結王子(ひょうけつおうじ)”とか言われてんの」
「何それ」
「く~、もったいねーよな! 理人がその気になりゃ、すぐにでもカワイイ彼女ができんのに」

 樹は眉根を寄せてこちらに振り向くと、人差し指で僕の頬をグリグリと突き刺した。

「この顔で、この身長で、頭もイイときてる。モテないわけがない。なのに当の本人はなんで、こうも恋愛に疎いのか……」
「人見知りなんだよ。初対面で向かい合ってお茶するとか、気まずくてヤなの」
「そんなこと言ってたら、一生、誰とも付き合えねーぞ?」
「別にいいよ」

 樹さえそばにいてくれれば――。
 最後の台詞をグッとのみこみ、グラスに入った水にちびちびと口をつける。

「ってか、このままだとオレらだけじゃん。『彼女いたことない歴』更新中なの」

 樹が言うにはクラスでも部活でも、今まで誰とも付き合ったことがないヤツなんて、僕たち以外にいないらしい。

「いやいや、盛りすぎでしょ。そんなにみんなが上手くいってたら日本人の結婚率が低下するわけないから」
「はぁ? また難しいこと言っちゃって。ってか、理人は選べる立場だもんな~。実質、カノジョがいないのなんてオレだけじゃん」
「そんなことないって」

 だって僕だって、本当に欲しい人はたぶん一生手に入らない。
 カウンター左側に座っている樹を、僕はまじまじと見つめた。
 太陽をいっぱい浴びたような健康的な肌に、キラキラした意思の強い目。
 自分では「直毛すぎてイヤになる」なんて言ってるけど、耳元をスッキリ見せた黒髪のハンサムショートが、元気で男らしい樹によく似合っている。
 たしかに身長は僕より10センチくらい低い。そこにコンプレックスを感じているのも知っている。
 だけど肩から腕にかけての筋肉はしなやかで、白シャツ越しにでも分かる逞しい身体は、誰もが簡単に手に入れられるものじゃない。

 樹はすっごく魅力的だよ――。
 再びグラスの水と一緒に、感情を奥底にのみこんだ。
 君がモテないと感じているなら、それはタイミングが悪いだけ。
 この約束の水曜日を僕が手離してあげたら、きっとすぐに彼女ができると思う。

「……樹の方がモテるよ、絶対」
「はいはい。フォローありがとな」

 簡単な言葉でしか伝えられない僕に、樹は小さく苦笑いした。
 

 お待ちかねのラーメンが僕たちの前に運ばれてきた。
 脂ののった大判チャーシューが3枚、半熟の味玉、どんぶりに彩りを添えるほうれん草と海苔。
 それらに感嘆の声をあげて、樹は幸せそうな顔で熱々の麺をすすった。
 本当、何でも美味しそうに食べるなぁ。見ていて気持ちがいい。樹との食事はいつも、意図せず頬が緩んでしまう。
 それを慌てて引き締めて、僕は「いただきます」と小さく手を合わせた。
 猫舌の僕は樹みたいに一気にすすれない。レンゲに一口サイズの麺を落とし、フーフー冷ましてからゆっくりと箸を往復させる。チャーシューもほうれん草もスープを切って、ひとつずつ丁寧に口に運んだ。

「やっぱ美味しいよね。ここのラーメン」

 なんど食べてもまた欲しくなるストライクな味。
 同意を求めて言葉を投げると、樹が口元を綻ばせながらこちらを眺めていた。

「理人って、ほんっとキレイに食べるよな。見てて飽きない」

 なに……それ。僕と同じようなことを思っていたわけ?
 ニカッと白い歯を見せる樹にこうやって、いつもふいに心を持っていかれる。
 ああ。一緒にいてこんな幸せな気分になれる相手は、やっぱり君しかいない。

 好きだ。

 これは紛れもなく恋だと思う。
 もしそんなふうに呼ぶなと誰かに否定されたなら、僕はきっと永遠に人を好きになれなくなるだろう。
 僕は幼なじみで親友で、樹が望む“カノジョ”にはなれない。この想いを伝えることも、たぶん一生できないけれど……。
 誰よりも君のそばで、その屈託のない笑顔を守っていきたいと思っている。
 

 君の水曜日だけは、僕のもの。
 このささやかな楽しみがずっと続きますように。

 特別好きな子がいるわけじゃないし、『付き合う』って何すんの? って感じだけど。
 オレは早く“カノジョ”が欲しい!

 みんないる(・・)し。みんなしてる(・・・)し。
 何よりもあいつに置いて行かれたくない。


☆★☆


 4時間目の英語は自習。
 配られたプリントに悩むふりをしながら、ぼーっとガラスの向こうを眺めていた。
 窓際の一番後ろがオレ、中神樹(なかがみたつき)の特等席。
 3階の教室からは広々としたグラウンドとイチョウ並木が一望できて、その奥には富士山の白い頭も拝める。
 目に優しくて楽しい景色。ってことで、たいていの授業は集中できない。

 今日は週一のお楽しみ、理人(りひと)と寄り道をして帰る日だ。
 部活が忙しいオレに合わせて、毎週水曜日をあけてくれる相棒。親友を通り越して家族で空気で、かけがえのない存在。
 さて。今日はあいつと、何を食べに行こうかな。
 コンビニで肉まんとチキンを買って公園でゲームもいいけど、急に寒くなってきたからあのファミレスのドリアも食べたい!
 あ~! 毎週のことながらすっげぇ迷う!!
 昼ごはん前だっていうのにすでに放課後に思いを馳せていると、ちょうど真下に、授業でサッカーをしている理人の姿を見つけた。

 コーンドリブルのテスト? おっ! 運動部でもないくせに難なくスマートに決めてやがる。さっすが理人!
 小っちゃい頃から運動神経も頭もよくて、何をやらせてもレベチな奴だった。
 そんでもってあのビジュの強さ、最強じゃね?
 遠目でも分かるしなやかな長身と、光が反射する色素の薄いサラサラの髪。近くで見るとなおさら驚かされる、白い肌とガラスみたいな繊細な顔だち。
 童顔なのにゴツいとしか言われないオレからすりゃ、ただただ羨ましいに尽きる。


「ねー、見て! 一条くんがサッカーやってる。どこにいても目立つよね~」
「ああ、A組の“氷結王子(ひょうけつおうじ)”? たしかに、モデルかアイドルかってくらいカッコイイもんね」

 前方で同じように窓の外を眺めていた女子たちから、そんなふわふわした会話が聞こえた。
 そうだろう、そうであろう! オレは鼻高々になってひとり大きく頷く。
 理人は昔から女にモテる。まー、あんまり女子と喋らないから? みんなあいつの外見だけでキャーキャー騒いでるだけなんだけど。
 本当はちょっと抜けてるとことか、物言いは辛辣なのにめっちゃ優しいとことか。
 中身を知ったらもっと……ちゃんと好きになるのになって思う。

 まあそもそも、チャンスを遠ざけているのは理人自身だ。
 せっかく共学なんだからもっと女子と交流して、今しかできないことを色々楽しめばいいのに。あいつは相手が女だからって甘い顔をするわけでもない。
 もったいないと思いつつ、そんな理人にホッとしている自分もいる。
 だって理人に彼女ができたら、今以上につるむ時間が減ってしまう。オレだけが置いていかれる――。
 そんな焦りと寂しさもあって、近頃とくに「彼女が欲しい」と連呼せずにはいられなかった。
 10年来の幼なじみに先に手を離されるのは嫌だ。そんな感情に、急き立てられているような気もした。


「――おい」

「……」

「――おい、樹ってば!」
「うわ!?」

 突然、ちょっと尖った声で自分の名前が呼ばれた。
 びっくりして向き直ると、斜め前の鈴木が手にしていたプリントでひらひらと扇いで見せる。

「なに?」
「何じゃねーよ。これ、そっちから集めてくれって」
「ああ、わりい」

 ガラス越しの理人に意識を持っていかれてるうちに、どうやら4時間目のチャイムは鳴り終わったらしい。
 慌てて立ち上がるとすれ違い様、そいつはニヤニヤとからかうような視線を寄せてきた。

「すっげぇ、エロい視線。なんだよ樹、グラウンドに好きな女でもいたのか?」

 はぁ? なに言ってやがる。オレの視線の先は大親友だっつーの!
 いくら学校一の美人だからって、相手は男なんだから。


☆★☆


 待ちに待った放課後。
 7時間授業をどうにか乗り越えて、廊下で待っていた理人に駆け寄った。

「理人、ジャンケンで決めようぜ!」
「えー? 急に何?」

 今からどこに行くか、何を食べるか。勝った方が決めてイイことにする! っていう説明は省いて、オレは勢いよく振り被る。
 理人は渋い顔をしながらも、つられて腕を構える。

「ほら、最初はぐー」
「「じゃんけんっ、ポンッ!」」

 オレがパー。理人がチョキ。
 あっさり負けて思わず頭を抱える。

「くっそ~! コンビニチキン食いたかったのに~」

 オレが悲哀に満ちた声を出すと、理人はようやく何の勝負だったかを悟ったみたいだった。

「ああ、その話ね。ダメだよ、今日の目的地はもう決まってるから」
「そうなん? じゃあしゃーねー。で、どこ寄りたいんだよ?」

 肩を垂れ下げながら尋ねたオレに、理人はフフッと意味深な笑顔を見せる。

「ワック行こうよ。南口の」
「月見バーガーってことか? そういやまだ今年、食ってなかったっけ」
「まあ月見も捨てがたいんだけど、今日はラッキーセットで」
「ん?」
「あれ、樹ってば知らないの? 今日から“ポテちゃん”のコラボが始まったのに」

 理人はスマホを片手でタップし、悪戯っぽい笑みを浮かべながらファーストフード店の公式アプリを開く。
 ハンバーガーとポテトにおまけが付いてくる、定番メニューのラッキーセット。
 そのおもちゃが女子に大人気のキャラクターグッズに変わったと書いてあった。

「何ですと~!?」

 画面をのぞきこみながら、つい素っ頓狂な声を上げてしまう。
 “ポテちゃん”は胴長短足の憎めない顔をしたゆるキャラ犬で、オレが小学校のときからお気に入りの奴だ。
 うちの妹がはまったのが切っ掛けで、一緒にグッズとか集めてたのに。いつの間にやら取り残されて、オレだけがいまだに沼ってる。
 それが今回マスコットキーホルダーになって全部で7種類だって?
 これはぜってー、コンプしたい!!

「このタイプのおまけって中が見えないんだよな。よし……オレはとりあえず3セット。いや、4セット食う! 理人は?」
「僕は2セットが限界かな。おまけは樹にあげるよ」
「よっしゃ!」

 大きくガッツポーズをする。
 そう言ってくれると思ってた。だって理人は別にポテちゃんに興味はない。
 ワックに行こうって提案してくれたのは明らかにオレのためだ。じゃんけんで勝っても負けても、けっきょく俺得でしかない。

「さすが理人! 一生の友よ!!」

 親友の深い愛を感じてテンション高めにガシッと肩を組むと、理人はなぜかちょっと切なげに笑う。

「……じゃあ、行こうか。なくなったら困るでしょ?」
「だなっ。急ごう!」

 理人の腕を引っぱり、急かすように階段を降りた。
 でも昇降口についてすぐ、オレはズボンのポケットが妙に軽いことに気づく。

「やべっ、スマホがない……」

 制服やカバンをあっちこっち乱暴に叩いてみるけど、どこにも手応えはない。
 最後に触ったのは、たしか昼錬のとき。もしかしてそのまま部室に置いてきたか?
 あ~あ、ポテちゃんが遠ざかる!

「着信、鳴らしてみようか?」
「あ~悪い。だったらとりあえず一緒に来てくれ!」

 理人の腕を再びつかみ、オレは素早く踵を返した。

「今日は誰もいないだろうから。それ、部室で頼むわ」


☆★☆


 バタバタと2人でグラウンドを横切り、空き教室だらけの旧校舎に向かう。
 部室棟として使われているそこは、1階が男子2階が女子の更衣室になっていて、普段は一般の生徒が立ち入ることはない。
 職員会議で完全下校の今日なんて特に人の気配すらないだろう。
 だから、うっすら開いている部室の前。違和感を感じながらドアに指をかけた瞬間。
 意図せず目に映った光景に、動揺せずにはいられなかった。

 制服姿の男と女が窓際の床に座りこんで、甘くじゃれるように肩を寄せ合っている。
 誰だ? うちの部の3年? なんて探っている間に、ゆっくり唇をくっつけて――。
 まさかのキス現場目撃。
 げっ! と変な叫び声が上がりそうになったのを寸前で抑えこむ。何でこんなとこで盛り上がってんだよ!?
 幸か不幸か、あっちはオレに気づいていない。
 
「樹、どうしたの?」
「しっ!」

 うしろから付いてきた理人に慌てて振り返り、人差し指を口の前で真っすぐに立てる。

「いまは、ダメだ」
「え? ああ……」

 オレの背後から室内を一瞥した理人は、中でなにが繰り広げられているのかを即座に察したみたいだった。
 それなのに、いたって冷静。オレの肩をポンッと叩き、表情ひとつ変えずに『いったん離れよう』と指と目で合図してくる。
 他人のキスシーンをガッツリ目の当たりにして、何でこんなに落ち着いてられるんだ⁉
 仕方なくオレたちは忍び足で廊下を引き返した。
 旧校舎の外に出て、やっと声の自由をとり戻す。

「だ~!! オレのスマホが~!」
「あったね、手前の机の上に。あの状況じゃまだまだ長引きそうだし、とりあえずここで待機しとく?」
「はぁ、何であんなとこでイチャついてっかな~。どんだけガッツいてんだよ。せっかく部活休みなんだし学校出てからにすりゃいいじゃん。なぁ?」

 照れくささと気まずさと羨ましさもあって、ややディスり気味に笑ったオレ。
 もちろん恋愛に疎くて女子に塩対応な理人なら、間違いなく賛同すると思ってた。神聖な部室でやることじゃないだろうって、冷淡な口調でぶった切るもんだと。
 でも予想に反して、理人は長いまつ毛をパサリと揺らしながら柔らかい表情をする。

「そうは分かっててもさ。今のその一瞬に、ブレーキが効かなかったんじゃないの?」
「へ?」
「だってそれが“好き”ってもんでしょ。仕方ないよね」

 オレは思わず目を丸くする。『仕方ない』なんて、本当に理人から出た言葉か?
 だってオレの知るこいつは恋愛事に常にクールで硬派。女子の誘いにはのってこないし、彼女が欲しいなんて微塵も考えていないような男だ。
 でもそれじゃまるで、我慢できないほどの熱い恋を、お前自身が経験したことがあるみたいな口ぶり。
 何だよそれ。オレは理人のそういうの、今まで一度も聞いたことねーぞ。

「へ……へぇ。お前もしかして、もうキスしたことあんの?」

 理人にすでに置いていかれてるんじゃないかって焦りで、胸の奥がザワザワした。
 カノジョ……オレの知らないとこでとっくに作ってたりして。キスだけじゃなくそれ以上も……経験済みだったり?
 平常心を装いつつも、意図せず目が泳いでいるのが自分でも分かった。
 そんなオレに理人はふふっと上品に笑んだ。

「ん~、どう思う?」
「どうって……。オレはまだそういうのないし、分かんねーっつーか」
「じゃあ、ここでしてみる? そうしたら分かるかもよ」
「へ?」

 してみるって……何を? まさかここでキス? オレとお前で?
 サラリとあり得ないことを口にして、本気か冗談か分からないカオを近づけてくる理人。
 透き通った瞳がいつも以上に接近してきて、オレの心臓が大きな音をたてる。
 なんだこれ……こんな感覚、オレは知らねーぞ。
 パニックに陥ったオレはそのままずるずると背後の壁に倒れこみ、迂闊にもドスンと尻もちをついてしまった。

「樹!? 大丈夫?」
「か、からかうなよ! オレがいくらモテないからって男同士でこんなこと……」
「ああ……うん、だよね。ゴメン。ぜんぶ冗談だって」
「はぁ⁇」
「ほら、もうさすがに先輩たちも終わったんじゃない? 樹のスマホ、そろそろ救出しにいこうか」

 心臓が早鐘をうっているオレがバカらしく思えるくらい、理人はケロっとした顔。オレを軽くあしらい、何事もなかったかのように踵を返した。
 オレはどっと力が抜けてまだ動けない。
 ちょ、ちょっと待て~ぃ! お前ってそういう冗談言うヤツだったか⁉


☆★☆


「樹、見て。“焼き芋バージョン”が出たよ」
「よっしゃ、でかした! これで5種類ゲットだな」

 無事にスマホを回収し、オレたちが“ポテちゃん”に会えたのは、夕方5時を回ったころだった。
 学校と最寄り駅の間にある比較的人の少ないワック。
 二人で6人分のラッキーセットを抱えて2階に上がり、まずお目当てのおもちゃをテーブルに広げた。
 手の平サイズのわりと存在感のあるモコモコキーホルダー。ゆるキャラ犬が秋冬の味覚を抱えてるのが想像以上に可愛い。
 うん。これは絶対、色んなバージョンが欲しくなるやつだ。

「ふたりで6個中かぶり1つか。まあ、なかなかの好成績じゃない?」

 理人はセットのオレンジジュースを飲みながら、自分のことさながらに満足気な顔をする。
 中身は選べないガチャ的なおまけ。4個中2つ同じものを出したオレとは違って、理人は2個とも別のを当ててきた。

「なあ理人、被ったキーホルダーいる? どんぐりポテちゃん」
「いらない。なんかいつにも増してブサイクだし」
「ったく、失礼なやつだな~。この眠そうな目が愛くるしいんじゃん。ってか理人だって、サイトに載ってたラーメンバージョンなら欲しかったろ?」

 残念なことに、レアキャラは当たらなかった。でもまだ来週にもチャンスはある。

「よし、次の水曜こそ当ててやる」
「え~。っていうことは、またワックに来るの決定?」
「当然! 一応、今日は理人のリクエストだろ? 来週はオレが店選びの権利を行使するっつーことで、よろしく!」
「はい、はい」

 理人は飽き飽きした素振りを見せながらも「仕方ないね」と優しく笑った。
 心強い相棒の承諾を得て、オレは再び気合を入れる。次で必ずコンプしてやる!
 まあ来週も、大量のセットを食べることにはなるんだけど。オレたちにかかれば夕飯前の腹ごしらえにすぎない。
 テーブルに並べられたハンバーガー6つとポテトの山をしげしげと見る。
 とりあえず腹も減ってきたことだし、食っときますか。

「いただきますっ!!」

 オレは大口を開けて思いっきりバーガーにかぶりついた。
 しっとり焼き上げた軽いバンズに、薄いけど牛肉100パーセントのパテ。甘いトマトソースに酸っぱいピクルス。シンプルな4種の味わいがたまらない。

「うん、安定の旨さ!」

 そんでもってコンビのポテトはホクホクでサックリ。この塩加減も最高で、家で母ちゃんにリクエストしても同じものはなかなか再現できない。だから何度でもここのが食べたくなる。
 口の中に次々と放りこんでコーラを一気飲みし、また次のハンバーガーにかぶりついた。食べ始めると手が止まらない。

「やっぱワック最強だわ」

 4セットをあっという間に完食。満足して顔を上げると、理人が目尻を下げ気味にこっちを眺めているのに気づいた。

「ん? 何だよ?」
「別に。相変わらずいい食べっぷりだと思ってさ」

 そういえば理人は最近、こんなふうにオレを黙って見つめることが増えた気がする。
 優しいけどどこか艶っぽい眼差し。それを浴びるたびにオレは何だか安心して、ちょっとくすぐったい気持ちになる。
 理人がふっと視線をはずした。それと同時に、今度はオレが理人から目が離せなくなる。
 ほんっと、流行りのイケメン顔だよなぁ。男とは思えない陶器みたいなすべすべの肌。血色のいい杏子色の薄い唇。
 こいつのハンバーガーを食む姿が色っぽいと感じるのは、さっきの『してみる?』発言のせいに違いない。
 口の端についたケチャップをペロっと舌で舐めとる理人。
 ただそれだけの仕草がやけになまめかしくて、さっき部室で見たあの先輩たちのキスシーンと重なって。
 緊張に似た火照りと共に、喉がグルッと小さな音をたてた。

「樹、顔が赤いけど……大丈夫?」
「え!?」
「さすがに食べすぎてお腹が痛いんでしょ。トイレ、あっちだよ?」
「ば、ばかっ! そんなんじゃねーし!」

 オレはプイッと顔をそむける。

「ちょっと思い出してたんだよ。部室で先輩たちがキスしてたやつ」
「ああ、アレね」

 興味なさそうに、いつもの涼しい顔で答える理人。
 さっきは我慢が効かないのが好きだとか何とか、熱いこと語ってきたくせに。やっぱりこういう話には感心が薄い。

「お前さー、さっきは『どっちでしょう?』みたいなこと言ってたけど、ぜってー経験なんてねーだろ」
「あは、バレた?」
「だよな。恋愛音痴でカノジョなんて欲しくないって断言してるやつに、そんなチャンスがあるわけない」

 カッコつけんなよって、いつもみたいに笑い飛ばしてやった。
 けれども――。

「彼女はいらないけど。まあ、キスはしてみたいかな」

 なんて、理人が意外な言葉を返してきたから、オレはそのまま椅子から転げ落ちそうになる。

「はぁ!? お前それってどういう意味で……」
「そのままだけど? 唇と唇が触れ合ったらどんな感じなのか、どういう気分になるのか。そういうのは試してみたい」

 クールな表情でさらりと語る理人。
 旧校舎で冗談半分にオレに迫ってきた真相がこれ? ただの興味本位でしたって……理人が言うとシャレになんねーよ。
 オレは大きくため息をついてからテーブル越しに身を乗り出した。

「今のはだいぶ問題発言だからな。間違っても他では言うなよ」
「そう? 至極当然な好奇心だと思うけど。『人はキスをすると何を想い、そのあと何が変わるのか』って」
「ったく、探求授業のテーマじゃねーんだから。彼女いらないのにキスしたいなんて、女子が聞いたらドン引きだぜ」
「だって別に相手が“彼女”である必要はないから。“好きなもの同士”なら構わないと思う」
「いやいや。その理論だと男女じゃなくてもOKって話になんじゃん」
「……そう、言ってるけど?」
「あはは! なに言ってんだよ。じゃあ理人はオレと本気でキスできんのかよ?」

 我ながら可笑しなことを口にしてるもんだと気づき、つい自虐的に笑ってしまう
 でもそれに対しても、理人は予想外の返事をする。

「できるよ、むしろ僕はしてみたい」
「理人……?」
「樹はいや? やっぱ無理そう?」

 サラッと前髪をかきあげながら、どこか試すような探るような表情を浮かべる。
 今度ははっきりと聞いた。オレとキスがしてみたいって、理人のやつマジで言ってんのか?
 何年も共に過ごしてきた仲だっていうのに、今回ばかりは真意がつかめない。 
 目をつむって、首を傾けて。吐息を絡ませながら唇を近づける……なんて。これまでのオレたちの間で想像したことがあっただろうか。
 また冗談? 常識を上回った興味? 欲求不満が爆発した……とか? 
 それでも、「ふざけたこと言うなよ」って突き放すには、あまりにも理人の声が低く掠れていて……。
 オレはどう答えていいか分からず、曖昧に笑って視線をそらす。

「…………」

 久しぶりに居心地の悪い沈黙が流れた。
 数秒後、それを破るように理人がガタリと椅子の音をたてる。

「樹、そろそろ帰ろっか」
「……ああ!」

 理人の穏やかな声に安堵して、オレも慌てて立ち上がった。
 この話、もうなかったことでいいんだよな? 
 無言を引きずりながらテーブルをふたりで片づけ、どうにかして次の話題を探した。帰り道もこの空気じゃなかなかにしんどい。

 ……っと、その前に。

「ちょっと待って。このポテちゃんのキーホルダー、ぜんぶ鞄につけてくわ」

 きれいに並んでいた6体のマスコットを両手で素早くかき集めた。
 けっこうなボリュームのそれらを順番に、通学リュックのファスナーに大切にくくりつけていると――。

「あいつ、恥ずくね? 男でアレはないでしょ?」
「ほんとだ~。ポテちゃん好きなのって普通、子供か女子だよね」

 なんて、通りすがりのカップルに野次られた。
 せっかく気持ちが上向きかけたとこだったのに、オレはまたもや気まずくなって俯く。
 うっせーな、こっちは推し歴7年だ。他人からそう思われることも分かってる。
 でも『普通』って『男だから』って何だよ。そもそも“好きなもの”に、そこんとこ関係なくねー?
 そう強く憤りつつも、すでに他の話題にうつった陽キャカップルに反論することはままならない。
 不甲斐なさを隠したくて口を一文字に結び、手の中のマスコットを小さく握りしめた。

「ねえ、樹。やっぱそれ1つちょうだい」

 そんなオレの頭上で、柔らかい理人の声が響いた。
 戸惑いながら視線を上げると、理人は長く綺麗な指でオレの手をちょいっと弾く。

「どんぐりバージョン、被ってるんでしょ?」
「ああ。でもお前さっき、ブサイクだからいらないって……」
「やっぱ欲しくなったの、僕もリュックに付けようと思って。いいでしょ?」

 有無を言わさずオレの手もとから掻っ攫って、自分の通学鞄の一番目立つところにキャラを飾った。ポテちゃん愛なんかあるはずないのに。
 理人のこういうとこ、本当に優しい。オレの『好き』を尊重して共有して、寄り添って一緒に大切にしてくれる。
 胸がギュッと締めつけられて、それと同時に、全身が毛足の長い毛布にくるまれたように温かくなった。

 やっぱ理人はいい。
 好きだな。
 ずっと一緒にいたい。

 そこまで考えて、ふと気づいた。こんなにはっきりと言語化できる想いに、男とか女とか関係あるのかなって。
 理人の言う『好きなもの同士なら、別に彼女じゃなくたって構わない』って、こういう感情も含まれるんだろうか。


 オレ達はワックを後にした。
 外はすっかり暗くなり、行き交う車のライトがやけに眩しい。
 見上げた紺青の空には白い雲が溶け込んでいて、すでに冬の気配を感じた。
 狭い歩道を一列になって歩く。
 理人の背中で揺れているポテちゃんがいつも以上に愛おしく思えた。

「――なあ、理人」
「うん?」
「さっきのあれ、オレもいいよ」

 胸に広がっているこの淡く甘い気持ち。
 これまで抱いたことのない『好き』を伝えたい衝動に駆られて、言葉が口をついて出る。

「キス……してみよっか」


☆★☆


 通りがかった住宅街の小さな児童公園。
 その花壇に腰かけて、理人とオレはどちらからともなくそっと唇を近づけた。
 初めての経験にちょっとだけびびったのか、知らず知らずのうちにオレ達はギュッと手を繋いでいた。

 1,2。
 触れあったと認識できる程度のキス。

「樹、どう?」
「う~ん、2秒じゃぜんぜん分かんねぇ」
「あはっ、数えてたの? じゃあ、もう1回……」

 1、2,3,4,5,6。
 ああ、ちゃんと柔らかい……。
 唇がくっついただけなのに、味わったことのない多幸感で満たされていくのが不思議だ。
 唇をゆっくり離す。オレよりも背の高い理人に合わせて、目線を上げる。

「なぁ……どうだった?」

 今度はオレが聞いてみた。だけど答えを待たずして、逃げるように自ら目を逸らした。

「や、やっぱいいわ! 何も言わんで!」
「何それ。……樹? こっち見てよ」
「うわっ! マジで勘弁してくれ! もう……耐えられそうにない」

 オレは頑なにそっぽを向き続けた。
 だってこっちがテレるくらい、理人の視線が熱を帯びていたから。
 このまま見つめていたら、その瞳に心をぜんぶ吸いとられてしまいそうで怖かった。


 たぶんこの瞬間、オレは理人に恋に落ちたんだと思う。
 寒空の下、初めて唇から熱を交換した緊張と喜びを、ずっと覚えていたい。
 
 《Fin》

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