俺がいることで温まれば問題ない。辛城の身体に回した手に力が入っていた。解いて、肩に触れる。辛城の指が、何かを言おうとしている。


『苦しいよね』


 何を思ったのか。俺が手を握って、解いたことに気付いたのか。
 答えに迷う呟きと、表情の見えない体勢で無言を貫く。


『君の悩みは君だけのもの。君の人生は君だけのもの。君が悩んだ出した結果も君だけのもの』
「うん」
『私に優しくしてくれた君は、幸せになるべきだよ』
「幸せ、なんて」
『在り方は色々だよ。終わりよければすべてよし。悩んで苦しんで、逃げて踠いた結果なら、それらは幸せに必要なものだったんだよ』
「……そうは言っても」
『私は、幸せだったよ』


 冷たい機械音が無情に響く。
 指先は冷めたくないのに、部屋の空気や、胸元(こころ)は霜が降りそうに感じる。熱を逃さないように強く、強く抱きしめる。唸り声すらない彼女は身じろぐように強張らせた。


『さいごまで』


 指先が震えた。


『お世話になっちゃってごめんね。面倒見させてごめん。時間をもらっちゃってごめん。背負わせてごめん』
「辛城」


 一辺倒な言い回しに、音を遮った。
 声は震えていた。悟られたくはなかったけど、止めなければと反射的だった。
 謝らないでいい。そうじゃないだろう。


「幸せだったのなら、ごめんじゃないでしょ。ごめんじゃあ、幸せじゃないでしょ」


 振り絞った言葉は、辛城の指を揺らした。

 震える手がスマホを滑る。たまに爪が当たって、カチ、カチと鳴る。
 その音すらも聞き逃さないように。彼女の言葉を全て飲み込むように。
 握った拳は、辛城の腕を支えていた。


『声をかけてくれてありがとう。家まで来てくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。心配してくれてありがとう。勉強を教えてくれてありがとう。お見舞いに来てくれてありがとう。家まで連れてきてくれてありがとう。一緒にご飯を食べてくれてありがとう。夢を見させてくれてありがとう』


 腕の力が抜けた。支えることをやめて、腕をそっと下ろした。


「こちらこそ、ありがとう。辛城のおかげで、楽しい回り道ができた。よそ見をしながらでも進むことができたよ。辛城がいてくれたからだよ。辛城が声をかけてくれたからだよ。辛城が俺を引っ張って走ってくれたから、今の俺があるんだよ。ありがとう」


 骨と皮だけの手を握った。
 心臓の音を身体で感じる。
 嗚咽はどちらのものかなんてどうでもよかった。
 ただ、一方から聞こえてきた、もがき苦しむ声があった。


「っ……ぇ」
「辛城?」


 顔を覗き込むと、苦しそうに顔を歪めながら、俺のことを見上げていた。
 紫色に染まった唇が、カサカサと擦り合わさる。


「だ……ぃ、ぃ……っ、て」


 強く、強く、力を込めた。
 辛城が振り絞った声で願ったそれは、俺が、俺だけが叶えたかった。
 二人で入った布団の中。温かくも冷たいそこで、俺は辛城を強く、強く……――


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