「疲れるでしょ」
『平気』
「スマホ持ちながら」
『頭がちょうどいい土台だよ』
「人の頭を」
『力入れてないよ』
「……」
『持ち上げるだけで、精一杯』
「……そ」


 大変なら下ろせばいいのに。そう思った言葉は出なかった。押さえられているからじゃない。

 ……心地よかった。

 結局、自分がいいと思ったら、相手がどう思おうがそれを選んでしまうんだ。相手がしてくれるなら甘んじる。相手がしてくれないなら我慢する。だって、自分は動こうとしないんだから、受け入れるしかないじゃないか。相手がそうしたいのなら、それを引き留める権利は俺には無い。

 数秒。数分。数十分。一時間は経っていないだろう。
 辛城の片腕は、するりと落ちた。もう片方の腕を持ちながら、俺は久しぶりに辛城の顔を見た。安らかに眠ってしまいそうな、儚げな笑顔があった。

 両手をクッションの上に置き直す。俺はベッド横に座り直した。直前までの行動に、不思議と恥ずかしさはない。ただ、温もりを感じていた分なのか、部屋が寒く感じる。


『寒いね』


 辛城もそう思ったようだ。


「布団、もう1枚かける?」
『ううん。でも、横になりたい』
「ベッド倒そうか」
『うん』


 辛城が横になるということは、もうその日はお休みということ。体を起こしているのが辛いほど体力を消耗したということだ。

 ベッドが機械音を響かせる。真っ平らになった辛城の体を整えて、布団を胸元まで上げた。両腕とスマホを布団の上に出すと、辛城は画面を叩いた。完全に体を倒してしまうとスマホ画面を見ることが出来ず、文字を打つことが出来ない。スマホを持ち上げて、腕も持ち上げてということも出来ない。だから、体を横向きにする。


「まだ話したいの?」


 ゆっくりと、瞬き。微かに顎を引いたような気がする。
 二宮さんに教わった方法で辛城の身体を傾けて、クッションを背もたれにする。スマホをベッド縁から伸びるアームスタンドに固定して、手元に近づけた。早速何か入力している。


『寒い』


 まだ寒いか。


「エアコン消す?」
『先生が消しちゃダメって』
「そうなんだよね……布団、まだあるかな」


 奥の部屋を見に行こうとした、立ち上がりかけの片膝立ちになったとき。


『一石くん』
「ん?」
『お布団、入ってくれない?』
「うん!?」


 鳩に豆鉄砲。石を投げられたほどの衝撃だった。
 辛城の顔は常に真剣そのものに近い。『冗談』と聞こえてくるかと静かに待っていたが、どれだけ待っても静かなまま。

 エアコンから聞こえる風の音だけが部屋を駆け巡る。


「えっ……と?」
『温めてほしい』
「俺が!?」
『うん』


 ―― まじで?


 まさかのお願いに、勉強の時ほどすぐに返事ができない。
 女性と同じ布団に入るという状況を想定しているわけがない。相手が病人だから、というわけじゃない。辛城とそういう雰囲気になると、最初を思い出してしまうから……考えないようにしてた。


 ――『抱いて』。


 あの時は、そういう意味だったんだろう。今は違う言葉で誘われている。その時の意味のままでは……ないだろう。だって、今の辛城にそこまでの体力……ないんだろうから。


「……」
『……ごめん、大丈夫。奥からお布団、持ってきてもらっていい?』
「……わかった」


 中途半端な姿勢から、ようやく立ち上がった。


「狭くても文句言わないでね」


 つっけんどんな言い方だが、反論なんてない。
 ベッドに乗って。足元を跨いで。布団を捲って。膝をついて。身体を倒して。布団をかぶる。

 俺の胸板に辛城の背中。寒いというのだから密着しなければ、というのはせめてもの抵抗。男の俺に布団に入れというんだからという対抗。

 肩がピクリと動いた。少しだけ、罪悪感。それよりも刺激されたのは悪戯心。
 布団の中で腕を動かし、辛城の肩を抱きしめるように回した。


『……こら』
「何さ」
『……なんでもない』
「寒い?」
『あったかい』


 心音が伝わってくる。俺のものか、辛城のものか。ゆっくりしたものと、早いものと。

 辛城の身体は確かに冷えていた。寒いはずだ。やっぱりエアコンを消した方が良いんじゃないかと思う。けど、エアコンのリモコンには手が届かない。