世間でいうお盆休みが終わった。八月の下旬の雨の日。髪を染めてから二週間が経った。


「辛城。来たよ。今日は塾ないから、ここで勉強させて」


 しっかり染まった色は健在で、痩せてはしまったけれど、ぱっと見は俺の知る辛城の姿そのものだった。
 ただ、腕は細くなった。足の筋肉もなくなった。服越しでわからないけど、上半身も痩せていそうなシルエットだ。リハビリにはまだ参加させてもらってるけど、指の関節が動かなくなってきた。肩も一番上までは上がらないし、足も曲がりきらなくなった。段々と、寝たきりゆえの症状が出てきている。


「あ、一石くん、こんにちは」
「こんにちは」
「ごめんね、今から交換するから少し部屋の外で待っててくれる?」
「はい」


 看護師さんが入ってきて、入れ違いで病室を出る。扉すぐ横の壁に背中をつけ、うつむき気味に待機。
 関節の可動域が狭まったと同時に、筋肉も落ちてきている。それはもう自分で自分の体を支えられないくらいに。廃用症候群(はいようしょうこうぐん)と言うのだそう。もともと寝ぼけながらでもトイレに行ったり水分をとったり何かを食べたりできていたけれど、今はそれらも自分では行えない。だから今は、看護師さんや介護士さんが入っている。
 病院にいる人なら別に不思議なことではない。けれど、辛城が、というのが、どうしても……どうしても、受け入れるのが難しい。
 あっという間に目を覚ますだろうと思っていた。いつの間にか起きていて、あっけらかんと「あれ? 一石くん? どうしたの?」とか言ってくれるもんだと思っていた。そして俺が受験の結果を言って、今はまた頑張ってるって伝えて……辛城なら、また「頑張れ」って背中を押してくれるだろうと……。そう思ってた。


「お待たせ」
「あ、どもです」


 看護師さんが出てきた。病室に入ると、雨が入ってこない程度に窓が開けられて換気されている。布団をかぶって、瞼も閉じたままの辛城。ベッド横に座れば、しっかりと呼吸しているのがわかる。お楽しみ会のあとに追加された心電モニターが、辛城の拍動を教えてくれる。ちゃんと、ちゃんと生きている。


「……今日は英単語の暗記にしようかな」


 荷物の中から単語帳を取り出した。最近作ったばかりでまだ真新しい。
 辛城にあげた単語帳、ではなく公式帳はもう黄ばんできている。
 ベッドの横に座ったまま、黙々と、ブツブツと呪文を唱える。


「significant……重要な。cling……固執する。industrialize……えっと、産業化するか。imitate……」
「……ん」
「ん?」


 辛城の首が動いた。天井を見上げていた顔が、俺の方に傾く。そして半分も行かない程に瞼を開いている。何度も見たその光景に、もう、ぬか喜びしなくなったのもいつからか。


「ごめんね、うるさかったかな」
「……ぅ」
「ん?」


 口をもごもごと動かしている。言おうとしている? 寝言だろうか。聞き取りたいけれど、声と言う音はもうほとんどない。それでも何を言っているのか知りたくて、口の動きに注視する。


「なんだろ?」
「……ぉ」
「お?」


 ―― 「お・は・よ・う」。