「……え、それだけ?」
「もちろん。私は私の人生を生きるのよ? お父さんが私の人生を生きるわけじゃないの。医学部じゃないとお金は出さないってんなら自分で出すわよ。現にそうしたわ。楽な道じゃなかったけど、行きたくない道を選んで、楽しくない、やりがいもない仕事をし続けるよりかは全然いいわ」


 私の人生。自分の人生か。やりたくない事をやり続けるのは確かに苦痛だろう。
 ふと、辛城の顔が浮かんだ。状況が違うにしろ、辛城はやりたいことが出来なくて苦しんでいた。特別じゃない、普通のことすら出来ずに。想像したら、少し苦しくなった。肉が詰まったわけじゃない。煙を吸ったわけじゃない。ただ、鳩尾がぎゅーっと締め付けられるような感覚に襲われた。箸が止まったことに気づいた姉が、俯いた俺の顔を覗き込む。


「なんかあったんだ」


 断定。聞いてくる訳ではない、さらっとした言い方。けれど、締め付けられて口の端から息が吐き出されるように、俺は言葉を漏らしていた。


「知り合い……友達が入院中なんだけど」
「うん」
「ずっと眠ったままで」
「あら」
「俺の受験の結果報告を待ってるって言ってたんだ」
「うん」
「今回落ちたから、今年また受けるって言いたいんだけど……受けたとして、受かったとして、医者になりたいわけじゃないんだよなって……」
「じゃあ辞めれば?」
「え」
「え、いや。医学部受けるの辞めれば?」


 そんな簡単な話……じゃないと思っていた。姉は行けたはずの医学部を選ばなかった人間だ。自分の経験を基に、「辞めれば」と言っているんだ。安直な答えに戸惑っていると、再度肉がさらに放り込まれた。さっきよりも焼けすぎている。


「その子に医学部受けるって言ったのね?」
「うん」
「でも別に、宣言したからと言ってそれしか認められないわけじゃないでしょ。その子が何者かは置いておいて、あんたが選んだ道ならその子にとやかく文句言われる筋合いはないんじゃない?」
「まあ、それはそうだけど」
「ぐちぐち言う子なの?」
「……言わないな、たぶん。『やりたいことのために頑張れ』って言ってくれたし」
「いい激励じゃない。あんたの『やりたいこと』はなんなの?」
「俺は……」


 何がやりたいだろうか。まだそこはわからない。今食べたいものは出てきても、未来の話は想像できない。


「やりたいことがないから敷かれたレールを行くのもありだとは思うけどね、言い訳はしなさんなよ。その道を選んだのも自分なんだから。誰かのせいにはするな。道を選んで失敗して誰かに文句を言うぐらいなら、リベンジなりルート変更するなり、やれる事をやりなさい」


 頬に肉を込めたままの姉が、鋭い目付きで説いてくる。責められるような口ぶりに萎縮しかけるも、その言葉はストンと腹に落ち着いた。『やりたいこと』がなんなのか、まずはそこを見つけなければいけない。


「少しはスッキリした?」


 見透かされていた。さっきの鋭さはどこへやら、顎にタレを付けた姉は得意気に笑みを浮かべる。俺の顎をトントンと指させば、はっとした顔でおしぼりを掴む。


「んで! その、友達は女?」


 不意打ちの質問だった。恥ずかしさでも紛らわすのか、少し声が大きくなった。


「女だけど」
「あんたに女友達がいるとはねぇ」
「うるさ」
「ふへへ。大変な病気なの?」
「……うん。まあ」
「最近家にいないと思ってたけど、お見舞いに行ってるとか?」
「そう。いつ目が覚めるかわからないし……覚めるかどうかも、わからないんだけど……」
「そっか……」


 さすがの姉も、察したのか声を落とした。店員さんが網の交換に来た。空だったので、これを機に変更してもらう。
 肉の置けない時間の間、姉は飲み物を取りに行った。頬杖をつきながら、網の間に見える炭と火を眺める。焚き火には癒し効果があるそうだけど、炭火にはどうだろうか。……とくに何も感じない、虚無感。糸口はできたが解決はしていない不安感。
 はぁ、とため息が漏れた。


「肉、追加する?」