話を聞いている中で、『医者になるリスク』という言葉が引っ掛かかった。医者という命を扱う仕事。人の体を扱う仕事。一度誤ったら戻すのに時間がかかるか、難しい仕事。それを、例え医師免許が取れたとして、意欲のない俺が務めることができるのか。
 途端に怖くなる。人の命の重さ。病院に通うことで、治療に専念している人たちをたくさん見た。治療の手段がなくとも必死に生きている人たちが沢山いる。そんな人たち全員に寄り添うことができるのか。間違わずに。これが最善だと、選択し続けることができるのか。そんなとき、一人の顔が浮かんだ。


「……話したいな」


 スマホで相手の名前を検索した。メッセージを入れると、数時間後に連絡が帰ってくる。


『珍しいこともあるもんだ。優しいお姉さんが弟のために時間を作りましょう』


 明日の夜、会えることになった。指定された場所は、高校に通う時に使っていた駅の近く。予備校からの帰り道に会うことになった。夕飯を食べながらゆっくり話そうと。待ち合わせ場所で待っていると、仕事終わりの姉がのらりくらりと姿を見せた。


「お待たせぇ。すまんね、仕事長引いちゃった」
「俺は平気。お疲れ様」
「ありがとー。さて、どこ行きたい? 奢ってやんよ」
「えー、じゃあ焼肉」
「いいねぇ。食おう食おう」


 軽いノリで話せる唯一の家族というのも、なんだかおかしな話だ。ノリノリの姉と他愛のない話をしながら向かった焼肉店。気前のいい店員さんが案内してくれたのは、窓際の半個室。テーブルの真ん中にある埋め込み式のコンロを挟むように、向かい合わせに座る。

「ご注文はお決まりですか?」
「食べ放題? アラカルト?」
「いっぱい食いたい」
「私の財布が死ぬ気配がした。食べ放題とドリンクバー二つ」
「承知しました」
「私野菜ジュース」
「はいはい」


 当然のように自分が飲み物を配膳する役目を担わされる。奢ってくれると言うのだし、それぐらいは喜んでやるつもりではある。姉の気楽さが、無茶振りもそこまで嫌な印象にさせない。これは立派な洗脳だろうか。野菜ジュースとコーラを持って席に戻ると、早くも肉を焼いている姉の姿。


「んで、どうしたの?」


 食べるよりも先に本題に入った。


「聞きたいことがあるんだ」
「なにー?」
「なんで美容師になろうと思ったの?」
「え、なりたかったから」


 なんか違う。


「なりたいと思ったきっかけは?」
「んー、元々お洒落への関心は高かったし、国家資格だし? 自分の好きなことをやりたかっただけよ」
「好きなことか……」


 そういう道もありだよな。これが二宮さんの言った『向上心』や『好奇心』に繋がっていくのだろう。
 焼けた肉がお皿に放り込まれる。姉はすでに肉を頬張っていて、幸せそうに噛み締める。


「あーうま。仕事後の肉最高。なんでそんな話、急に聞きたくなったの?」
「いただきます。まあ、進路の悩みだよ」
「ほーん?」


 ちょっと焼けすぎな肉だが、やはり美味しい。タレをしっかりつけて、続けて運ばれてきた白米の上に乗せた。タレ染み込んだご飯と共に、寿司スタイルで口の中に飛び込ませる。歯ごたえと、肉とタレと米の甘み。美味い。


「お父さんは相変わらず医者になれって?」
「うん」
「だろうね」
「ねーちゃんも言われてた?」
「まあね。治哉(はるや)もそうだし」


 姉から見たらもう一人の弟、そして俺の兄の治哉。姉兄弟(きょうだい)の中で唯一、医者になった。父からしたら自慢の息子だろう。父が兄に怒鳴っている姿は見た事がない。勉強もできたし、そこは当然。でも、姉も勉強はできたのだ。全国模試もトップクラスの成績を持っていた。もしかしたら兄よりも良い成績を持っていたかもしれない。だから親からの期待は大きかったと思う。けど、ならなかった。


「にーちゃんは医者になったけど、ねーちゃんはどうして医者にならなかったの?」
「ならなかったっていうか、なりたいと思わなかったからね」