「え、辛城? 俺だよ、わかるか?」
思わず前屈みになって、そして駆けだした。ベッドの横になったままの彼女だが、口が少し開いて、瞼も離れている。久しぶりに見た黒く淀んだ瞳。それを今ほど喜んだことがあっただろうか。
「……辛城?」
喜んだのも束の間、辛城は俺のことを見ない。いや、どこも見ていない。宙に何かがあるのかと疑問に思うほど、周囲への反応が薄い。戸惑いが隠せていなかったのだろう、何かを終えた看護師さんが俺を見る。
「先生から辛城さんの容体については聞きました?」
「はい」
「そうですか。今、辛城さんは言ってしまえば寝ぼけているとか、夢現な状態です」
「じゃあ、結局は起きてないようなもの、ですか?」
「そうなりますね。お手洗いに行ったり水分をとったりしても覚えていないことが多いようです」
「そう……ですか」
ぬか喜び。まさにその言葉が会うだろう。目が開いていることって、特に病院では喜ばしいことだろうに。
看護師さんは部屋を出て行った。個室ゆえに静かな部屋。窓は開いたまま。俺を弄ぶ風はまだ健在だ。窓を見れば、持ってきた荷物が置きっぱなしだった。
気を取り直す意味も込めて、片付けを再開する。感覚で物品を片付けていく中で、引き出しを開けた時。
「『手紙』……と、単語帳?」
ベージュよりは白い、ラブレターに使えそうな形のソレ。開口には住所は書いていない。ただし『辛城 玲良』と書いてある。封がしていない。まだ出せるものではないのか? 裏返してみたら、知っている人の名前。
「俺?」
『一石くんへ』と書かれた封筒。とくん、と心臓が跳ねた。片付けを再度中断してしまう。来客用だか本人用だかの椅子に腰かけた。少しの葛藤。俺宛てだとしても、果たして勝手に読んでもいいものか。そんな俺で風が遊びだす。髪の毛が揺れて目に入る。
「これも、『準備』なのか?」
風を無視するように、室内で再び目を閉じた辛城を見やる。当然だが、寝ている彼女に反応はなく、胸元の動きに安心を覚えるだけ。ただ、それを見て俺の意思は固まった。途中かもしれないけれど、俺に宛てたものだから。会いたい人が誰なのかは定かではないし、それが俺であると望むわけでもないけれど。少なくとも、これは『一石 宏人』に向けられたものというのは紛れもない事実。罪悪感と謝罪を胸に刻んで、封筒の中身のいくつかの便箋を開いた。
『こんにちはかな。こんばんはかな。とりあえずお久しぶりです。こんな形になってしまってごめんなさい。主治医の先生からお話は聞いてくれたでしょうか。聞いていなければ……できれば、この手紙は読まないでほしいです。聞いてくれたのなら、一石くんさえよければ読んでください。
改めまして、お久しぶりです。病院まで来てくれてありがとう。
先生がおっしゃったように、私は眠ってしまう病気の様でした。いつからかは明確にはわからないけれど、おそらく一石くんと会った時には発症していたと思います。初めて会った時はもうすでに強い眠気に犯されていました。強い眠気に対抗しながら会っていた時もありました。
申し訳ないです。自分にはどうしようもない状態でした。けれど、実は一石くんと会っている時は不思議と対抗できていたんです。
勉強したかったのは本当です。起きていたい、普通の人の様に生活したいという理由もありました。利用してしまってごめんなさい。
そして、初めて会った時。不躾なお願いしてしまって、本当にごめんなさい。
あの時は眠ってしまうのが怖くて、眠らないように必死で、誰かに助けてほしかったんです。だからといって、自分を責めないでくださいね。私が突然無茶ぶりをしただけですから。むしろ汚れ役を断ってくれてありがとうございます。一石くんは汚れちゃいけない。汚れないでくれてよかったとすら思っています。
断ってくれてありがとう。そして、一緒にいてくれてありがとうございます。
こんな形で謝ることになってしまって、本当にごめんなさい。
あなたを頼ってしまって……ううん、利用吸してしまってこんなことを言うのは違うかもしれないのだけれど、私、一石くんのおかげでやりたいことが出来ました。一石くんと出会うまで今を生きることで精いっぱいだった私が、初めて未来に目を向けることが出来ました。とても感謝してます。私に目標をくれてありがとう。
さて。私は今どのような状況なのでしょうね。この手紙を書いているのは二月十四日。世の中はバレンタインデーのようですね。私はそのようなイベントには参加したことがありません。一石くんはもしかしたら誰かからもらっているのかな。幸せの味がするのでしょうね。私も退院したら食べたいな。食べながらココアも飲んだら甘過ぎちゃうかな?
この手紙を読んでいるということは、髪も見られちゃったね。びっくりした? ストレスなのかな、全体的に色素が減ってグレーになっちゃってるんだよね。髪だけ凄く歳をとってしまったみたいだよね。普段は黒染めしてるんだ。退院したらまた染め直すよ。その方が年齢相応になれるし。せめてそれだけでもね。
最後は呟きになっちゃった。ここまで読んでくれてありがとうございます。ここまでさせてごめんなさい。ありがとう。またね。
二月十四日 辛城 玲良』
思わず前屈みになって、そして駆けだした。ベッドの横になったままの彼女だが、口が少し開いて、瞼も離れている。久しぶりに見た黒く淀んだ瞳。それを今ほど喜んだことがあっただろうか。
「……辛城?」
喜んだのも束の間、辛城は俺のことを見ない。いや、どこも見ていない。宙に何かがあるのかと疑問に思うほど、周囲への反応が薄い。戸惑いが隠せていなかったのだろう、何かを終えた看護師さんが俺を見る。
「先生から辛城さんの容体については聞きました?」
「はい」
「そうですか。今、辛城さんは言ってしまえば寝ぼけているとか、夢現な状態です」
「じゃあ、結局は起きてないようなもの、ですか?」
「そうなりますね。お手洗いに行ったり水分をとったりしても覚えていないことが多いようです」
「そう……ですか」
ぬか喜び。まさにその言葉が会うだろう。目が開いていることって、特に病院では喜ばしいことだろうに。
看護師さんは部屋を出て行った。個室ゆえに静かな部屋。窓は開いたまま。俺を弄ぶ風はまだ健在だ。窓を見れば、持ってきた荷物が置きっぱなしだった。
気を取り直す意味も込めて、片付けを再開する。感覚で物品を片付けていく中で、引き出しを開けた時。
「『手紙』……と、単語帳?」
ベージュよりは白い、ラブレターに使えそうな形のソレ。開口には住所は書いていない。ただし『辛城 玲良』と書いてある。封がしていない。まだ出せるものではないのか? 裏返してみたら、知っている人の名前。
「俺?」
『一石くんへ』と書かれた封筒。とくん、と心臓が跳ねた。片付けを再度中断してしまう。来客用だか本人用だかの椅子に腰かけた。少しの葛藤。俺宛てだとしても、果たして勝手に読んでもいいものか。そんな俺で風が遊びだす。髪の毛が揺れて目に入る。
「これも、『準備』なのか?」
風を無視するように、室内で再び目を閉じた辛城を見やる。当然だが、寝ている彼女に反応はなく、胸元の動きに安心を覚えるだけ。ただ、それを見て俺の意思は固まった。途中かもしれないけれど、俺に宛てたものだから。会いたい人が誰なのかは定かではないし、それが俺であると望むわけでもないけれど。少なくとも、これは『一石 宏人』に向けられたものというのは紛れもない事実。罪悪感と謝罪を胸に刻んで、封筒の中身のいくつかの便箋を開いた。
『こんにちはかな。こんばんはかな。とりあえずお久しぶりです。こんな形になってしまってごめんなさい。主治医の先生からお話は聞いてくれたでしょうか。聞いていなければ……できれば、この手紙は読まないでほしいです。聞いてくれたのなら、一石くんさえよければ読んでください。
改めまして、お久しぶりです。病院まで来てくれてありがとう。
先生がおっしゃったように、私は眠ってしまう病気の様でした。いつからかは明確にはわからないけれど、おそらく一石くんと会った時には発症していたと思います。初めて会った時はもうすでに強い眠気に犯されていました。強い眠気に対抗しながら会っていた時もありました。
申し訳ないです。自分にはどうしようもない状態でした。けれど、実は一石くんと会っている時は不思議と対抗できていたんです。
勉強したかったのは本当です。起きていたい、普通の人の様に生活したいという理由もありました。利用してしまってごめんなさい。
そして、初めて会った時。不躾なお願いしてしまって、本当にごめんなさい。
あの時は眠ってしまうのが怖くて、眠らないように必死で、誰かに助けてほしかったんです。だからといって、自分を責めないでくださいね。私が突然無茶ぶりをしただけですから。むしろ汚れ役を断ってくれてありがとうございます。一石くんは汚れちゃいけない。汚れないでくれてよかったとすら思っています。
断ってくれてありがとう。そして、一緒にいてくれてありがとうございます。
こんな形で謝ることになってしまって、本当にごめんなさい。
あなたを頼ってしまって……ううん、利用吸してしまってこんなことを言うのは違うかもしれないのだけれど、私、一石くんのおかげでやりたいことが出来ました。一石くんと出会うまで今を生きることで精いっぱいだった私が、初めて未来に目を向けることが出来ました。とても感謝してます。私に目標をくれてありがとう。
さて。私は今どのような状況なのでしょうね。この手紙を書いているのは二月十四日。世の中はバレンタインデーのようですね。私はそのようなイベントには参加したことがありません。一石くんはもしかしたら誰かからもらっているのかな。幸せの味がするのでしょうね。私も退院したら食べたいな。食べながらココアも飲んだら甘過ぎちゃうかな?
この手紙を読んでいるということは、髪も見られちゃったね。びっくりした? ストレスなのかな、全体的に色素が減ってグレーになっちゃってるんだよね。髪だけ凄く歳をとってしまったみたいだよね。普段は黒染めしてるんだ。退院したらまた染め直すよ。その方が年齢相応になれるし。せめてそれだけでもね。
最後は呟きになっちゃった。ここまで読んでくれてありがとうございます。ここまでさせてごめんなさい。ありがとう。またね。
二月十四日 辛城 玲良』