「タイムリミット?」
「辛城さんは再び眠ってしまう可能性がある。なので起きている時にできる限りの治療方針を立てました」
聞き返せば頷く先生。続けて再びパソコンから声が発せられる。
『眠ってしまった場合、中心静脈栄養を行うということでよろしいですね?』
『はい。そしてそれは、9月まででお願いします』
『理由をお聞きしても?』
『……会いたい彼と、初めて会ったのがその頃なんです。春になったら会いに来てくれるかもしれない。もちろん来ないかもしれないけど、その頃までは待っていたいなって』
『その後は、どうしますか』
『何もしなくて大丈夫です。栄養も止めてください。眠ったままもしものことがあったのなら、それはそれで』
『わかりました』
『先生。もし私が眠っている間に彼が来たら、私のことを話してくれませんか?』
『辛城さんがそうしてほしいと仰るのであれば。彼にも意向を聞いたうえでになりますが』
『お願いします』
風が強く吹いた。音をかき消して、辛城の声を攫って行った。時間差で目にゴミが入る。反射的に目をつぶり、擦った。手元が濡れた。
「これが、彼女が運ばれてから一カ月後、目を覚ました一週間のうちの一部です」
一週間。たった、一週間しか起きておらず、そこからさらに一カ月寝ていると。
先生はパソコンを閉じて、俺をまっすぐに見る。
「辛城さんは治療の方針を決め、寝てしまった場合の『起きたときの準備』をしていきました」
「『準備』……?」
「当然ながら、彼女は治療がどうなっているかは知りません。よかった場合はまだしも、悪かった場合、その時やりたいことができない可能性が大いにあります。その下ごしらえと言いますか」
「……そこまで、考えてるんですね」
もはや、自分の感情を説明することができない。春の陽気が鼻を、睫毛をくすぐってくる。掻き毟りたい欲求があるが、けれど意地でもそれをすることはしたくなかった。こみ上げるそれを認めたくなかった。
当事者である辛城は、受け止め、構えているというのに。両足の上でいつもより小さい拳が鎮座しているのを見るしかできなかった。
「僕からの話は以上です。そしてこれは、僕からのお願いなのですが」
「なんでしょう?」
目線が少しだけ浮く。けれど先生を見るまでは行かず、テーブルの上の、先生の手元まで。その手に動きがあるわけではなく、視界の外側で口や顔が動いていることだろう。
「ぜひ、彼女に会いに来て、声をかけてあげてください」
「そんなことしたって」
「意味があるかわからないと? 彼女が会いたいのが君かはわかりませんが、君はどうなんですか?」
「俺?」
「わざわざ荷物を持ってここまで来たのはなぜですか?」
「それは……それは、荷物を届けるためです」
「それだけですか?」
「……」
「お見舞いの人の中には、顔を見たらすぐに帰る人も多いんですよ。相手が寝ていたら特に」
探っているわけではない。むしろ断定的だ。先生の人の良さそうな眼鏡の裏の笑みが、ようやく上がった視界では意地の悪いものにしか見えない。
「すみませんでした」
付け加えた謝罪は耳から頭、そして耳へ通り過ごす。これ以上のやり取りは現在は必要としない。
俺と先生は部屋を出た。白い清潔感に満たされて永遠と続きそうな廊下を、一人で歩いた。
車椅子に乗った人やおじいさんや、看護師さんとともに歩くおばあさん。比較的年齢層が高めのこの病棟で、おそらくは誰よりもベッドと一体化している今日まで女子高生。眠り続ける彼女は、起きた時に何を備えているのか。俺には不穏なものとしか思えなくて、考えるのを放棄して部屋に戻ってきた。
扉の前で小さく深呼吸。ノックをして、無言で入った。辛城しかいないと思ったから。看護師さんがいた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。辛城さん、お友達が来てますよ」
ベッドの横で、処置だろうか、辛城の腕に何かしている。そして声をかけられた辛城の様子を見れば。
「……え?」
めがあいている。
「辛城さんは再び眠ってしまう可能性がある。なので起きている時にできる限りの治療方針を立てました」
聞き返せば頷く先生。続けて再びパソコンから声が発せられる。
『眠ってしまった場合、中心静脈栄養を行うということでよろしいですね?』
『はい。そしてそれは、9月まででお願いします』
『理由をお聞きしても?』
『……会いたい彼と、初めて会ったのがその頃なんです。春になったら会いに来てくれるかもしれない。もちろん来ないかもしれないけど、その頃までは待っていたいなって』
『その後は、どうしますか』
『何もしなくて大丈夫です。栄養も止めてください。眠ったままもしものことがあったのなら、それはそれで』
『わかりました』
『先生。もし私が眠っている間に彼が来たら、私のことを話してくれませんか?』
『辛城さんがそうしてほしいと仰るのであれば。彼にも意向を聞いたうえでになりますが』
『お願いします』
風が強く吹いた。音をかき消して、辛城の声を攫って行った。時間差で目にゴミが入る。反射的に目をつぶり、擦った。手元が濡れた。
「これが、彼女が運ばれてから一カ月後、目を覚ました一週間のうちの一部です」
一週間。たった、一週間しか起きておらず、そこからさらに一カ月寝ていると。
先生はパソコンを閉じて、俺をまっすぐに見る。
「辛城さんは治療の方針を決め、寝てしまった場合の『起きたときの準備』をしていきました」
「『準備』……?」
「当然ながら、彼女は治療がどうなっているかは知りません。よかった場合はまだしも、悪かった場合、その時やりたいことができない可能性が大いにあります。その下ごしらえと言いますか」
「……そこまで、考えてるんですね」
もはや、自分の感情を説明することができない。春の陽気が鼻を、睫毛をくすぐってくる。掻き毟りたい欲求があるが、けれど意地でもそれをすることはしたくなかった。こみ上げるそれを認めたくなかった。
当事者である辛城は、受け止め、構えているというのに。両足の上でいつもより小さい拳が鎮座しているのを見るしかできなかった。
「僕からの話は以上です。そしてこれは、僕からのお願いなのですが」
「なんでしょう?」
目線が少しだけ浮く。けれど先生を見るまでは行かず、テーブルの上の、先生の手元まで。その手に動きがあるわけではなく、視界の外側で口や顔が動いていることだろう。
「ぜひ、彼女に会いに来て、声をかけてあげてください」
「そんなことしたって」
「意味があるかわからないと? 彼女が会いたいのが君かはわかりませんが、君はどうなんですか?」
「俺?」
「わざわざ荷物を持ってここまで来たのはなぜですか?」
「それは……それは、荷物を届けるためです」
「それだけですか?」
「……」
「お見舞いの人の中には、顔を見たらすぐに帰る人も多いんですよ。相手が寝ていたら特に」
探っているわけではない。むしろ断定的だ。先生の人の良さそうな眼鏡の裏の笑みが、ようやく上がった視界では意地の悪いものにしか見えない。
「すみませんでした」
付け加えた謝罪は耳から頭、そして耳へ通り過ごす。これ以上のやり取りは現在は必要としない。
俺と先生は部屋を出た。白い清潔感に満たされて永遠と続きそうな廊下を、一人で歩いた。
車椅子に乗った人やおじいさんや、看護師さんとともに歩くおばあさん。比較的年齢層が高めのこの病棟で、おそらくは誰よりもベッドと一体化している今日まで女子高生。眠り続ける彼女は、起きた時に何を備えているのか。俺には不穏なものとしか思えなくて、考えるのを放棄して部屋に戻ってきた。
扉の前で小さく深呼吸。ノックをして、無言で入った。辛城しかいないと思ったから。看護師さんがいた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。辛城さん、お友達が来てますよ」
ベッドの横で、処置だろうか、辛城の腕に何かしている。そして声をかけられた辛城の様子を見れば。
「……え?」
めがあいている。