「連絡先聞いてない」
朝日と共に、昨夜打ち負かした問題を見ながら勉強会を楽しみにして、ふと声に出た。早速今日から、と思っていたけれど、一石くんの予定はどうだろう。塾かもしれない。家に来てくれるだろうか。確認したいけど……私が学校で声をかけるのは、立場上あまりよろしくないだろう。悶々としながら、手元の教科書に目が吸い込まれる。
「ちょっとごめんね」
教科書の表紙をちぎった。キーワードとなる様に『数』の文字をくり抜いて。目的はどう書いたら伝わるだろうか。ちぎった紙は小さい。書ける内容は限られている。あまりたくさん書くと、読んでいる時に誰かに覗き込まれたりしないか。
名前は書いてはいけない。なぜなら私は『いじめられっ子』だから。短文で、私だとわかって、意図が伝わるように。
今までどんな会話をしたかを必死に思い出す。初めて会った時。二回目会った時。
『夜、時計台で』
これで伝わるだろうか。伝わるといいな。
一石くんの予定がわからないから時間は書かなかった。昨日の今日での『数』ということで私とわかってくれるだろうか。日付が変わるまでに来てくれたらいいな。
そうだ。これを誰にも見られないように渡さなければ。直接はできない。紙は小さいから机の中というのも良くない。机の上はどこか行ってしまったり、誰かに見られたり指摘されてしまうかも。
一石くんが必ず見て、一石くん以外が見ることがない場所。
「下駄箱っ」
古典的だが、一番いい。いや、一番いいから現代まで候補に出てくるのかも。
下駄箱となったら本当に早く行かないと、変な生徒に見られてしまう。
現在時刻、朝の五時。学校まで徒歩十分。今から行こうそうしよう。
到着した学校は、まだ校門が開いていなかった。校門が空いていなければ玄関も開いていないだろう。現在時刻、五時十五分。何時になったら開くだろうか。まあ、待っていれば開くだろう。開くまでここにいればいい。
正門前の日陰に座り込んで、雲の多い空を見上げる。少しだけ湿気を感じるが、風があるからまだマシ。かばんの中からノートと数学の問題集を引っ張り出した。過去に解けなかった問題を見つけては、ノートを辿って使えそうな公式を見つけ、書き込んでいく。ノートには倒しきれなかった問題の残骸がありありと残っている。
これも、彼なら簡単に解けるだろうか。この学校は進学校なのだから、彼は優秀なのだろう。私のように落ちこぼれてはいないだろうな。そうであってほしいとさえ思う。
……と、思った時、頭部に何かが落ちてきた。
「……あめ?」
頭を触っても何も触れない。見上げれば、木の葉の隙間から光がチカチカと揺れている。脇の空では雲の隙間から青が見える。何かを感じたのは一瞬の出来事だった。
毎秒、毎分、毎時。何かしらが移り変わり、垣間見える。その一瞬を見つけられれば、何か変わるだろうか。
「おい、どうした」
見知らぬおじさんが立っていた。驚いた顔をしている。
「うちの学校の生徒だな。自習に来たにしては早すぎだ。朝とはいえ人通りも少ない。危ないだろう」
「あ……すみません」
先生か用務員さんのようだ。見覚えがないのは当然。学校にも、授業にもあまり来れていないのだから。
「俺が今日早めに来て良かったな。俺じゃなきゃあと三十分は待つことになってたぞ」
手元の時計を見れば、今は五時三十七分。たしかに学校が始まるにしても先生が来るには早い。聞けば、自習室の開放と部活の朝練のためにこの時間らしい。
「お勤めご苦労様です」
「よせやい」
見知らぬおじさんのおかげで学校に入れた。下駄箱前で待機していれば、内側から鍵が開けられる。勉強頑張れよと激励をもらい、一礼してから目的の場所を探した。
彼は同じクラスだった。ならば私の下駄箱と近い、はず。
「……え、と……」
名前……なんだっけ……。うろ覚えの顔で、口だけが動く。なんて言っているのか、わからない。
「……名前を見るしかないか」
クラスメイトの誰も名前は覚えていないんだ。一人ぐらい、これかもしれないと思う名前があるかもしれない。もしなかったら……今日は諦めよう。迷惑をかける方が嫌だ。
声をかけられた場所はどこだったか。彼はここら辺を開いていたのでは。名前順に並んだ下駄箱を、一つ一つ声に出しながら耳馴染みを探す。
「『一石』くん」
耳にはまだ馴染んでいない。でもそうな気がする。
彼は『一石』くんか。
―― いちいし。いちいし。いちいし。
残すか残さないか。考えて、残すことにした。
私の名前は書き残してないし、心当たりがなければ来ないだろう。来ても私が声をかけなければいいだけだ。
朝日と共に、昨夜打ち負かした問題を見ながら勉強会を楽しみにして、ふと声に出た。早速今日から、と思っていたけれど、一石くんの予定はどうだろう。塾かもしれない。家に来てくれるだろうか。確認したいけど……私が学校で声をかけるのは、立場上あまりよろしくないだろう。悶々としながら、手元の教科書に目が吸い込まれる。
「ちょっとごめんね」
教科書の表紙をちぎった。キーワードとなる様に『数』の文字をくり抜いて。目的はどう書いたら伝わるだろうか。ちぎった紙は小さい。書ける内容は限られている。あまりたくさん書くと、読んでいる時に誰かに覗き込まれたりしないか。
名前は書いてはいけない。なぜなら私は『いじめられっ子』だから。短文で、私だとわかって、意図が伝わるように。
今までどんな会話をしたかを必死に思い出す。初めて会った時。二回目会った時。
『夜、時計台で』
これで伝わるだろうか。伝わるといいな。
一石くんの予定がわからないから時間は書かなかった。昨日の今日での『数』ということで私とわかってくれるだろうか。日付が変わるまでに来てくれたらいいな。
そうだ。これを誰にも見られないように渡さなければ。直接はできない。紙は小さいから机の中というのも良くない。机の上はどこか行ってしまったり、誰かに見られたり指摘されてしまうかも。
一石くんが必ず見て、一石くん以外が見ることがない場所。
「下駄箱っ」
古典的だが、一番いい。いや、一番いいから現代まで候補に出てくるのかも。
下駄箱となったら本当に早く行かないと、変な生徒に見られてしまう。
現在時刻、朝の五時。学校まで徒歩十分。今から行こうそうしよう。
到着した学校は、まだ校門が開いていなかった。校門が空いていなければ玄関も開いていないだろう。現在時刻、五時十五分。何時になったら開くだろうか。まあ、待っていれば開くだろう。開くまでここにいればいい。
正門前の日陰に座り込んで、雲の多い空を見上げる。少しだけ湿気を感じるが、風があるからまだマシ。かばんの中からノートと数学の問題集を引っ張り出した。過去に解けなかった問題を見つけては、ノートを辿って使えそうな公式を見つけ、書き込んでいく。ノートには倒しきれなかった問題の残骸がありありと残っている。
これも、彼なら簡単に解けるだろうか。この学校は進学校なのだから、彼は優秀なのだろう。私のように落ちこぼれてはいないだろうな。そうであってほしいとさえ思う。
……と、思った時、頭部に何かが落ちてきた。
「……あめ?」
頭を触っても何も触れない。見上げれば、木の葉の隙間から光がチカチカと揺れている。脇の空では雲の隙間から青が見える。何かを感じたのは一瞬の出来事だった。
毎秒、毎分、毎時。何かしらが移り変わり、垣間見える。その一瞬を見つけられれば、何か変わるだろうか。
「おい、どうした」
見知らぬおじさんが立っていた。驚いた顔をしている。
「うちの学校の生徒だな。自習に来たにしては早すぎだ。朝とはいえ人通りも少ない。危ないだろう」
「あ……すみません」
先生か用務員さんのようだ。見覚えがないのは当然。学校にも、授業にもあまり来れていないのだから。
「俺が今日早めに来て良かったな。俺じゃなきゃあと三十分は待つことになってたぞ」
手元の時計を見れば、今は五時三十七分。たしかに学校が始まるにしても先生が来るには早い。聞けば、自習室の開放と部活の朝練のためにこの時間らしい。
「お勤めご苦労様です」
「よせやい」
見知らぬおじさんのおかげで学校に入れた。下駄箱前で待機していれば、内側から鍵が開けられる。勉強頑張れよと激励をもらい、一礼してから目的の場所を探した。
彼は同じクラスだった。ならば私の下駄箱と近い、はず。
「……え、と……」
名前……なんだっけ……。うろ覚えの顔で、口だけが動く。なんて言っているのか、わからない。
「……名前を見るしかないか」
クラスメイトの誰も名前は覚えていないんだ。一人ぐらい、これかもしれないと思う名前があるかもしれない。もしなかったら……今日は諦めよう。迷惑をかける方が嫌だ。
声をかけられた場所はどこだったか。彼はここら辺を開いていたのでは。名前順に並んだ下駄箱を、一つ一つ声に出しながら耳馴染みを探す。
「『一石』くん」
耳にはまだ馴染んでいない。でもそうな気がする。
彼は『一石』くんか。
―― いちいし。いちいし。いちいし。
残すか残さないか。考えて、残すことにした。
私の名前は書き残してないし、心当たりがなければ来ないだろう。来ても私が声をかけなければいいだけだ。