「トオル、どうした?」
男が後ろから抱き着いてくる。人肌が生温くて、強すぎる香水が鼻について気持ち悪い。けれどこの人も、私が生きる上では必要な人だった。
むしろ、学校が必要ではない気もしたが、いじめによる刺激で眠らないようにするには通うしかなかった。そうなると高校も行かなければならない。下宿させてもらっているアパートから一番近い学校を選んだ。偏差値が高くて苦労するのは目に見えていた。遠いと通学中に寝ると思ったから。おばあちゃんが亡くなってから、足りていなかった学力を埋めるために勉強を必死になってやった。
勉強をすると眠くなるけど、眠らないためにシャーペンを体に突き刺した。五教科、三年分の学力はすぐには手に入らなくて。結果、受かったのは中学卒業から二年後の十八歳の時。学校を変えることも考えたけど、眠くなることとの天秤は一方的だった。
なによりも夢を見たくなかった。
そんな苦労して入った学校に、いじめという文化があることを望むのは私ぐらいだろう。
私を勉強のストレスのはけ口にしてください。私を優越感を得るための道具にしてください。私をいじめてください。そう口に出して願うことはしなかったけど、プライドの高い人たちは、私のようなみすぼらしい人間がいることを許せなかったようで、うまく嗜虐心を刺激することができた。
高校に入ってから毎日。いじめられる日々に安心した。
けれどさらに問題があった。
休みの日。誰とも話さない日はどうしても寝てしまいそうになる。寝てしまって、悪夢を見ることが多くなった。
ではどうするか。出かけるしかない。歩くしかない。動くしかない。動いて、動いて、動いて。寝る暇もないほどに疲れてしまえば夢を見ないのではないかと思った。実際全く眠らなんてことはできないので、何度か寝ているけれど、深い眠りの時は夢を見ることはなかった。それを狙って疲れ果てることにした。疲れ果てて、道端で寝て、たまに警察にお世話になって。
あの日。警察ではない人にお世話になった。それがこの人だった。
「おーい。大丈夫ー?」
「お前そんな奴に声かけてどうすんだよ」
「え? ヤルしかないっしょ」
「はっはっはっは! 悪食だなお前!」
「いやいやいやいや、こういう奴ほど狂うんだって。意外といいぞ」
「経験済みかよ。草」
一体何の話をしているのか。寝起きの頭とろくに栄養も取らない血糖の足りない頭では理解することはできず。また、元気で精力に満ち溢れた男たちの力には敵うことはなく。私は誰かの部屋に連れていかれた。
―― そして、ヤラレタ。
痛かった。初めてだった。乱暴に扱われた。終わったら、よく眠れた。
痛みによって覚醒したけれど、すごく体力を使わされたことで深く眠りに落ちた。痛みで寝れない、けれど寝るときは一瞬。それは私にとってはとてもありがたい状況で、これが望んだ状況だと、寝覚めのすっきりした頭でそう思った。
「あの……」
「んあ、んだよ」
「これ、毎日お願いできませんか?」
男の気持ち悪いほどに驚いた顔はもう覚えていない。けれど了承を貰って、すごく安心したことを覚えてる。
―― ああ、これで、悪夢に怯えることなく眠ることができる。
安心できたのは、高校生になって数ヶ月の間だった。毎日、毎日、毎日毎日毎日やられまくる日々。それはwin-winの関係だったけど、私が提案した日に言われた。
「交換条件な。お前、もうすこしまともな格好になれや」
と。なので最低限、髪を整えた。食事を摂るようになった。運動もするようになった。化粧も少しだけ覚えた。衣食住がそろうと体重はみるみる増えていき、コケていた頬に肉が付いてきた。浮いていた肋骨が埋まるようになって、骨の端っこを触ることはなくなった。
そうすると男はより求めてくるようになって、色々なことを提案してきた。それは新しい刺激になって、私を覚醒させて、そして深い眠りに落とし込む。楽園の様だった。
そんな生活が数ヶ月ほど続いたある日。殴られた。
「テメーが起きねえから必要以上に金をとられたじゃねぇか!! ふざけんな!!」
「いったぁ……」
殴られた。
私だってびっくりした。まさか丸一日眠り続けるなんて思わなかった。
長く寝たおかげか今はほとんど眠くないけれど、殴られたおかげでダメージが溜まった。一発だけでは飽き足らず、何なら私に対する怒りやストレス以外のものもぶつけてきて、歯が欠けてしまった。顔は腫れあがり、全身青あざ。動かせなくてしばらく起き上がれなかった。
痛みのおかげで眠ることも少なかったけど。眠ったら、痛みと浅い眠りのせいでやっぱり悪夢を見たけど。
この時に気がついた。浅く眠ると、悪夢を見る。深く眠ると、数日起きない。言葉の通り、『死んだように眠る』。食事は摂らず。風呂にも入らず。排泄は止まる。どちらがいい?
……悪夢は、見たくない。眠ったまま死ねるのなら、それが良い。
この時から。私は極限まで眠らない生活を心がけた。
・♢・
男が後ろから抱き着いてくる。人肌が生温くて、強すぎる香水が鼻について気持ち悪い。けれどこの人も、私が生きる上では必要な人だった。
むしろ、学校が必要ではない気もしたが、いじめによる刺激で眠らないようにするには通うしかなかった。そうなると高校も行かなければならない。下宿させてもらっているアパートから一番近い学校を選んだ。偏差値が高くて苦労するのは目に見えていた。遠いと通学中に寝ると思ったから。おばあちゃんが亡くなってから、足りていなかった学力を埋めるために勉強を必死になってやった。
勉強をすると眠くなるけど、眠らないためにシャーペンを体に突き刺した。五教科、三年分の学力はすぐには手に入らなくて。結果、受かったのは中学卒業から二年後の十八歳の時。学校を変えることも考えたけど、眠くなることとの天秤は一方的だった。
なによりも夢を見たくなかった。
そんな苦労して入った学校に、いじめという文化があることを望むのは私ぐらいだろう。
私を勉強のストレスのはけ口にしてください。私を優越感を得るための道具にしてください。私をいじめてください。そう口に出して願うことはしなかったけど、プライドの高い人たちは、私のようなみすぼらしい人間がいることを許せなかったようで、うまく嗜虐心を刺激することができた。
高校に入ってから毎日。いじめられる日々に安心した。
けれどさらに問題があった。
休みの日。誰とも話さない日はどうしても寝てしまいそうになる。寝てしまって、悪夢を見ることが多くなった。
ではどうするか。出かけるしかない。歩くしかない。動くしかない。動いて、動いて、動いて。寝る暇もないほどに疲れてしまえば夢を見ないのではないかと思った。実際全く眠らなんてことはできないので、何度か寝ているけれど、深い眠りの時は夢を見ることはなかった。それを狙って疲れ果てることにした。疲れ果てて、道端で寝て、たまに警察にお世話になって。
あの日。警察ではない人にお世話になった。それがこの人だった。
「おーい。大丈夫ー?」
「お前そんな奴に声かけてどうすんだよ」
「え? ヤルしかないっしょ」
「はっはっはっは! 悪食だなお前!」
「いやいやいやいや、こういう奴ほど狂うんだって。意外といいぞ」
「経験済みかよ。草」
一体何の話をしているのか。寝起きの頭とろくに栄養も取らない血糖の足りない頭では理解することはできず。また、元気で精力に満ち溢れた男たちの力には敵うことはなく。私は誰かの部屋に連れていかれた。
―― そして、ヤラレタ。
痛かった。初めてだった。乱暴に扱われた。終わったら、よく眠れた。
痛みによって覚醒したけれど、すごく体力を使わされたことで深く眠りに落ちた。痛みで寝れない、けれど寝るときは一瞬。それは私にとってはとてもありがたい状況で、これが望んだ状況だと、寝覚めのすっきりした頭でそう思った。
「あの……」
「んあ、んだよ」
「これ、毎日お願いできませんか?」
男の気持ち悪いほどに驚いた顔はもう覚えていない。けれど了承を貰って、すごく安心したことを覚えてる。
―― ああ、これで、悪夢に怯えることなく眠ることができる。
安心できたのは、高校生になって数ヶ月の間だった。毎日、毎日、毎日毎日毎日やられまくる日々。それはwin-winの関係だったけど、私が提案した日に言われた。
「交換条件な。お前、もうすこしまともな格好になれや」
と。なので最低限、髪を整えた。食事を摂るようになった。運動もするようになった。化粧も少しだけ覚えた。衣食住がそろうと体重はみるみる増えていき、コケていた頬に肉が付いてきた。浮いていた肋骨が埋まるようになって、骨の端っこを触ることはなくなった。
そうすると男はより求めてくるようになって、色々なことを提案してきた。それは新しい刺激になって、私を覚醒させて、そして深い眠りに落とし込む。楽園の様だった。
そんな生活が数ヶ月ほど続いたある日。殴られた。
「テメーが起きねえから必要以上に金をとられたじゃねぇか!! ふざけんな!!」
「いったぁ……」
殴られた。
私だってびっくりした。まさか丸一日眠り続けるなんて思わなかった。
長く寝たおかげか今はほとんど眠くないけれど、殴られたおかげでダメージが溜まった。一発だけでは飽き足らず、何なら私に対する怒りやストレス以外のものもぶつけてきて、歯が欠けてしまった。顔は腫れあがり、全身青あざ。動かせなくてしばらく起き上がれなかった。
痛みのおかげで眠ることも少なかったけど。眠ったら、痛みと浅い眠りのせいでやっぱり悪夢を見たけど。
この時に気がついた。浅く眠ると、悪夢を見る。深く眠ると、数日起きない。言葉の通り、『死んだように眠る』。食事は摂らず。風呂にも入らず。排泄は止まる。どちらがいい?
……悪夢は、見たくない。眠ったまま死ねるのなら、それが良い。
この時から。私は極限まで眠らない生活を心がけた。
・♢・