「ねぇ、君さ。教科書持ってる?」

ああ、現実逃避がしたくて幻聴が聞こえている。

しかも、あの岡崎くんの幻聴だ。

授業中にこんなことを考えているなんて、いつか私の頭はおかしくなっていくのだろうか。

いや、もうおかしくなっているか。

「ねぇ、聞こえてるよね?」

「えっ、幻聴じゃない?」

立て続けに幻聴が聞こえるもんだから、これはさすがに幻聴じゃないと思っていると、

なぜか思っていたことが口から溢れていた。

「幻聴だと思ってたの?」

「あ、え、はい」

「そう。教科書見せて?」

本当に冷静だな。

普通、幻聴だと思われていたんだと驚かれると思ってた。

想像と少し違う。

「はい。どうぞ」

「えっ?」

岡崎くんがなぜすっとんきょんな声を上げたかというと、私が教科書を彼に渡したから。

普通は、机をくっつけたりして一緒に見るのだろうけど、私はそれなら教科書がなくてもいい。

そう思ってしまうのだ。

「だから、はい」

「えっと、いらないの?」

「どうぞ」

これ以上会話をしていたくなかったから教科書を強引に渡し、黒板に視線を向ける。

「えー、じゃあ教科書P108の問1を出席番号26番」

「えっ」

教科書いらないって言ったそばから、先生に当てられるなんて。

「どうした?」

先生が怪訝そうな顔で疑ってくる。

『わかりません』と言ってしまえばいいんだろうけど。

「・・・0.32」

隣から何とか聞こえるぐらいの声量で何かが聞こえた。

0.32?

それって問1の答えなの?

「おーい?」

「あっ、0.32です」

「正解。座っていいぞ」

先生に言われた瞬間、すぐさま椅子に座る。

そして、チラッと岡崎くん方を見る。

声を出してしまえば、みんなに注目される。

注目されずにお礼を伝える方法。

ある方法が頭の中に浮かぶ。

ノートの端を切って、『ありがとう』できる限り綺麗に書く。

そして、紙きれを四つに折って横の席に目掛けて投げる。

岡崎くんは、投げ込まれた紙にすぐ気づいてくれた。

目線をこっちに向けてきた。

教室にいる子たちは今、全員黒板を見ている。

今ならできるかもしれない。

『ありがとう』

岡崎くんがこっちを見てくれている間に、口パクで伝える。

岡崎くんは、一瞬ピクッと動かなくなったけど、すぐさま黒板に視線を移す。

えっと、お礼は受け取ってもらえたってことでいいんだよね。

うん。そうしよう。

お礼は伝えれたし。

――――このやり取りをクラスの女子に見られているとは思わなかった。