文化祭の時期になると、学校全体が普段よりも少しだけ華やかで浮き立つような雰囲気に包まれ、生徒たちはそれぞれのクラスや部活動で忙しげに行き交っていた。廊下の掲示板には、各クラスの出し物や部活の展示についての告知が所狭しと貼り出されている。
 そんな中、我がクラスも文化祭に向けて展示を準備していた。クラス全員分の絵を飾るという大変地味な展示なので、客入りは見込めなさそうだが、桜井さんが中心となって企画を進め、作品をどのように配置するかどのテーマで統一するかを考えていた。
 放課後の教室は、いつも以上に活気があった。机の上には画材が散らばり、生徒たちは各々の作品に取り組んでいる。桜井さんはその中を動き回り、絵が苦手な生徒にアドバイスをしたり、飾り付けのアイディアを出したりしている。彼女のエネルギーは無尽蔵で、ロボットかサイボーグか、はたまた昨今話題の生成AIか、そういう類のものなのではという少々SFが混じった想像をしていた。
 
「さてさて、涼くんはどんな感じ?」
 桜井さんが隣に来て、キャンバスを覗き込んできた。僕が文化祭用の作品として描いているのは、校舎の中庭をテーマにした風景画。以前の校外学習で撮った写真とスケッチを基にした空と木々をベースに、花壇に植えられた花、ベンチで会話する生徒、古びた校舎の壁に這うツタ。ありふれた日常だが、その静かな美しさを描きたかった。
「中庭だよ。あの場所、これといった特徴があるわけじゃないけど、妙に落ち着くんだ。だから、その感覚を表現してみたいと思って」
 僕の言葉を受けて、桜井さんはウンウンといつものように頷き「うん、いいね。涼くんらしいよ」と、心からの笑顔を見せてくれる。正直上手く描けるか不安だったが、桜井さんのたったその一言がその不安に染み込み、自分の絵も悪くないんじゃないかと、少しだけ自信が持てた。
 一方で、蓮太郎は一際大きなキャンバスに向かい、相変わらずの大胆なタッチで抽象画を描いていた。
「おい、涼、これ見てくれよ」
 蓮太郎の声が教室に響く。
 彼の作品は、あまりにも強烈な色彩を帯びていて、一見すると何を表現しているのかまるで掴めない。しかし、目を離さずじっくりと見つめていると、その中に彼なりのストーリーが息づいているのだろうと、ふと感じる瞬間がある。僕とは対照的なスタイルでありながら、その表現の自由さにどこか惹かれるものがあった。赤と黒を基調にした激しいラインが引かれ、まるで感情の奔流のようだった。
 一歩後ろに下がり、その全体を見渡した。それは見る者を圧倒する力がある。いつも直感的で、理屈よりも感覚を重視する。そんな彼の絵には、どこか混沌とした美しさがあるのだろう。到底真似できない表現力だった。もう一度、蓮太郎の絵の細かいところまで目を配り、その中に込められたものを探す。
「迫力が物凄いね、圧倒されてしまうよ。抽象的な心模様を描いているようだけど、でもどこか……風景のようにも見えるかな」
「なるほどな。確かにそういう捉え方もあるな。こういうのは観る人によって印象が全く違うけんねえ」
「ねえ蓮太郎、僕の鉛筆画も見てくれないかな」
「おう!よかぜ!」
 イーゼルに立てかけた描きかけの絵を蓮太郎に渡した。
「おお、良いやん!この校舎の陰影の付け方上手いな。花の描き込みも細けぇ……涼、最近レベル上がっとるやん」
「いや、君たちに比べたらまだまだだよ……」
「ははは!全くその通りやな……精進しろよ!」
 そんな素早い嫌味な返しに対し、目が半開きして大きなため息をついたが……僕は、心の内では笑っていた。
 桜井さんはそんな僕達のやり取りを見て、微笑んでいる。彼女は何も言わずに見守っているようだったが、その表情にはどこか満足そうだ。
 思えば、蓮太郎と流れるような会話をしたのはいつぶりだろう。いつも蓮太郎が声をかけてきても、空返事や相槌を打つのが常だったのに。いつも高圧的な態度をとっていると思っていたが、やはり誤解していたのだろうか。蓮太郎の社交的な性格、そして高みにある画力。どれも彼を羨ましく、どこかで嫉妬していた?
 どれも僕の思い込みで蓮太郎という人間を歪めて見ていたのかもしれない。ふと桜井さんとの会話を思い出す。
「……でも君はあの山をただの山とだけでしか見てないじゃない。でも少しだけ視点を変えるの。そうすると人には見えないものを描くことができるのよ……」
 このやりとりがきっかけにして、蓮太郎に対する心の氷塊がひたひたと溶け出すのを感じた。

「ねえ、二人とも。文化祭で一緒に展示するなら、美術部員だけは何か共通のテーマでやってみない?」
 桜井さんの突然の提案に、蓮太郎と顔を見合わせる。共通のテーマで展示することなど思いもよらなかったが、桜井さんの提案を聞いても、どうも前向きに捉えることができず、心の中で小さな抵抗感が芽生えた。
「例えば……そうだなぁ、三人で同じ場所を描いてみるとか。今、涼くんが描いてる中庭。同じ視点で、かつ違う画材で描いたら、面白い展示になるんじゃないかな」
 桜井さんの提案は、僕にとっては肩身が狭い。彼らの画力と僕のそれとでは、あまりにもかけ離れていて、一緒に展示したところで、果たしてうまくいくのだろうかという不安が拭えないからだ。
「使っている画材もそれぞれのレベルも違うから……その、一緒に並べるのは流石に無理があるんじゃ」
「何を恥ずかしがってるんだか。私はみんな違ってみんな良いと思うけどな。あれ?どっかで聞いたような言葉だね」
「金子みすゞだね。でも僕の絵だけが浮いて見えてしまうよ……」ツッコミと謙遜を一息で吐く。
「私は涼くんの絵、下手だなんて思ってないよ。十分上手だし、なんなら好き」
「いや、あの……そう言ってもらえるのは凄くありがたいけど……」
 照れ隠しのように腕を組み、顔を伏せた。目を合わせることができず、ただただ視線を足元へと向ける。
 桜井さんはそんな僕の心配を軽く受け流すかのように、「大丈夫!大丈夫だよ」と言い切った。
 蓮太郎は腕を組んで考えているようだったが、やがてニヤリと笑って頷く。
「面白そうやん。俺は賛成だ。じゃあ俺は今描いてるこれを、さっさと仕上げておくか」
 大きなため息をついた。体の奥に溜まった重たい感情が、空気と共にゆっくりと外へ押し出されていくような感覚。今日だけで何度ため息をついただろう。桜井さんはそれを勝手に快諾と受け止め満足げに微笑み、「じゃあ決まりだね!」と嬉しそうだった。

 文化祭の準備は場所を美術室へと移し、着々と進んでいく。放課後の美術室は、まるで小さなアトリエと化し、僕達はそれぞれの作品に没頭しながらも、少しずつ展示全体の形を作り上げていった。桜井さんが提案した「共通のテーマ」というアイディアは、僕達にとって新しい挑戦だったが、それが何かしらの形で成功することを願っていた。

 数日後、僕達は各々の作品を持ち寄り、イーゼルを3つ横に並べ、僕の絵を中心に向かって左側に蓮太郎、右側に桜井さんの絵を飾った。そこに生まれたのは不思議な統一感。桜井さんの描いた水彩画は明るく温かみがあり、蓮太郎の抽象画は力強く感情を表現していた。そして僕の描いた風景は、静かで穏やかだった。
「ほら、やっぱりいい感じになったじゃない!二人ともそう思うでしょ」
 桜井さんは満足げにそう言い、僕達の作品を見渡した。僕も蓮太郎も、桜井さんの言葉に頷くしかなかった。三人の絵は、 同じ視点で描いたからかどこかでつながっているように感じられた。
 彼らの絵と僕の絵を交互に観ていると、ふわっと風が吹いた。そしてその瞬間不思議な感覚に囚われた。
 僕の絵の上に、色が次々と重なっていく。桜井さんの色と蓮太郎の色が、互いにフェードを繰り返しながら、僕の描いた線をそっと包み込むように重なり合う。ときには色が混じり合い、予想もしなかった鮮やかな色が生まれ、絵をより一層華やかなものへと仕上げていく。
 桜井さんの優しさや、蓮太郎の大らかさ。彼らのそういった嬉しい、楽しい、心地が良い。そう表現するのが正しいかはわからないけど、僕の不感で渇いていた心に水のようなものが湧き出すのを感じる。
「色が……見える」
 自身の絵をまじまじと観て呟いた。そして彼らに視線を戻すと、桜井さんと蓮太郎は顔を見合わせ、首を傾げている。
「君たちには見えないの?」
「涼くんの絵に、色が載ってるの?」
「うん。いろんな色が混ざり合ってる。桜井さんと蓮太郎の色が……僕の絵に……不思議だな。心につっかえているものが溶けていくようだ」
「……そうなんだ」
 目を擦り改めて観ると、そこにはいつものタッチのモノトーンの絵があるだけだった。何だったのだろう、今の現象は。もっとこの不思議な魔法にかかっていたかったのだが、残念ながらその魔法が溶けてしまったらしい。
 桜井さんの方に振り返ると、太陽のような笑顔でこちらを見ている。
「これってさ、桜井さんが言っていた見えないものを観るというものの類かな」
「どうだろう……それは君にしかわらない事だけど、きっとそうかもね。それにしても涼くんの目もずいぶんと肥えてきましたなあ。ンフフ」
 彼女が何をそんなに嬉しそうにしているのか、全くわからないけど、彼女は自分の絵と僕の絵を交互に見比べ、しばらくすると満足げな表情を浮かべて静かに準備室へと消えていった。
 「これ、文化祭で絶対注目されるばい」
 自信満々の表情で蓮太郎が言い切る。僕もまた、同じ意見だ。

 屋上に向かう階段。足音がコツコツと反響する。文化祭の準備で教室が賑やかだったため、少し静かな場所で一息つくことにしたのだ。屋上から見える景色は遠くまで広がっている。学校の屋上は普段立ち入り禁止だが、文化祭の準備期間中は特別に許可が出ていた。
「こうやって屋上に来るのも、なんか新鮮やな」
 蓮太郎は購買で買った焼きそばパンの袋をカサカサと音を立てて開けた。隣にいる桜井さんは、細長いストローが刺さった紙パックのジュースをちびりと飲みながら、「そうね、滅多にここに来ないから」と軽く頷く。
 それにしても都市伝説との噂名高き焼きそばパンを持っている事が気に掛かる。
「蓮太郎、この時間によく焼きそばパン買えたね」
「ん?ああ、なんか昼休憩の時に、購買部のおばちゃんが商品棚にあげるの忘れとったらしい。今、棚は焼きそばパンで埋まってるぞ」
 都市伝説のバーゲンセールだ。今からでも買いに行こうかな。
「なるほどね、そいうこともあるんだ」
「一口、食べるや?」
「いや、いいよ。いつか自分の実力で勝ち取ってみせるから」
「はは、なんやそれ」
 屋上に吹く風が心地よい、こうした時間も悪くない。
 慌ただしい日々の中での、ささやかな息抜き。こういう何でもない会話ができる瞬間は大事だ。
「なあ、最近学校で面白いことあったか?」
 蓮太郎が突然問いかけてきた。蓮太郎はそうやって、ふと思いついたことを口にするタイプだ。少し考えてみたが、これといって特別な出来事は思い浮かばなかった。
「文化祭の準備で大忙しだからね。それ以外はいつもどおり……」
「そっか、いつもどおりか。ま、それも悪くないやろ。平和が一番」そういいながら焼きそばパンを一口頬張る。
「そいや俺は昨日、飼い犬に宿題食われたんやけどさ、先生に通じんかったんよね」
「ちょっと……またやってるの、蓮太郎くん」
 桜井さんが呆れたように笑い、つられて笑ってしまった。蓮太郎の話はいつも誇張されていて嘘と本当の判断がつかない。
「でもさ、犬に食べられるとかベタすぎない?それって実際にあった出来事なの?」
「いや、マジであるとって。今回は、いや今回も本当やけん。うちの犬、元気ありすぎて何でもかじるんよ。ちょっと目を離したらノートも教科書はぐちゃぐちゃ。もうほんとシャレならんっちゃけど」
「でも蓮太郎くんちの犬、元気で可愛いよね。この前見に行ったときも、めっちゃ走り回ってたよね。飼い主に似てきたのかしら……」
 桜井さんが楽しそうにそう笑うと、蓮太郎は「そうやろ」と誇らしげに頷く。確かに彼の家の犬は活発で人懐っこい性格をしている。名前は「ゴン太」。体は大きいのに、動きは妙に俊敏な雑種だった。
「じゃあ、次は涼くんちのペットの話でもしようか」桜井さんは屋上の柵にそっと背を預け、風を受け止めるように目を細める。
「生憎うちはペットがいないんだ。なんか毛が散るの嫌だってさ、母親が」
「そっかぁ、なんか意外。涼くんの家でも何か飼ってると思ったのに……」
 少し残念そうだったが、それでもすぐに気を取り直して「じゃあ、一緒に動物園にでも行こうか」と提案してきた。蓮太郎もその提案に「いいな、それなら涼も動物と仲良くなるチャンスやん」と乗っかってくる。
「動物園か……悪くないけど、正直動物に対して興味があるかと言われると微妙かな。後は、園内の臭いとかが強烈だし……」
「えー!動物って見てるだけで癒されるんだけどなあ……あ!そうだ!」
 彼女は手を鼓のようにポンと叩く。それと同時に頭上に豆電球が光ったようにも見えた……ような気がする。
「同じ動物でもお魚ならどう?マリンワールド!イルカやアシカのショーもあるんだよ!サメとかマンタとか、あと可愛い魚もたくさんいるし!楽しいと思うんだけどなあ」
「なるほどな、で、涼は気に入ったら水槽買って、魚の飼育デビューって流れやな」
 桜井さんの無邪気な発言に、やはり蓮太郎も乗っかり、そして僕は肩をすくめる。
 動物の次は魚か。
「なあ、文化祭終わってから予定組んで本当に行ってみるか?」
 蓮太郎が目を輝かせながら改めて提案する。桜井さんは僕の顔に向けて親指を立てて頷いた。こうして、僕達の屋上での休憩は次の約束を残して幕を閉じる。
 
 文化祭当日。学校の賑わいは最高潮だ。定番のお化け屋敷に、香ばしい香りを発する屋台群。メイド喫茶に茶道体験。
 そんな喧騒から離れた教室の一角、クラスの人数分の絵に囲まれ、入り口に設置された受付の椅子でぼんやりしていた。
 スマートフォンが震える。
「今どこにいる?」と桜井さんからのメッセージに、教室にいる旨を返信した。
 生徒の姿は一向にないが、招待された近隣の方や、先生、父兄がちらほら入ってくる程度。 あれだけみんな頑張ったのになぁ。そんな事を心でぼやいていると、桜井さんが入り口からひょっこり顔を出した。
「お疲れさま、涼くん」
「お疲れさま。と言っても座ってるだけだから、疲れはないんだけど」
「おやおや閑古鳥が鳴いておりますな、我がクラスの展示は……」口をへの字にして、ため息を吐いた。
「ぼちぼちかな。でも親御さんたちからは好評だよ。みんな上手だねって」
「そっか、それはよかった。ところで……」隣にある椅子へ座る。
「お腹空いたでしょ?一緒に校内を回らない?」
「え?」
 突然の誘いに一瞬背筋に緊張が走った。一緒に?二人で?
「あの……蓮太郎は?一緒じゃなかったの?」
「ううん、蓮太郎くんの姿は今のところ見てないな。色々な屋台を満喫している最中、という事は安易に想像できるけど。もしかしてお腹空いてない?」
「ううん。とても空いてる。そっか、じゃあもうすぐ当番が交代の時間だから……」
「了解!その辺で待ってるね!」
 言葉を言い切らないうちに、桜井さんは教室を小走りで出て行った。
 受付交代の時間が来て、同じクラスの吉田さんが軽い足取りで教室に入ってきた。どうやら彼女も文化祭を満喫してきたらしい。ほのかにソースの香りがする。
「お疲れさん、田中くん。交代の時間だよ」
「うん、わかった。あとはよろしくね、吉田さん」
「ねぇねぇ田中くん。廊下で由衣が待ってたよ。もしかして二人で屋台巡りするの?」
 彼女の大きくした目には、らんらんと輝く星が宿っている。嫌な予感。
「あ……えっと……誘われちゃって……」
「えーなになに!二人付き合ってるの?」
 僕は立てた人差し指を口に当てる。声が大きい!
「いや……そうじゃなくって……」
「ちょっと日菜!なに余計なこと言ってるの!」桜井さんが握り拳を作りながら廊下の窓から顔を出してきた。
「怖い怖い。ふふ、照れちゃって」
「照れてない!だいたいなんで日菜はいつもそうやって誰かと引っ付けたがるのよ」
「なんでって言われても困るけど。そうだなぁ、自分が恋愛するのは面倒だけど、人が恋愛してるのを見ると、ついつい応援したくなっちゃうのよね。キューピット的な?」
「だから違うってば!涼くんはお友達!」
 何だろう、そうあからさまに否定されると、それはそれで傷つく。
「まぁまぁここは私に任せて。二人は楽しんでらっしゃい!」
 吉田さんは僕と桜井さんの背中を押して教室から追い出す。振り返ると手を振って見送っている。
「全くあの子ったら。これだから恋愛至上主義女子は……」頭を抱えたまま、桜井さんはため息をひとつ吐き出した。「気にしなくていいよ」との桜井さんのフォローに小さく頷き、彼女の後ろをとぼとぼとついて歩いた。
 
 校舎を出た僕達は運動場へ向かった。教室でも飲食の屋台を出しているクラスはあるが、出店数が多い為、運動場にもテントが貼られていた。
「なにを食べようかな」と目線をあちこちに向けながら、彼女は足早に歩いている。心なしかその足取りは軽い。
「涼くんは何か食べたいものある?」振り向きながら訪ねてきた彼女の目は既に何を買うか決まっているようだ。
「桜井さんこそ、もう食べたいものが決まってるんじゃないの?」
「ばれた?察しがいいわね。私はね、焼きそばとクレープとりんご飴でしょ、みたらし団子にチョコバナナ……あとそれから」
「ちょ、ちょっとちょっと!ストップ!」
 どれだけ食べるんだこの人は。
「食べ過ぎって言いたいんでしょ?でもこういう時だからこそ、お腹いっぱい食べなきゃって思わない?」
「こういう時って、そこまで気合い入れて食べるものでもないでしょ。高校生のクオリティだよ、とびきり美味しいわけでもないでしょ」
「君ねぇ……」人差し指を左右に振り、「わかってないなぁ」をアピールしてくる。
「私たち、今高校何年生?」
「……三年生」
「そう!もうこれが最後の文化祭なんだよ!大人になった時、ふと思い出すの。あー、あの時のチョコバナナ、美味しかったなぁって。そういうの大事でしょ?これも思い出作りなの!」
「だからって別に満腹になる必要も……」肩をすくめながら、屋台が並ぶ方向を見る。
「いいの!で、涼くんは何を食べたいの?」
「じゃぁ、お昼を食べたいから、桜井さんと一緒の焼きそばを食べる事にするよ」
「焼きそば、好き?」
「ソースがね、好きかな。だからお好み焼きでもたこ焼きでもソースがかかってればなんでも」
 その時、「焼きそば残り十パックです!」という生徒の叫び声が焼きそば屋の方向から聞こえた。
 その声を耳にした瞬間、彼女は「やばっ!じゃあ、私が買ってくるね!」と叫びながら、その声のする方へと勢いよく駆けていく。
 よし、ここでゆっくりしよう。そう思い、渡り廊下脇に設置されたベンチへ腰を下ろそうとしたとき、不意に声をかけられた。
「お、涼やないか。一人か?」チョコバナナを咥えながら蓮太郎がこちらへ向かってきた。
「ううん、桜井さんが今焼きそばを買いに行ってる」
「そかそか。じゃあ俺も一緒に待つか」と言いいながら、彼は横に座った。
 二人で空を見上げていた。蓮太郎が足を組み直しながら「平和やなぁ……」と、どこか感慨深げに呟く。
 真上の空は透き通るように青い。遠くに入道雲が見えて初夏の空気を醸し出していた。丁度校舎の影にかぶさり、暑さを紛らわしてくれてた。
「で、最近どうよ」
「ん?またそれ?最近変わったことは特にないよ」
「そうやなくて、桜井とだよ。いや、ほら、あいつのこと好いとるんやろ?なんか進展はあったんかなって」
 どうしてこう吉田さんといい、蓮太郎といい、不要なお節介を焼いてくるのだろう。仮に惚れていたとしても放っておいてほしい。
「別に友達以上でも、以下でも……」
「なんや焦ったい奴やな……まぁいいや。命短し恋せよ乙女ってな」蓮太郎はそう言うとチョコバナナの最後の一口を頬張る。
「どうしてそう見られるんだろう。僕は彼女に対してそういう態度をとっているのかな」
「んー。お前はともかく、桜井はどうなんやろな。まんざらでもないんじゃね?」
「それはないね……きっと」
 取るに足らない話を続けていると、桜井さんが戻ってきた。
「よかった、間に合ったよ。はい、涼くんの分」とパックに入った焼きそばと割り箸を差し出してきた。
 「ありがとう」と言って代金を彼女に渡す。
 彼女はベンチに座り、自分の焼きそばを膝に置いた。
「蓮太郎くんもいたのね、焼きそば少しいる?私のだけど……」
「いらんいらん。もう十分に満喫したけん」蓮太郎はお腹をパンパンと叩き、満腹のアピールをしている。
「そっか、じゃあいただきます」髪をかきあげて焼きそばを啜る。
 数回咀嚼した後、彼女はカッと目を見開いた。
「これすごく美味しいよ。涼くんも食べてみて」
「いただきます」促されて一口啜った。
「確かに。高校生クオリティどころかお店に出ててもおかしくないな、美味しい」
「でしょ?これ商売できそうだね」

 思い出。桜井さんの言う通りかもしれない。喧騒と暑さ、ソースの香り。大人になったら彼女と同じように思い出して、この時間の事を懐かしむのだろうか。