夏休みが明けた後の放課後の廊下は、いつも通りの静けさに包まれている。開いた窓からは温かな風が漂ってきて、肌に優しく触れていった。その空間で2つの足音がコツコツと響いていた。ドアのノックと合わせて「失礼します」と言い、進路指導室に入る。すでに席について書類に目を通していた担任の松本先生の対面に、母と共に軽い会釈をして席についた。先生が書類から顔を上げて僕達に向かって微笑む。
「では、今から進路に向けた三者面談を行っていきます。」
「よろしくお願いします」僕と母は改めて軽く頭をさげた。
書類を軽く机にたたき、先生は静かに質問を始めた。「先ず、お前の将来についてだが、何か考えていることはあるかな?」
先生の口調は優しかったが、少しの圧力も感じられた。少し間を置いてから「その……まだ、決まっていません」と答えた。先生は少しだけ頭をかしげて、再び問いかけてきた。
「もう三年生だからね……そろそろ具体的な進路を考えていかないといけない時期なのはお前もわかっているよな?田中、何かやりたいこととか、夢とかないのかい?今、夢中になっているものでもいい」
これまでに幾度となく、この質問を受けてきた。しかし、そのたびに答えを窮し、曖昧な言葉でごまかしてしまうことが多かった。桜井さんと蓮太郎の姿が頭をよぎる。桜井さんは自分の夢を語るとき、いつも迷いがなかった。
「アートに関わる仕事をしたい」そう話していた時の桜井さんの瞳には、確かな光が宿っていた。蓮太郎もまた、自分の描く絵に誇りを持ち、絵を描くことが彼の生きる理由だと言っていた。
「でも、まだと言うって事はある程度の方向性が決まってきてはいる。ということか?」
「……はい、正直、具体的に見据えているわけじゃないんですが……」
慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと答えた。内にある不安と、何かを見つけたいという願いが拮抗し、心の中でせめぎ合っている。だが、確かに僕を突き動かしているのは、その感情だった。
「絵を描くことが……好きなんです。それに、もしできることなら、絵に関連した仕事ができたらと思っています」
その言葉を口にすると、教室の空気が一瞬静まり返った。母は少し驚いた顔をしていた。胸の筋肉が僅かに緊張し、俯いた。先生も、僕の言葉を受け止めるようにじっと考え込む。そして、ふっと小さく微笑んで口を開いた。
「絵か……うん、それは素晴らしいことだ。好きは努力に勝るからな。でも、理解していると思うが絵の世界で食べていくのは簡単じゃないぞ。競争も激しいし、才能だけじゃやっていけないこともある」
先生は慎重に言葉を選びながら話し続けた。その言葉の期待と現実の狭間にあるような響きを、真剣に受け止める。
「はい、わかってます。でも、自分の好きなことで戦ってみたいんです。たとえ難しくても、少しずつでもいいから……」
僕の言葉に、先生は深くうなずいた。母をみると不安げな表情で僕を見ていた。それでも、自分の気持ちを伝えたことで、胸の緊張がほどける感じがした。
「……やりたいことがあるのはいいことだ」
一呼吸おいて、先生は続けた。
「田中がそう思っているなら、先生はそれを応援するよ。今は一つのスキルを延ばして、それを色んな方向に伸ばしていけば生きていける良い時代だ。ただ、何が起きるかわからないのが人生だから、他の選択肢も頭の片隅に考えておくといい。何かあった時に、備えておくのは大事だからな」
先生の言葉は、暖かくも現実的だ。その言葉を胸に刻み込み、再び頷く。自分の見据える将来を話した事は、選択や決断の次のステップであり、それは少しの歩幅であっても、確実に前進をしたという事だ。
「では、次に……」先生の言葉が続き、現在の成績の確認、推薦に関する連絡事項、家庭での過ごし方等を話した後、面談は終了した。
進路指導室を出ると、深呼吸をして、少しだけ気持ちを落ち着かせた。教室へ戻ろうと歩き出したその足取りは、ここへ来た時よりもほんの少しだけ軽く感じられた。
母と生徒玄関で別れ教室に戻ると、先に面談が終わった桜井さんと蓮太郎が机に並んで座り、談笑していた。窓から差し込む夕陽が、二人のシルエットを優しく縁取っている。桜井さんが振り返り、ぱっと明るい笑顔を見せた。
「おかえり、涼くん。どうだった?三者面談」
桜井さんの質問に曖昧に笑って答える。
「まあ、無難に終わったよ。進路について色々と話しはしたんだけど……ちょっとね」
そう言うと、桜井さんは「……そっか」と共感の色を示してくれた。
少し間を置いてから、今日の面談でのやり取りを二人に話し始めた。最初はうまく言葉にできなかったが、桜井さんと蓮太郎が真剣に聞いてくれているのを感じて、自然と話が続いた。
「結局のところ具体的に何も決まってなくてさ。ただ、絵に関わる仕事ができたらいいなって思ってる。まだまだ技術も浅いし、無謀だってわかってるけど、少しでもそっちに近づけたらなって」
桜井さんは大きく頷いて「いいね、それすごく素敵だと思うよ!」と言葉が躍った。蓮太郎も「涼ならやれるって、俺が保証する」と肩を叩いてくれた。
二人の言葉に救われた気がした。先生からの現実的なアドバイスも頭にあったが、やりたいことに向かって進む決意を新たにした。
「じゃあ、せっかく絵の道に進む事が決まったんなら、また一緒にやらん?同じ構図の3枚の絵」
蓮太郎の提案に僕も桜井さんもすぐに「やろう」と乗り気になる。
「じゃあ、次はどこを描こうか。何かいい場所、ないかな?」
そう尋ねると、桜井さんがスマホをいじりながら少し考えた後、「前に話した北海道の平野とかどう?」と提案し、スマートフォンに映る写真を見せてきた。
「これも桜井さんが撮ったの?」
「ふふーん、そうよ!すごいでしょ?スマホで撮ったんじゃないよ、ちゃんと一眼レフで撮ったんだから。カメラの練習にどれだけ時間とお小遣いを……」
「うん、その話は前に聞いたから……」彼女の言葉に被せると、彼女はあっけらかんとして続けた。
「あら、そうだっけ?まあいいや。でね、これは北海道にある清水円山展望台からの景色なんだけど、すごく綺麗な場所なのよ。空と大地が上下左右にずっと広がっていて、どこまでも続いてるの」
その写真には、どこまでも澄んだ青空と、広大な平野、そして静けさを湛える山々が映し出されていた。僕達は、まるでその場にいるかのように、その景色に一瞬で引き込まれていった。
「これ、いいね。やってみようか」
僕がそう言うと、蓮太郎も「決まりやな」と手を叩く。
「じゃあ、次回の部活からこれを描こうね!」と嬉しそうに宣言した彼女にまったをかけた。
「もう僕達、部活引退してるんだけど……」
「あ……そっか、そうだったね。じゃあどこで描こうかな……」
「なら各自自分の家で描いてこればよかろ?」
「うん!そうだね、そうしますか。じゃあこの写真、涼くん用と蓮太郎くん用に2枚プリントしてくるね」
三人で同じ場所を描くのは、これで二度目だ。桜井さんの用意してくれた写真を基に、僕達はそれぞれの視点でその景色を描く。茜色に染まった窓越しの光が、まるで僕達の決意をそっと後押しするかのように、教室全体を包み込んでいた。
「では、今から進路に向けた三者面談を行っていきます。」
「よろしくお願いします」僕と母は改めて軽く頭をさげた。
書類を軽く机にたたき、先生は静かに質問を始めた。「先ず、お前の将来についてだが、何か考えていることはあるかな?」
先生の口調は優しかったが、少しの圧力も感じられた。少し間を置いてから「その……まだ、決まっていません」と答えた。先生は少しだけ頭をかしげて、再び問いかけてきた。
「もう三年生だからね……そろそろ具体的な進路を考えていかないといけない時期なのはお前もわかっているよな?田中、何かやりたいこととか、夢とかないのかい?今、夢中になっているものでもいい」
これまでに幾度となく、この質問を受けてきた。しかし、そのたびに答えを窮し、曖昧な言葉でごまかしてしまうことが多かった。桜井さんと蓮太郎の姿が頭をよぎる。桜井さんは自分の夢を語るとき、いつも迷いがなかった。
「アートに関わる仕事をしたい」そう話していた時の桜井さんの瞳には、確かな光が宿っていた。蓮太郎もまた、自分の描く絵に誇りを持ち、絵を描くことが彼の生きる理由だと言っていた。
「でも、まだと言うって事はある程度の方向性が決まってきてはいる。ということか?」
「……はい、正直、具体的に見据えているわけじゃないんですが……」
慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと答えた。内にある不安と、何かを見つけたいという願いが拮抗し、心の中でせめぎ合っている。だが、確かに僕を突き動かしているのは、その感情だった。
「絵を描くことが……好きなんです。それに、もしできることなら、絵に関連した仕事ができたらと思っています」
その言葉を口にすると、教室の空気が一瞬静まり返った。母は少し驚いた顔をしていた。胸の筋肉が僅かに緊張し、俯いた。先生も、僕の言葉を受け止めるようにじっと考え込む。そして、ふっと小さく微笑んで口を開いた。
「絵か……うん、それは素晴らしいことだ。好きは努力に勝るからな。でも、理解していると思うが絵の世界で食べていくのは簡単じゃないぞ。競争も激しいし、才能だけじゃやっていけないこともある」
先生は慎重に言葉を選びながら話し続けた。その言葉の期待と現実の狭間にあるような響きを、真剣に受け止める。
「はい、わかってます。でも、自分の好きなことで戦ってみたいんです。たとえ難しくても、少しずつでもいいから……」
僕の言葉に、先生は深くうなずいた。母をみると不安げな表情で僕を見ていた。それでも、自分の気持ちを伝えたことで、胸の緊張がほどける感じがした。
「……やりたいことがあるのはいいことだ」
一呼吸おいて、先生は続けた。
「田中がそう思っているなら、先生はそれを応援するよ。今は一つのスキルを延ばして、それを色んな方向に伸ばしていけば生きていける良い時代だ。ただ、何が起きるかわからないのが人生だから、他の選択肢も頭の片隅に考えておくといい。何かあった時に、備えておくのは大事だからな」
先生の言葉は、暖かくも現実的だ。その言葉を胸に刻み込み、再び頷く。自分の見据える将来を話した事は、選択や決断の次のステップであり、それは少しの歩幅であっても、確実に前進をしたという事だ。
「では、次に……」先生の言葉が続き、現在の成績の確認、推薦に関する連絡事項、家庭での過ごし方等を話した後、面談は終了した。
進路指導室を出ると、深呼吸をして、少しだけ気持ちを落ち着かせた。教室へ戻ろうと歩き出したその足取りは、ここへ来た時よりもほんの少しだけ軽く感じられた。
母と生徒玄関で別れ教室に戻ると、先に面談が終わった桜井さんと蓮太郎が机に並んで座り、談笑していた。窓から差し込む夕陽が、二人のシルエットを優しく縁取っている。桜井さんが振り返り、ぱっと明るい笑顔を見せた。
「おかえり、涼くん。どうだった?三者面談」
桜井さんの質問に曖昧に笑って答える。
「まあ、無難に終わったよ。進路について色々と話しはしたんだけど……ちょっとね」
そう言うと、桜井さんは「……そっか」と共感の色を示してくれた。
少し間を置いてから、今日の面談でのやり取りを二人に話し始めた。最初はうまく言葉にできなかったが、桜井さんと蓮太郎が真剣に聞いてくれているのを感じて、自然と話が続いた。
「結局のところ具体的に何も決まってなくてさ。ただ、絵に関わる仕事ができたらいいなって思ってる。まだまだ技術も浅いし、無謀だってわかってるけど、少しでもそっちに近づけたらなって」
桜井さんは大きく頷いて「いいね、それすごく素敵だと思うよ!」と言葉が躍った。蓮太郎も「涼ならやれるって、俺が保証する」と肩を叩いてくれた。
二人の言葉に救われた気がした。先生からの現実的なアドバイスも頭にあったが、やりたいことに向かって進む決意を新たにした。
「じゃあ、せっかく絵の道に進む事が決まったんなら、また一緒にやらん?同じ構図の3枚の絵」
蓮太郎の提案に僕も桜井さんもすぐに「やろう」と乗り気になる。
「じゃあ、次はどこを描こうか。何かいい場所、ないかな?」
そう尋ねると、桜井さんがスマホをいじりながら少し考えた後、「前に話した北海道の平野とかどう?」と提案し、スマートフォンに映る写真を見せてきた。
「これも桜井さんが撮ったの?」
「ふふーん、そうよ!すごいでしょ?スマホで撮ったんじゃないよ、ちゃんと一眼レフで撮ったんだから。カメラの練習にどれだけ時間とお小遣いを……」
「うん、その話は前に聞いたから……」彼女の言葉に被せると、彼女はあっけらかんとして続けた。
「あら、そうだっけ?まあいいや。でね、これは北海道にある清水円山展望台からの景色なんだけど、すごく綺麗な場所なのよ。空と大地が上下左右にずっと広がっていて、どこまでも続いてるの」
その写真には、どこまでも澄んだ青空と、広大な平野、そして静けさを湛える山々が映し出されていた。僕達は、まるでその場にいるかのように、その景色に一瞬で引き込まれていった。
「これ、いいね。やってみようか」
僕がそう言うと、蓮太郎も「決まりやな」と手を叩く。
「じゃあ、次回の部活からこれを描こうね!」と嬉しそうに宣言した彼女にまったをかけた。
「もう僕達、部活引退してるんだけど……」
「あ……そっか、そうだったね。じゃあどこで描こうかな……」
「なら各自自分の家で描いてこればよかろ?」
「うん!そうだね、そうしますか。じゃあこの写真、涼くん用と蓮太郎くん用に2枚プリントしてくるね」
三人で同じ場所を描くのは、これで二度目だ。桜井さんの用意してくれた写真を基に、僕達はそれぞれの視点でその景色を描く。茜色に染まった窓越しの光が、まるで僕達の決意をそっと後押しするかのように、教室全体を包み込んでいた。