下駄箱を開けると、そこに靴がなかった。

「あ、あれ?」

 意味もなくいったん閉めて、また開ける。結果は変わらない。

「どうした? 羽鶴」

 普通に下駄箱から外靴を出した就也が訊いた。

「わたしの靴……ないの」
「えっ? ……本当だ、ないな……」

 就也が確かめて、呆然と言った。
 どうしよう。これから演劇部の部活なのに。
 体育館兼講堂へはグラウンドを突っ切るのが早道だ。
 本来は渡り廊下を使うんだけど、時間がかかりすぎてしまう。上履きじゃ靴の裏が砂だらけになって、講堂の床が汚れちゃう。

「就也、羽鶴。なにグズグズしてんの」

 沈んだ気持ちになっていると、成実が呼んだ。剣呑さを含ませた声音が少し怖い。

 ……昨日のオーディションの結果発表から、成実はずっとこんな調子で接してくる。

 あの後、成実は無言で教室を出ていった。いつも一緒に下校するのに。

「ちょっと待てよ。羽鶴の外靴がないんだ」

 とうに靴を履き替え、昇降口のガラス扉に手をかける成実が鼻を鳴らした。

「へぇ。……呪われたんじゃない?」

 冷たい声で吐き捨て、成実はさっさと歩いていった。
 ガラス越しに、長い髪を揺らしてまっすぐに講堂に向かうのが見える。

 成実に、置いてかれた……。

 わたしがうつむくと、頭の上で就也が言った。

「しょうがないな、あいつ。羽鶴、気にするなよ」

 そう言ってわたしの頭を撫でる。就也の手は、あったかかった。

「今はちょっと、気持ちに整理がつかないだけだと思う。時間が経ったら、またいつもの成実に戻るさ」

 就也が、甘い笑顔と力強い声でわたしを元気づけてくれた。泣きそうになる。
 靴も一緒に探してくれると言ってくれた、けど。

「先に行ってて。ひとりで探すから」
「え、でも」
「いいから。わたしのことは気にしないで」

 就也は遠慮したけど、付き合わせて遅刻させるのは忍びない。
 最後までわたしを気にしてくれながら、就也は講堂に向かった。

(優しいなぁ、就也)

 胸の中があたたかいもので満ちる。少し心臓がドキドキしていた。
 勝手に頬が火照るのを感じながら靴を探す。
 もしかしたら間違えて持っていかれたんじゃないかと他の下駄箱も開けたけど、その様子はない。
 時間が経つにつれて、妙な焦りが生まれる。

 ――「呪われたんじゃない?」

 成実の言葉が思い浮かぶ。これは〈カナコちゃんの呪い〉のことだ。


 カナコちゃんに呪われるのは、
 夢が叶った生徒。
 カナコちゃんに呪われたら、
 ――持ちものが、なくなる。


 この話を聞いた時、なんてくだらない……というか、みみっちい呪いだろうって拍子抜けした。
 怪我をするとか死ぬとかならともかく、持ちものがなくなるなんて。「だから何なの?」って思った。
 でも、いざ自分の持ちものがなくなると結構困る。特にこういう時は。

(まあ、呪いのはずないよね)

 きっと何かの間違いだ。そう思って探し続けるけど、一向に見つからない。

 もしかして捨てられた?
 誰かのイタズラを疑って、下駄箱近くのゴミ箱をのぞいた。
 甘ったるい臭気が鼻を刺す。丸めたプリントやジュースの紙パック、ペットボトル……この下にあったりして。
 もっと深く探そうとした時だ。

「――そんなところにはない」

 背後から声が飛んできた。
 静かだけどハッキリ通る声音。聞き覚えがある。
 あの人だ。結果発表の日に見た、背の高い三年生の男子生徒。
 鞄の他にブックバンドでまとめた数冊の本を抱えて、胸ポケットにはあの万年筆がささっている。
 彼……と呼ぶと失礼かもだけど、彼はゆっくり近づいて、わたしが外したゴミ箱のフタを元に戻した。

(うわわ、近くで見ると肌白っ)

 頭の中に、いろんなアニメのクール系美青年キャラが次々と浮かぶ。
 モロにそんな雰囲気の彼は、わたしに「こっち」と短く命じると、昇降口とは逆方向に歩を進めた。
 ついていくと、校舎の裏庭に出るドアが見えてきた。彼は何のためらいもなく、上履きのまま外に出る。
 北風が頬をなぶり、身震いした。わたしが「寒っ!」と口にしても彼は無言だった。寒さなんか感じてないみたいに。
 常緑樹が並ぶ裏庭の一角。真っ黒な焼却炉がでんと構えていた。彼はやはり躊躇せず、そのフタを開ける。

 束ねた藁半紙や燃えるゴミの上に、ちょこんと靴が乗っかっていた。
 しかも二足。黒いスニーカーはわたしのだ。

 彼は、よく磨かれた革のローファーを拾い上げ、何の感慨もなさそうに靴を替える。
 ……そして特にわたしに何も言わず、校舎に戻ろうとした。
 つい、話しかけてしまった。

「あっ、あの、どうしてココにあるって分かったんですか?」

 彼は顔だけ向けた。妙に迫力がある。

「……みんな、考えることは一緒だからな」

 一月の空っ風によく合う、冷静沈着な答え、まなざし。
 わたしはしばらくの間、動けなかった。