中学校に入学してから一ヶ月半、五月半ばの放課後だった。

 わたしは出席番号が近いから話すようになった友達と、四人くらいでアニメ雑誌を開いていた。
 新作アニメの特集記事で、紙面には声優さんの写真がズラッと並んだ。その中には十代の声優さんが何人かいて、「ほぼ同年代じゃん、ヤバい!」ってにわかに盛り上がった。
 わたしはなんだかウキウキして、つい言ってしまった。

 ――「すごいなぁ。実はわたし、声優さんになりたいんだ」

 小学校の卒業文集の『将来の夢』にも『声優さんになって、桜もののふの紅色になりたいです』と書いた。
 そう続けたわたしに、友達は四人とも大笑いした。

 ――「アニメが好きなら誰でも一度は夢見るよね。でもまあ、どうせ」

 絶対に無理だよ。
 声優になんて、なれっこない。

 無邪気に否定されて、わたしの思考は固まった。
 背中に細い管で冷水を流されたような感覚がして、喉が詰まった。
 その時に言われたことを、詳しくは覚えてない。
 狭き門とか人気商売とか、そんな言葉が飛び交って、最近名前を見なくなった――いわゆる『消えた』声優さんの名前がたくさん出た気がする。
 そんな厳しい世界に苦労して飛び込むくらいなら、こっち側――『声優さんを楽しむ側』でいいと、みんなは言った。

 ――「羽鶴もさすがに、そのへん分かってるよね?」
 ——「もう中学生だもん、現実見えてるでしょ?」

 悪意なんて一切ない言葉。
 作り笑いを浮かべて、「うん」と答えてしまいそうだった時、

 ——「ねぇ、あなたも声優志望なの? えっと、小山内さんだっけ?」

 ひょこっと話に入ってきた女子。
 それが成実だった。その頃は男の子みたいに髪が短くて、でも瞳がキラキラしていた。

「……あの時、わたしは負けたんです。『声優になんてなれるわけない』って言葉に、同意を求めるみんなの目に。『それでもなりたいの!』と断言できる勇気、……ううん、根性がわたしには無かった。でも成実は……」

 成実は同調圧力めいた空気に負けなかった。
 みんなが知ったかぶった『声優の現実』を例に出して「諦めた方がいい」を押し出しても、成実は貫いた。

 ——「そんなの、やってみなきゃ分からないじゃない!」

 堂々と言ってのける成実に、わたしは一瞬で憧れた。一目惚れの速度で。
 話すうちに、成実も『桜もののふ』が大好きで、高遠さんに憧れていると分かった。
 嬉しくて取り合った手は、とても熱かった。

「その言葉のとおり、成実は何だってやってみました。声優になるために調べて勉強して行動して……いま通ってる養成所だって成実が見つけてきて、就也と一緒に受けました。成実と知り合うまで、就也も声優志望なんて知らなかった。小学三年生からずっと同じクラスだったのに」

 成実に「別のクラスにも声優志望の子がいるの!」と引き合わされたのが就也で、お互い声を失うほど驚いた。
 聞けば就也が声優を志すのも、憧れの作品があってそれに出たいという動機だった。
 ずっと、『体が弱くて学校を休みがちな男の子』という印象しかなかった就也。思いがけない一面に、わたしは笑った。

 声優になるという夢にまっすぐ向かう成実。
 誰より熱心で、能動的で積極性の塊で、わたしと正反対の成実。

 そんな成実のすぐ隣にいて、同じように『声優になるための努力』をしていると、まるで――

「わたしも成実と就也みたいになりたかった……ふたりの傍にいると、『夢を諦めない強いわたし』になれた気がしたんです……」

 ……そこまで言ってから、わたしは頭を抱えて悶えた。ジャージを被って隠れる。
 羞恥心で脳みそが沸騰しそうだ。

「すみません、ごめんなさい、恥ずかしい、死にたい……!!」

 さっき死のうとしたけど。

「ほんっとに恥ずかしいな。おまえ、どこまで主体性ゼロなんだ。芯も無ければ核も無い」

 追い打ちをかける雛田先輩。苦笑いをする香西先輩。背中を撫でてくれる織屋先輩……居たたまれなくて、講堂の柔らかい床と同化しちゃいたい。

「そんな体たらくでよく合格したな。奇跡どころじゃないぞ」
「その通りです……だから、分からないんです。本当にこのまま、アロサカプロジェクトに参加させてもらっていいのか」

 すごく失礼な、冒涜に近いことをしているような気がする。

「だってわたし、信じられないんです。自分なんかが合格したことが。わたしよりずっとずっと才能もあって努力もする人がいっぱいいるのに、なんで? って」

 だってわたしは一度諦めた。「自分には無理だ」と自ら烙印を押したのだ。
 なのにどうして、オーディションを受けたんだろう。

 ……そうか。
 わたしは成実と就也が夢を叶えるのを近くで見たかったのか。二人なら絶対になれるって勝手に期待していたから。
 最悪だ。情けなくて吐き気がする。……両親に高いお金を出させて、成実と就也に寄りかかり続けたなんて。
 ジャージを被り続けるわたしに、織屋先輩が特に変わらないトーンで言った。

「真面目だなぁ、はづるんは。合格してラッキー、何事も経験だヒャッハーくらいに考えりゃいーのに」
「そっちはテキトーすぎるだろう。……というかこの間から思っていたが、おまえ何か勘違いしてないか?」
「へ……?」

 ジャージから顔を出すと、雛田先輩が厳しい目つきをしていた。
『軽蔑』はないけれど『呆れ』が色濃い瞳。

「なんでオーディションに受かったくらいで、夢を叶えた気になれるんだ?」
「……」