視界の端で、雛田先輩が来るのが見えた。少し遅れて香西先輩も。
 成実はわたしだけを見据えて、夕焼けに染まった真っ赤な姿で言った。

「うちのお父さん、年末に解雇されたの。もうあたしの養成所の月謝どころじゃないのよ。だからどうしてもオーディションに合格したかった……お金の心配せずに声優になる夢を追いかけたかった!」

 成実がわたしを指さす。

「あんたには分からないよねぇ!?」

 ビリビリッと鼓膜を震わせるほど、圧のある声。
『腹の底からの叫び』、まさにそれだ。

「羽鶴には絶対に分からない! オジョーサマのアンタには! 養成所に通うお金の心配をしなくていいアンタには! 毎月高い雑誌を気兼ねなく買えて、毎日自販機でジュース買えるほどお小遣いもらってるアンタには! 絶対に分からない!」

 成実が窓ガラスを叩いた。
 ……成実が何を言ってるのかよく分からない。
 雑誌? 声優道のこと? ジュース? 養成所のお金?
 ……なんでそんな話になるの……?
 ワケが分からなくて、いつの間にか涙が止まっていた。

「ねえ、なんでなの!? なんでアンタが合格するの!? たいした実力もないくせに……っ、本気で声優目指してないくせに!」
「え……?」
「分かってんのよ。アンタがあたしと話を合わせるために声優志望のフリをしてるってことくらい! 結局アンタは自分で夢を見てないの! そういうの見てて腹立つの!」

 そう叫ぶと、成実は、
 一転して静かな声で、
 わたしに突きつけた。

「あたしは、……羽鶴のことずっと嫌いだった。アンタなんか、……声優になる資格、無い」

 そう言って成実は出ていった。

 わたしは立っていられなかった。
 寄りかかった机が動いて、床に膝をつく。

「羽鶴……」
 就也が苦しげにゆがんだ顔で、わたしの肩に触れてきた。我慢できなくなって就也に縋りつく。

「しゅ、就也ぁ……っ! 成実が、成実がぁ……!」

 こみ上げる涙で体操服の袖が見る見るうちに濡れる。息をするのも苦しい。

「どうしてこんなことになっちゃったの。わたしのせいなの? わたしが合格したから全部全部ダメになったの?」
「羽鶴……」
「……こんなことならっ」

 何度も頭によぎったこの考え。最低な考え。たぶん成実が聞いたら一生軽蔑されるような。
 でも、口に出せずにいられなかった。

「オーディションになんか、合格するんじゃなかった……っ!!」

 吐き出すと、わたしの方に触れる就也の手にピクリと力が入った。
 けれど。

「なら、辞退でも何でもしろ」

 鋭い刃物みたいな声が、わたしに向かって放たれた。
 雛田先輩だった。香西先輩のとがめる声。けれど先輩は止まらなかった。

「そんな体たらくじゃ声優なんか絶対に無理だ。とっとと捨てろ」

 先輩はあの目をしていた。言葉にするなら『軽蔑』の色。醜いものを見るみたいな。
 雛田先輩が背を向けて、去って行く。
 それを見ながら、わたしは――

 聞こえた気がした。
 何かがひび割れたような、音が。